第12話 付き合ってるの? ふたりは
茹だるような夏の午後は、アイスコーヒーがよく売れる。
喫茶店の制服は長袖から半袖に変わり、メニューにはかき氷が加わった。
夏になってもこのお店は相変わらず常連さんが大半を占めているけれど、外気温が上がれば上がるほど涼しげなアクアリウムがお客さんを呼び寄せる。
私のお気に入りはこのちっちゃなフグだ。水槽の中をちょろちょろ泳ぐ姿が可愛い。名前、何だったかな。マスターに教えて貰ったのに、長かったから忘れてしまった。
この子を見ていると、早く結衣さんと水族館に行きたくてうずうずしてくる。
楽しみで、すごく待ち遠しい。
数日後に迫る試験を乗り越えれば、夏休みは目前だった。
ちょうど魚のえさやりを終えたところで、からんと入店ベルが鳴る。反射でいらっしゃいませ、とドアの方を振り向いた。
「かなたちゃん、久しぶり~」
はつらつとした声と共に店内に現れたのは、長いピンクアッシュの髪を纏めた律さんだった。タンクトップにシャツを羽織っただけのラフな格好で、いかにも夏って感じの装いだ。
「律さん、久しぶりですね」
律さんに会ったのは、結衣さん泥酔事件の時が最後だ。
今日はどうしてわざわざ店まで来てくれたんだろう。とりあえずカウンター席に通して、メニューを渡す。
「……あの、その節は本当にご迷惑をおかけしました」
「あぁ、家出の件? 迷惑なんかじゃないよ、仲直りできてよかったね」
本当にどうなることかと思ったけど。私もあれから、他人を巻き込むような行動は慎まないといけないと、少し反省したりした。
「あんなに焦った結衣、私初めて見た」
「そうなんですか?」
悠里の家に結衣さんが来てくれたときは、ものすごく落ち着いていたように見えたけど。律さんはメニューをめくりながら、くつくつと笑う。
「どうしようどうしようって、かなたちゃんを探してる間、ずーっと頭抱えてたわよ」
想像、できない。そんなに心配してくれていたのかと、何だかくすぐったい気持ちにもなる。でも、それはきっと律さんにしか見せない顔で、少しだけ羨ましく思った。
二人の間には確かに絆がある。じゃあ、私と結衣さんの間には、いったい何があるんだろう。
私は自分の弱いところもだめなところも全部、結衣さんにはもう曝け出している。だから、結衣さんだって弱いところ、もう少し私に見せてくれても良いのに。
「あ、これいいね。アイスコーヒーとケーキセットにしよ」
「かしこまりました」
この店の水出しコーヒーは、すっきりしていて美味しい。
結衣さんもコーヒー好きだから、今度来たときに出してあげようなんて思ってると、律さんがカウンター越しにじっと私を見つめていることに気が付いた。
「かなたちゃんって、意外とやるときやるんだね。見直しちゃった」
「……何がですか?」
ことりとカウンターにグラスとケーキを置いて、焦茶色の垂れ目をじっと見つめ返すと、律さんが、にやりと不敵な笑みを浮かべる。
「あの結衣に水ぶっかける女なんて、そうそういないよ」
「……律さん、どこまで知ってるんですか……?」
「そんなに怒らせるなんて一体あんた何したのよって聞いたら、全部吐いたわよ。酔っ払ってキスしたら、突き飛ばされて水ぶっかけられたって」
ぶわっと頬が、熱くなってくるのがわかった。結衣さんってば、なんでそんなこと簡単に言ってしまうんだろう。いくら律さんとは言え、さすがにキスした事実を知られるのはちょっと恥ずかしい。
「あれは、その……びっくりしちゃって、つい勢いで……」
「いいのよ、ちょっとぐらい。結衣もたまには痛い目みないとね」
たしかに、それには同感だ。いくらモテるからって、誰にでもそういうことをしていい理由にはならない。お互いが同意の上で初めて成り立つものだと思うから。
「で、今日かなたちゃんに会いに来たのは、色々確認したかったからなんだけど」
律さんがショートケーキを一口頬張る。んー、と唸って幸せそうな顔をするから、私もちょっとだけお腹が減る。いいなあ、私も食べたい。
そんなことを思ってると、爆弾のような質問が容赦なく飛んできた。
「付き合ってるの? ふたりは」
「へ……?」
あまりにも斜め上からの質問で、思考停止する。律さんの目は至って真剣で、じっと私を見つめてくる。
「付き合ってるって、誰と、誰がですが?」
