第7話 私とセックスしてみる?

「え、女同士のやり方?」


「しーっ! 律さん、声が大きいです!」


 客足まばらな平日の午後の喫茶店。


 唐突に穏やかなティータイムに似つかわしくない台詞が飛び出して、私は慌てて律さんを制する。


 質問の意図が読めなかったのか、律さんは怪訝そうな顔をしながら、ケーキスタンドからマカロンを一つ摘み上げてを口の中に放り込んだ。


 他のお客さんに聞かれないよう、カウンター席には律さんしか通してなくてよかった。ほっと胸を撫で下ろす。


 私のバイト先の喫茶店になぜ律さんが来ているのかというと……うちの店アフタヌーンティーセットやってるので、よかったら来てください、と、私が誘ったからだ。


 もちろん、お店の売上のために営業をかけたわけではない。


 結衣さんのお友達である律さんに、聞きたいことがあったからだ。


 その聞きたいこと、っていうのは、つまり冒頭の質問に巻き戻るわけなんだけど。



 お誘いしたその日に、律さんは大学帰りに早速寄ってくれたからびっくりした。

 いつだったか結衣さんが、「律のいいところはフットワークが軽いところ。飲みに誘えば必ずくる」と言ってたけど、あながち嘘でもないらしい。


「……そんなの、結衣に聞けばいいのに。そっちの方が早くない?」


 頬杖をついて、律さんの垂れ目がじーっとこちらを伺うように見る。確かに、言ってることはごもっともなんだけど……。


「……当事者には、生々しくて聞きづらいんですよ」


「まぁねえ……変に質問して、手取り足取り教えられても困るもんねー?」


 結衣ならやりかねないわ、とイタズラに笑う律さんに、今度は私からじとりと恨みがましい視線を送る。


「……結衣さんは、そんなことしませんよ」


「あらあら、いつの間に懐いちゃって、かわいいこと」


 揶揄うように律さんは言うけど、そういう意味じゃない。そもそも私は、何度も言うようだけど結衣さんの好みではないのだから手を出されるはずがないということを言いたかった。


「でもね、本当に私は結衣がどんなセックスしてるかなんて知らないよ。友達のそういうの、事細かに聞かなくない?」


「結衣さんがどうこうとかじゃなくって、一般的に……の話です」


「えーと……一般的に、女同士はどうやってするか知りたいってこと?」


 カウンター越しに顔を寄せて、できる限り小声でこそこそと話す律さんに、こくこくと頷いて返事をする。


 単純に疑問だった。


 私から見た結衣さんの行動原理を突き詰めて考えると、こうだ。


 めんどくさいから恋人は作らないけど、可愛い子とセックスはしたい。


 でも、そこで疑問に思うことがある。それで、結衣さんが得るものってなんなんだろう?


 愛情も伴わないのに飽きもせず繰り返すなんて、女性同士のセックスって、そんなに良いものなのだろうか。


「あー、なるほど……オーケー、まずはそこからってことね」


 私がおすすめしたミルクティーで唇を湿らせた後、律さんは不敵に笑う。


「今度、結衣に聞いてごらん。“結衣さんは、いつもどの指使うんですか?”って。そしたらきっと、かなたちゃんが知りたいこと、教えてくれると思うわよ」


 






