アラフィフの社畜が美貌の伯爵令嬢に転生したので、理想のタイプの第三皇子と燃え上がるような恋をします

 エス女史は、大手商事会社でエリアマネージャーを務めるキャリアウーマンである。


 今年五十歳になるが、一度も結婚したことはなく、もちろん子供もいない。しかし、それはエス女史が人生を仕事に打ち込んできたという証拠であり、彼女の誇りでもあった。


 そんなエス女史が、その日はいつにもなく荒れていた。

 いつも仕事帰りに食事する馴染みの小料理でのことである。


「最近の若い子ってのは本当に……」


 エス女史は一人のカウンターで誰ともなくそう独り言ちると、お猪口の日本酒を呷った。若い頃は、まさか自分が「最近の若い者は……」と言い出す年長者になるとは、夢にも思わなかった。しかし、こうして年を重ねてみると、新しい世代の価値観があまりにも自分と違い過ぎて、愚痴のひとつも吐きたくなってくる。


 それというのも、彼女が数年前から目をかけてきた若手男性社員のエヌのことである。今朝、彼女が朝のルーティンであるメールチェックをしていると、エヌから年次休暇が申請されていたのだ。いつもなら問題なく承認するところだが、その日は会社にとって重要な商談が予定されていた。


 そこでエス女史はエヌを呼び出して、休暇の理由を尋ねた。


「その日、彼女が誕生日なんで遊園地に行くんです」


 エヌは悪びれもせず答えた。エス女史は驚いて反問する。


「でも、その日は、あなたも一緒になって、ずっとチーム一丸で準備してきた大事な商談があるでしょう?」


「大事な商談って、たかが仕事じゃないですか。僕には人生でもっと大事なものがあるので、恋人を選びます」


 エス女史は開いた口が塞がらなかった。

 

 彼女がエヌくらいのキャリアの頃は、仕事とプライベートを天秤にかけるなんてことは考えたこともなかった。いや、会社を結婚までの腰掛けと考える女性社員ならまだしもそういう風潮はあったかもしれないが、結婚後も家族の大黒柱として働かなくてはならない男性社員がそんなことを言い出すなんて、ありうべからざることだったといっていい。

 

 それとも、今の時代、こうやって男だからとか、女だからとか考える発想自体、どうしようもなく古びてしまっているのだろうか。


 もし、そうだとすれば、彼女はすでに社会の中で時代遅れの骨董品になりつつあるといえる。これまで、ただひたすら仕事のために生きてきた結果がそれでは、あまりにも救われない。


 エス女史は食事もそこそこに、苦い酒を胃に流し込むと会計を済ませ店を出た。これ以上、ここにいれば悪い酒になってしまう。そうすれば、絶望の底で、みたくもない自分の本当の気持ちを否応なく覗き込んでしまう羽目になってしまうかもしれない。

 

 エス女史は、決して容色に恵まれた女性ではなかった。そして、そのことは彼女自身が誰よりも自覚していた。

 それが彼女をして恋愛に奥手にさせた。この年になるまで、まともな男女関係の経験を経ることもないまま、仕事の方面にばかり情熱を燃やすことになったのは、あるいは代償行為の一種ではなかったか。


 彼女は車通りの多い交差点に出た。赤信号が青に変わるのを待つため、歩道の縁に立つ。すると、小料理屋で空っぽの胃に冷酒ばかりを詰め込んだのがよくなかったのだろう。

 急に足元がふらついて、車道へと乗り出してしまったのだ。


 耳をつんざくクラクションが聞こえた。

 振り向いたエス女史に、まるで襲い掛かる猛獣のように狂暴な光源が網膜に焼き付いたかと思うと、それを最後に彼女の意識は途絶えた。


 〇


――お嬢様、お嬢様。起きてください。


 エス女史の身体を誰かが揺らす。

 

「お嬢様、もうすぐお昼ですよ」


 エス女史が薄っすらと瞼を開くと、目に飛び込んできたのはメイド服を着た赤毛の少女だった。どうやらエス女史はひどく肌触りのいいシーツに包まれたベッドに、自分が寝ていることに気が付いた。

 エス女史はびっくりして尋ねた。


「あ、あなたは?」


「お嬢様、なにを寝惚けているんですか? いくら本が好きだからって、夜更かししすぎです。あれほど朝に障りがありますよとご忠告申し上げたではありませんか」


 赤毛の少女は呆れたように顔をしかめた。

 エス女史は身体を起こして、あたりを見回してみる。彼女がいるのは、品のいい調度品で美しく飾られた部屋だった。大きなガラス戸からはバルコニー越しに緑の葉が陽の光を浴びて揺れている。