「結衣と、かなたちゃんが」
「な、なんでそうなるんですか?」
「んー……この間、かなたちゃん女同士ってどうやってするんですか、って聞いてきたでしょ?」
確かに、そんなこともあった。でもそれは、結衣さんと私がどうこうとかじゃなくて、一般的に女同士のセックスってどういうものなのか単純に知りたくて聞いただけだ。
「その後、結衣がかなたちゃんにキスしてケンカになったんだよね?」
「そうですけど……」
「でも、無事和解して仲直りしたと。それって、付き合ったってことなのかなって」
律さんはまるで何でもないことのように聞いてくる。
結衣さんが同性愛者であることだって大して気にしていないから、冷やかしでも何でもなく純粋に聞いているだけなんだろうとは思うけど、私の心臓はさっきからどくどくと鼓動を速めていた。
「付き合ってません。第一、結衣さんって彼女作らない人じゃないですか」
「まぁ、そうよねぇ。かなたちゃんって真面目で遊びには向かないタイプなのに、結衣もなんでそんなことしたのかしら」
それは……。そんなこと、私も知りたい。何か嫌なことがあったとか、むしゃくしゃしてたとか、そんな理由なのかもしれないけど。
どうしてキスしたのか、という本当の理由は聞かずじまいだった。
「……あの、律さん」
「ん? なぁに」
「律さんって、結衣さんにキスとかされたことありますか?」
純粋に疑問だった。だって、律さんって色気もあるし、女好きな結衣さんが手を出したことないってことあり得るのだろうか。
だが、そんな疑問はものすごく嫌そうな顔をした律さんにばっさりと切り捨てられた。
「あるわけないじゃない。そもそも結衣の好みって、かなたちゃんみたいな甘めの顔で、いかにもネコって感じの……」
「猫?」
「ん、いや、なんでもない。ごめん、今の忘れて」
律さんが焦ったように笑うから、首を傾げる。確かに、結衣さんに人慣れしてない猫みたい、と言われたことはあるけど、別に私は猫顔ではないと思うのだけど。
「一応、聞いて良い? 答えたくなかったら答えなくても良いんだけど、かなたちゃんの恋愛対象って、男? 女?」
「男性です」
「……だよねぇ。まぁいいや。とにかく、何か困ったことがあったらいつでも連絡してね」
そう言って律さんは、試験勉強しないといけないからもう行くねと慌ただしく行ってしまった。とくとくと心臓がまだ不思議と脈打っている。
付き合っているのか、なんて。痴話喧嘩だと思われたのだとしたらだいぶ恥ずかしい。
家出したとき、家に泊めてと言った私に悠里は何も言わなかった。
でも、次に大学で会ったとき念のためにちゃんと私たちが恋愛関係にないということを明言しておこう、と思った。
***
バイトを終えて家に帰ると、ちょうど結衣さんも家に帰ってきたばかりだったらしい。うなじに手を回してネックレスを外しているところだった。
「帰りました」
「あ、おかえり、かなた」
一粒ダイヤのネックレスが、リビングの照明を反射してきらきらと輝いている。
最近、気付いたこと。
結衣さんは、ネイルだって、ピアスだって、ころころと変えるのに、ネックレスだけはいつも同じものを付けている。
飽き性の結衣さんが、ずっと大切につけているもの。どこか特別を感じさせるそのネックレスが、どうにも気になってしまう。
ソファに腰を落ち着けて、時計を見る。八時を回ったところだった。どうりでお腹が減ったわけだ。
「ねぇ、結衣さん、お腹すきました」
甘えるような声でそう言うと、結衣さんが時計を外しながら私をちらりと見た。
アクセサリートレーに、ぽいと乗せられたその時計も昨日とは違うものだ。やっぱり、ネックレスだけが、いつも決まって同じ。
「何も食べてこなかったの? じゃあ、なんか頼もっか」
その言い方だと、結衣さんは食べて帰ってきたのだろう。
私たちは、基本的には朝食は一緒に取るけど夕飯は別々になることが多い。時間が会えば一緒に食べるけど、私も夜の時間にバイトすることが多いから。
ソファの脇に立ったままスマホをすいすいと指でなぞっているから、配達アプリで何かを探しているんだろうけど、今日はそんな気分じゃない。
「……結衣さんが、何かつくって」
そう言えば、ぴたりとその手が止まる。結衣さんが目を丸めて不思議そうに私を見ている。
「どうしたの? 今日は甘えん坊だね。何かあった?」