 そんなアドバイスを受けた夜のこと。チャンスは、唐突に訪れた。




「えっ……爪? やりたいの? 私の? 自分のじゃなくて?」


 鳩が豆鉄砲をくらったような表情で、結衣さんはやすりを持ったまま固まっている。


 ソファの定位置で、鼻歌を歌いながら爪にやすりをかけていた結衣さんに、それ、私にやらせてください、と声をかけただけなのだけど。


 除光液の匂いと共に綺麗さっぱりマニキュアが落とされた結衣さんの指先はいつになく新鮮に映る。


  先日、手を繋いでもらった時のことを思い出す。短い爪に乗せられたシンプルな黒のネイル。


 先週は確か、深いネイビーだった。頻繁に色が変わる指先は、気移りしやすい彼女の性格をそのまま表しているようだ。


「……何かおかしいですか?」


「いや……おかしくは、ないけど……」


 いつになく歯切れが悪い結衣さんを無視して、その手からやすりを奪い取る。隣にどっかりと腰掛けて、早く、と手を出した。


 渋々差し出された右手をまじまじと観察する。大して伸びてはいないその爪の先にやすりを当てると、様子を伺うように結衣さんが私を見つめる。


「……人の爪の処理なんかして、楽しい?」


 楽しいか、と問われれば別に楽しくはない。でも、結衣さんの手をじっくり観察するチャンスだと思った。


「楽しいですよ」


「……ふーん」


 均等に、長さを整えるように、いつもの結衣さんの爪の長さを思い出しながらやすりを動かす。


「でも結衣さん、爪短いからあんまりやるとこないかも」


 やすりをかけると言っても、常に手入れをしている彼女の爪は少しだけ長さを整えて角を取るくらいですぐにいつもの指先に戻ってしまう。


「つまらないでしょ? もういいよ」


 いつになく落ち着かない様子で、耐えかねたように結衣さんが言うから、右手を握りしめたまま、左右に首を振った。


「そっちの手も」


「え」


 そう言って、左手に視線を向ける。やっぱりどこをどう見ても私には爪が伸びているようには思えない。手入れが行き届いた女性的な手だ。


 爪の手入れをされることを嫌がっている……と言うよりは、少し困ってるように見える。


 最初に右手を出された時に、違和感があった。人に爪をやってもらうなら、普通は自分でやりづらいはずの利き手を出すと思ったのに。


「……結衣さんって、左利きですよね」


 我ながら今更な質問だ、と思う。一緒に食事をしていて左手で箸を持っていることに気付かなかった……なんてことはない。知ってて聞いた。


「そうだけど……なんで?」


「じゃあ……」


 意を決して、結衣さんの左手を取る。嫌がられるかと思ったけど、振り払われることはなかった。きゅっと人差し指を握る。


「女性を抱く時に使うのは、この指ですか」


 彼女が、息を呑んだのがわかった。普段は余裕のある結衣さんを、初めてだし抜けた気がして少しだけ気分がいい。


 突然そんなことを聞かれると思わなかったのか、真っ直ぐに見つめられる。


 質問の真意を探るような、そんな視線。だから私も負けじと見つめ返す。


 理由なんてない。ただ、あなたのことが知りたいと思った。もっと、ちゃんと、その心の奥の方まで。


 たっぷり間を置いたあと、根負けした結衣さんが小さくふうとため息をついた。


「……違うよ」


 でも、返ってきた言葉は予想外だった。あれ、違うの? と首を傾げる。


「私、人差し指より薬指の方が長いから。使うのは、中指と、薬指」


 指の長さを確かめるように、手を握る。本当だ、長くて綺麗だな、と思っていたけど、確かに薬指の方が人差し指より少し長い。


 にぎにぎと薬指を握ると、今度はそっと私の手が握り返される。指の間にするすると彼女の長い指が絡まって、離れてくれなくなった。


「ねえ……なんでそんなこと知りたいの?」


 さっきまで少し困惑していたくせに、気づけばいつもの余裕のある結衣さんに戻っている。優しく問いかけられて、あ、会話の主導権を取られたと自覚する。


 手を解いて欲しくて目線を送るものの、結衣さんはにっこりと笑ってより強く手を握ってくる。


 笑っているけど、逃がさない、って顔に書いてある。


「えっと……その」


 律さんの嘘つき。こう聞けば結衣さんは教えてくれるって言ったのに。なんだか違うスイッチを押してしまったような気さえする。


「……律さんに、そう聞けって言われて」


 ごめんなさい、律さん。居た堪れなくなって、思わずポロリと名前をこぼしてしまった。


「ふーん……。律に会ったの? いつ?」


「今日……バイト先に来てくれたので」


「へえ。いつの間にそんなに仲良くなったの? なんか妬けちゃうな」