 

 どういうことだろうか。彼女は少しずつ記憶を取り戻す。そうだ。確か、あの夜、道路に飛び出して車に轢かれそうになったのだ。あれからの記憶はないが、今こうして生きているところをみると、どうやら助かったのだろうか。

 そうなると、ここは病院だろうか。


 しかし、なにかがおかしい。

 自分の身体がまるで自分のものではないようなのだ。エス女史は化粧台に鏡を見つけると、立ち上がって、目の前に立った。


 エス女史は息を飲んだ。

 そこに映っていたのは見たこともない若い女性だった。まず目を惹くのは陽の光のように輝く金色の頭髪。さらに雪のように白い肌。あごは細く締まり、星のように美しい瞳と、彫刻のようにすらりと通った鼻。ほのかに桜色をした唇は、驚いた形のまま真珠のように白い歯をわずかにのぞかしている。


 絶世の美女といっていい。


「どうしたんです、お嬢様。本当に今日はおかしいですよ?」


 赤毛の少女にいわれて、エス女史はようやく我に返った。


「あ、あの……これって……」


「もう。そんなことでは、今日のパーティーで恥をかいてしまいますよ。御父上との親善のため、国王陛下の名代として第三皇子のヘラルド様も来られる大事な催しでございますから、ワインバンド伯爵令嬢として、しっかりしないと」


「ワインバンド伯爵?」


「はいはい。もうわかりましたから。朝食には遅い時間ですが、パーティー前になにか胃に入れておいてください。それが淑女の嗜みですからね」


 そう言って赤毛の少女は、エス女史の肩に手をやり、テーブルチェアに腰を下ろさせた。テーブルの上にはパンケーキとゆで卵とりんご、それに湯気の立つ紅茶が並んでいる。

 ちょうどお腹の空いていたエス女史は勧めに従って食事を頂くことにした。


 エス女史はパンケーキをフォークで口に運びながら考える。


 どうやら、これは生まれ変わりというやつではないだろうか。

 そういえば職場の飲み会で、若い女子社員からそういう話を聞いたことがある。なにか最近は、現実世界で死んだ女性が、中世ヨーロッパ風の世界に生まれ変わって幸せになる話が流行っているらしい。


 だとすれば、やはり彼女はあの夜に死んでしまったのだ。


 しかし、エス女史は長年ビジネスの最前線でキャリアを積んできただけあって、こんな時の頭の切り替えは早い。生まれ変わったというなら、過去のことを悔やむより、この世界でどうやって生きていくかを考えるべきである。


 朝食を終えると今度は着替えになった。赤毛の少女が持ってきたレースのついた深緑のドレスに身を包むと、ほれぼれするような装いになった。


 パーティー会場となる広間では、すでに出席者が集まりつつあるという。エス女史は赤毛の少女に促されて、部屋を出て階段へと向かった。


 屋敷の広間は吹き抜けになっている。エス女史が階段の上に姿を現すと、それに気付いた誰かが「ワインバンド伯爵令嬢だ!」と声をあげた。その瞬間、会場の空気がまるで時が止まったかのように静かになった。その場にいた男性諸氏は階上に目をやると、そのまま魂を抜かれたように動けなくなってしまったのだ。


 エス女史にとって、それは決して気分の悪いものではなかった。今の彼女はそれに相応しいだけの美貌の持ち主なのだ。彼女がにっこりと笑顔を浮かべ、軽く会釈をしてみせると、湧きたつような歓声があちこちに起こった。その笑顔が自分のために向けられたものだと、誰もが疑わなかったのだ。


 彼女はゆっくり階段へと足を降ろしていく。その一挙手一投足に会場の熱い視線が注がれる。その火照りを感じながら、彼女は自分がこの場の支配者なのだと確信した。


 その時だった。彼女が登場した時と同種の静かなどよめきがおこった。玄関が開かれ、そこに瀟洒な礼装に身を包んだ長身の美男子が現れたのだ。

 この国で高貴なる血を受け継ぐ証とされる真黒な髪。鋭く精悍な瞳。鼻梁は高く盛り上がり、口元にはまだ少年の匂いを残したあどけなさと力強さが奇妙に同居している。全身は細く引き締まっているのに、その挙措からは粗野さは一切感じない。


 この日の主賓である王国の第三皇子ヘラルドであった。


 今度はその場にいた男性陣だけでなく、女性陣も色めき立った。前者は国王の金枝玉葉である皇子とこの機会に縁故を取り結ぶため。後者は皇子を理想の結婚相手として、なんとかお目にとまりたいと考えているのだろう。