「別に何もないですけど、配達だと時間かかるから」
「そんなにお腹すいたの?」
聞かれて、こくんと頷く。お腹がすいたのもそうだけど、無性に結衣さんが作ったものが食べたいと思った。
言ってみたのはいいものの、さすがに断られるかもしれないと思った。帰ってきたばかりで疲れているだろうし、いくらなんでもわがまますぎたかも、なんて思っていると。
「わかった、いいよ」
あっさりとそう言って、結衣さんがキッチンに向かうから、慌ててその後ろをついて行く。
「えっと……本当にいいんですか?」
冷蔵庫を開けて食材を確認した後、結衣さんが私に向き直る。
「パスタぐらいだったら作れると思うけど、いい?」
「パスタ、好きです」
「そう? よかった」
帰ってきてからまだ一度も休んでいないのに、鍋を取り出しててきぱき調理を始める結衣さんに、なんだかわがままを言ってしまって申し訳なく思ってくる。
「……あの、何か手伝えることありますか?」
「お腹すいてるんでしょ? 別に座ってていいのに」
この人、なんでこんなに優しいんだろう。いや、知ってはいたけど。そう言われても座って待ってることなんてできずにいると、結衣さんが笑いながら言った。
「じゃあ、ハイボールつくって。後ろにグラスあるから」
後ろを振り向くと、結衣さんがいつもお酒を飲んでいる時に使うグラスが目に入った。結衣さん曰く、炭酸水とウイスキーは三対一、が好きらしい。
覚えておこう、と頭の片隅にメモを取る。
パスタを茹でている間に、食材をとんとんと切って手際よくフライパンに放り込んでいく。改めて、この人本当に今までずっと自分で料理してきたんだな、と思った。
見とれてないで言われた仕事をしないとと思い直し、グラスに氷を入れて、三対一の割合で炭酸水とウイスキーを注ぐ。
さっき計量カップできっちり計ろうとしたら適当で良いから、と言われたけど、本当にちゃんと出来ているか心配になる。
「冷蔵庫からレモン取って。切ってあるから、それ中に入れたらおわり」
言われたとおりにレモンをのせる。少しだけ大人の香りがするそれを結衣さんに渡すと、にっこりと笑ってありがとう、と言ってくれた。
「はい、かんぱーい」
グラスを差し出されたけど私の手元には乾杯するものが何もなくて、慌ててそこにあった計量カップを掴んでグラスとぶつける。
グビグビとお酒を飲む度に白い喉が動くのが、何だかとても色気がある、と思った。
「そんなに美味しいんですか、それ」
「美味しいよ。かなたは、いつお酒飲めるようになるの?」
「来年の四月で二十歳です」
「えっ、四月? 今年の誕生日、もう過ぎてるじゃん。なんで言ってくれなかったの?」
「普通、自分から言わなくないですか? 結衣さんこそ、誕生日いつなんですか?」
「私は十月」
ぴぴぴ、とタイマーが鳴る。慣れた手付きで湯切りをして、フライパンに一人前のパスタが投入される。具材はベーコンとエリンギ。どっちも結衣さんのおつまみになるはずだったものだ。バターと醤油のいいかおりに、いよいよお腹がぐーっと鳴った。
「はい、どうぞ」
ダイニングテーブルの上に乗せられたパスタに感動を覚える。いただきます、とちゃんと両手を合わせて言うと、召し上がれ、と結衣さんが正面で笑った。
「こんな適当なものでよかったの?」
「おいしいです」
「そう? ならいいんだけど……。自分じゃよくわかんないからなぁ。人の手料理って食べたことないし」
前にお父さんも料理できないって言っていたし、手料理を食べたことがない、という結衣さんの言葉は、どことなく寂しく聞こえた。
「……また、つくって欲しいです」
「いいよ。ちゃんと食材が揃ってるときなら、もっとまともなのつくってあげられるから」
パスタだって十分なんだけどな。空腹もあってぺろりとパスタを平らげる私を、結衣さんはずっと、にこにこしながら見ていた。
「……試験、来週の金曜には終わるでしょ? 土曜日、水族館行こっか」
ずっと楽しみにしていたから、二つ返事で頷いた。
早川くんと動物園に行った時はこんなにワクワクしなかったのに、今はこんなにも胸が弾む。
どうか晴れてくれますように。そう、願わずにはいられなかった。
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