 すりすりと、繋いだ手をイタズラな親指が撫でてくる。にこにこ笑ってるけど、繋いだ手の強さが少し強引で、いつもの結衣さんじゃない。


「で、なんで律にそんなこと聞けって言われたの?」


 逃げ道をひとつずつ潰されていくようで、たまらずに結衣さんを伺い見る。


 瞳を見つめられたら心まで見透かされそうで思わず目を逸らす。言葉にするにはあまりにも、誤解を招きそうで……。


 そう思った矢先、繋いでない方の結衣さんの指先が、俯いた私の顎を持ち上げた。


 ぶつかる視線に、呼吸も忘れそうになる。


「……ねえ、かなた。何か聞きたいことがあるんでしょ? 黙ってちゃわかんないよ」


 泣きそうになってしまった私の名前を呼ぶ結衣さんの声は、思っていたよりもずっと優しい。


「……ごめんなさい」


 もう、無理だ。これ以上の押し問答はボロが出る一方でしかない。降参して謝ると、ふふっと結衣さんが吹き出すように笑った。


「もー……何それ、反則でしょ」


 張り詰めていた糸が切れたようにいつもみたいに柔らかく笑うから、わからなくなる。


「だって、結衣さん、怒って……」


「怒ってない怒ってない」


 繋いだ手を引かれて、結衣さんが私の頭を胸元に引き寄せた。ぽんぽんと頭を撫でられて、ようやく許してもらえたってことを知る。


「……ごめんなさい、デリカシーのない質問でした」


「そんなことないよ、ちょっと揶揄っただけだから」


 聞かれたくないことの一つや二つ誰にだってあるはずなのに、配慮に欠けていたかもしれない。


「それで? 本当は何が知りたかったの?」


 くるくると私の長い髪を弄びながら結衣さんが尋ねる。私も、握りしめたやすりを手持ち無沙汰に転がしながら結衣さんを見上げた。


「……女同士って、そんなにいいものなのかな、って気になったんです」


 ぴたり、と結衣さんの手が止まる。何かまた失言してしまっただろうか。


 遊んでいた指先から、髪が解ける。そのままそっと、背中に押し当てられた手のひらがゆっくりと背筋を撫で下ろす。


 こんな触られた方はしたことがなくて、身体を引こうと思った瞬間見透かされたかのように腕が腰に回って私の身体を引き寄せた。


「……興味、ある?」


 耳元で、囁かれた甘い声。はっとして肩を押そうとすると呆気なく手を掴まれて、真っ直ぐに視線がぶつかった。


 吸い込まれていきそうなほど深い色の瞳。


「……私とセックスしてみる?」


「……はっ!?」


 顔に熱が集まる。みるみる赤くなっていくのを自覚するけれど、どっくんどっくんと早まる鼓動はどうにもならない。


 イタズラな瞳が私を見ている。本気なのか冗談なのか、ぜんぜんわからない。


 まるで試されているようだ。


「あの、結衣さんって、可愛くてめんどくさくない子、が好きなんですよね……?」


「それ、律から聞いたの?」


「私は、当てはまらないと思うんですけど」


 可愛いかどうかはさておき。めんどくさくない子、ではない自覚はある。


 色々と考えるタイプだ。その場のノリと勢いを大事にする方じゃない。


 わかっているはずだ。客観的に見ても私は、結衣さんの望む遊び相手にはまず向かないと。


「……結衣さんにとって、私って何なんですか?」


 ルームメイト。父親の友人の娘。大学の後輩。色んなラベルはある。


 一体どう言う気持ちで私のことを、この人は見ているんだろう。


「そうだなぁ……可愛くて、めんどくさい後輩」


 にっこり笑ってそう告げるから、思い切り手を振り払った。手に持っていたやすりを放り投げて、立ち上がる。


「結衣さんのバカ!」


 捨て台詞を吐いて、バタンと大きな音を立てて自室に逃げ込んだ。


 結衣さんは、追っては来なかった。


 今回は確かに私が悪かったと思うし、結衣さんにとって多分ちょっとした意趣返しのつもりだったんだろう。


 それでもあれはない。揶揄うのにも限度がある。


 自室のドアに背を預けてずるずると座り込む。


「ほんっと、もー、最悪……」


 心臓の音が鳴り止まない。


 そんな私の困惑を遮るように、ポケットが震えた。入れっぱなしだったスマホを引っ張り出す。


 チャットアプリに通知が一件。早川永太と名前が浮かび上がる。


『明日青澤の退勤時間に合わせて、店に傘返しにいくから。お礼に夕飯奢るよ』


 ふう、とため息をつく。あーあ、結衣さんが傘なんて貸すから、やっぱりめんどくさいことになった。


「……貸したのは私じゃないんだから、お礼するなら、結衣さんにすればいいのに」


 独り言は誰に伝わるでもなく部屋に響く。明日のバイトを思うと憂鬱で、思考を振り切るようにベッドに思い切り飛び込んだ。

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