 すぐに行動に移したのは男性陣の方だった。たちまち皇子の回りには、有力者の男たちが群がり出す。


 まだ世間ずれしていない皇子は、そんな状況に慣れていないのだろう。微笑みとおべっかのお化粧で醜い下心を隠した男たちの応対に、戸惑いの表情をみせている。皇子は困ったように視線を上げ、そこで階段の踊り場にいたエス女史の姿を認めたらしい。


 その瞬間、まるで時が止まったかのように、エス女史の目が皇子の視線と重なり合ったのだ。


 エス女史の全身に雷のような電流が走った。

 経験がなくとも、それがなんなのかくらいはすぐにわかった。


――そうだ!


 彼女の脳裏に狂おしいほどの切なさで、とある考えが浮かんだ。

 なんの因果かわからかない。それでも前世で死んでしまった後、こうして第二の人生を与えられたのだ。それなら、この世界では後悔しないよう自分の思うがままに生きてみたい。


 生まれついた容姿からくる自信のなさから、かつては望むことすら自分で諦めてしまった儚い願い。口に出すことさえ臆病にならずにいられなかった小さな夢。

 恋がしたい。それも激情に身を委ねるがまま狂おしいほどの愛し愛される、燃え上がるような激しい恋を――。


 それが今の彼女なら――絶世の美貌を持って生まれた現在の姿なら叶えることができるのだ。


 そう決意するや、エス女史は躊躇しなかった。

 階段を降りると、男たちを強引にかきわけ、皇子の正面に出た。皇子はそんな彼女に口元を緩めたまま目を細める。その特徴的な笑い方は、どこかエヌを彷彿とさせた。


「ごきげんよう。ワインバンド伯爵の娘です」


「ああ、これは。お招きいただきありがとうございます。ヘラルドです」


 ヘラルドはそう言うと、エス女史の手を取り接吻をした。その頬に熱っぽい輝きがあるのは、彼女が国王にとって重要な権柄家の娘というだけの理由ではないだろう。


 彼女はその反応に満足しつつ、皇子の目を真直ぐにみつめながら言った。


「もし、よろしければ、今日のパーティーでは一緒に踊ってもらえませんか?」


 その瞬間、人々の間から、どよめきが起こった。エス女史のあまりの大胆さに驚いているのだろう。もしかしたら、この世界では女性から男性を誘うのは一般的な儀礼に反しているのかもしれない。


 でも、構うものか。


 エス女史はこの世界で好きに生きていくと決めたのだ。くだらない伝統や保守派とやらの固定観念に縛られて、みすみす好機を逃すような真似をすれば、それこそ後悔する。


 彼女が大手商事時代にいくつもの大型商談を成功させたのは、男顔負けの押しの強さにあった。ヘラルドにも、そうやって積極的にアタックしていって、この恋を成就させてみせる。


 そうしてこそ、この世界に生まれ変わった意味があったといえるのだ――


 〇


 一カ月後。

 

 エス女史は処刑場にいた。


 その理由は、彼女がある罪状により有罪判決を受けたからだ。その罪状とは魔女であること。エス女史は、いわゆる異端審問により、悪魔と契りを交わした魔女であると認定されたのだ。


 この世界の女性観はエス女史の想像以上に保守的だったようだ。


 彼女がヘラルドに積極的に恋を攻勢を仕掛けた結果、彼女は世間から伝統秩序を脅かす存在と見做されるようになった。

 慎み深く男性に庇護されるべきはずの淑女にあるまじき破廉恥な振る舞いを平然と行い、人々を悪魔の誘惑に堕すべく策動した魔女。

 それが最終的に彼女に突きつけられた法の剣だった。


 国王の息子も巻き込んだ事件であるだけに、有力貴族である彼女の父親の奔走も虚しく終わった。


 結局、彼女は正式に魔女と認定され法の裁きによる死を賜ることとなったのだ。


 その日、処刑はつつがなく行われ、エス女史は形状の露と消えた。


 生まれ変わってからわずか一カ月、ワインバンド伯爵令嬢の肉体年齢としても十六歳の若さだった。


 とはいえ、この話にひとつだけ救いがあるとすれば、最後の最後でエス女史の願いが叶ったことにあるだろう。


 なぜなら魔女の処刑方法といえば、皆様もご存知の通り“火焙りの刑”と決まっているからだ。


 そう。


 エス女史の恋は、文字通り「燃え上がる」ものとなったのである。

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異世界ショートショート劇場 円 一 @madokaichi

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