異世界転生猫
猫は死期を悟ると飼い主の前から姿を消すことはよく知られている。
しかし、この事実に対し、我々はひとつの疑問に突き当たらざるを得ない。
果たして、姿を消した猫たちはどこに行ったのか?
ここで話は変わるのだが、最近、人間の世界において、現実世界で死んだ者が異世界で生まれ変わる定型の物語が一大ジャンルとなっている。
それでは異世界への生まれ変わりとは、人間だけに許された特権なのだろうか。
賢明な諸君は、もうお
その答えは「否」である。
異世界に生まれ変わるのはなにも人間だけではない。
猫も死ねば異世界に転生する! そう、猫も転生するのだ!
そこで今回は特別に、異世界転生猫の典型であるエムちゃんを例に、彼らがどのようにして異世界ライフを送っているかをご覧頂こう。
○
異世界転生といえば、まず思いつくのはチートスキルであろう。
この法則は、もちろん猫にも適用される。異世界転生する時には、猫だってチートスキルを獲得するのだ。
エムちゃんに与えられたスキルは『
これは、たとえば高所で足を滑らせ、背中から落下したとしても、空中で姿勢を立て直し、上手に着地できるという便利なスキルである。
このスキルのおかげで、エムちゃんはモンスターが苦にするような高台にも楽々と登り、無駄な戦闘を避けることができる。
とはいえ誤解しないで欲しいのだが、エムちゃんの戦闘力はかなり高い。
普段は隠し持つ鋭い爪と牙は、ひとたびチューチューを発見することで覚醒する。チューチューは、人間の食料を掠め盗り、死の胞子を蒔き散らす恐ろしい魔王の手先である。
そのチューチューをエムちゃんは、いとも容易く
過去の最高記録は一日で6匹のチューチューを仕留めたこともある。この記録はSクラスの冒険者でも容易なものではない。
さて、普段のエムちゃんは、孤独な一匹狼ならぬ、一匹猫として、各地のギルドを渡り歩いている。
エムちゃんがひとたび冒険者ギルドに足を踏み入れると、集まった冒険者たちの空気が一変し、たちまちざわめきが起こる。
「お、おい、猫が入ってきたぜ!」
「なんだよ、お前。そんなことも知らないのか。あいつはかまぼこ。たまにふらっと現れては、我が物顔でギルドに居座った挙句、また、どこともなく去っていく野良猫野郎さ」
エムちゃんには色んな名前があるのだが、このギルドでは「かまぼこ」の二つ名で呼ばれている。人前では実力をひけらかさないように気をつけていたつもりなのに
エムちゃんは受付でお姉さんからギルド報酬である煮干しを受け取る。それを部屋の片隅でこくりこくりと喉を鳴らして飲み込んでいると、美しき女戦士や、まだ少女の面影を残した魔法使いといった面々が次々と集まって、エムちゃんを取り囲んだ。
「ねえ、かまぼこ。ちょっとだけ抱っこさせてもらってもいいかな?」
「ちょっと、あなた、こないだも、かまぼこのこと独り占めしてたでしょう?」
「そうよ、今日はあたしたちの番なんだからね」
モテモテである。
このように複数の女性がたった一匹のエムちゃんを奪い合って争う光景は見慣れたものである。
エムちゃんは「にゃれにゃれ」とばかりに、急いで煮干しを食べ終わると、さっと身を翻して、その場を離脱する。
「ああっ、待ってよ〜」
背中から女たちの縋りつくような声が聞こえるが、いちいち気にしていられない。まったく、モテすぎるというのも考えものである。
ギルドを出たエムちゃんは、生け垣の灌木の枝の隙間を潜り抜け、表通りへと向かう。
いや、ちょっと待った!
生け垣の枝は入り組んでいて、隙間はわずかしかない。こんな狭いところを、ふくよかボディのエムちゃんが通り抜けるのは不可能ではないか。
しかし、心配は無用である。なぜなら異世界に転生した猫族は、大抵の場合、水魔法のアビリティが付与されているのだ。
エムちゃんも魔法で自分のボディを液体に変化させると、するすると枝の隙間を通り抜けてしまった。なにしろマスタークラスの猫族ならば、自分より小さいサイズの水瓶にすっぽりと収まることもできるくらいなのだ。こんなことは朝飯前だろう。
表通りを威風堂々と横切ると、エムちゃんは今度は野原へと向かった。
あまり人にみせないようにしているが、エムちゃんの高い能力はたゆまぬ努力に裏打ちされたものであり、毎日のトレーニングは欠かせないのだ。
野原では、集まってきた虫や、風で揺れるススキの穂先を相手取り、目にも止まらぬスピードで必殺パンチを繰り出す特訓に精を出す。
肉球パンチ! 肉球パンチ! もうひとつおまけに肉球パンチ!
ここでエムちゃんの表情にカメラをズームしてみよう。
見よ! この勇姿を! この凛々しき表情を!
誰に言われたのでもなく、ただ己に課した訓練を、ここまで真剣にやれる者が、人間族でもどれほどいるものか。
まさに百戦錬磨の迫力! その熱き眼差しは、何度も修羅場を潜り抜けてきたニャンコのそれである!
しばらくトレーニングをして、疲れてきたのだろう。天気もいいので日向ぼっこをすることにしたらしい。気持ちのいい芝生をみつけると、そのうえで身体全体の毛づくろいをはじめた。
惜しむらくは、エムちゃんほどの実力者ならば、その気になりさえすれば魔王も骨抜きにできるかもしれないのに、肝心の本猫にその意志がないことである。
英雄として歴史に名を残すより、そんなことはどうだっていいと人間族に任せ、のんびりスローライフを楽しむ。それが、賢明なるエムちゃんの流儀なのである。
おっと、どうやらエムちゃんが身体を丸め、ごろごろと居眠りをはじめたらしい。愛くるしい寝顔である。我々の気配で、エムちゃんの眠りを邪魔することのないよう、追跡はひとまずここまでとしたい。
○
いかがであっただろうか。
こうしてみてみると、人間の異世界転生でよく好まれるシチュエーションのほぼ全ては、猫の転生においても網羅されていることがわかる。
いや、むしろ逆転の発想をするならば、人間の異世界転生こそが、猫の転生をもとにした亜流なのかもしれない。猫こそが異世界転生のオリジンである。あらゆる異世界転生物語の源流を辿れば、そこには猫がいるのだ!
ところで異世界転生猫が、現実世界の猫と同じような生活スタイルをしていることを不思議に思う者がいるかもしれない。
しかし、我々がそんなことを気にする必要はない。どこにいようと彼らは変わることがない。たとえ異世界であろうと猫は猫なのだ。
そして、その自由奔放な気ままさこそが、猫族の最大の魅力といえるのだ。
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