第34話 ディストピアルーム

少し睨むような視線が、不安に満ちた、助けを求めてるような目に変わった。とても怯えているように。


「どういうことや楠木君」


「逃げるってどういうこと。昨日5人で仲良さそうに話していたじゃないか」


 ふたりはたまらず抗議した。否定したくなる気持ちも分かる。傍から見ればただの仲良し5人グループだ。


「もちろん、仲が悪いというわけではないのかもしれない。…気づかなかったか。相川さん以外誰も指に絆創膏は巻かれていなかった。それは何故か…」


 梶原は、まっさきに答える。


「他の部員がみんな絵が上手で手を切ることがなかったからとか?それが恥ずかしくてコソコソとしてた。それなら辻褄が合う」


 俺もそう考えた。だが俺はこの目で見てきた。あの部の実態を。故に分かる。だから梶原の考えが違うと断言できる。


 なぜ相川さんは逃げていたのか。なぜ指に傷があるのが相川さんだけなのか。


「あの部室は、美術部としての活動をしていないんだ。昨日見てきた。相川さんの所属しているグループとやらは、テーブルにトランプを広げて雑談に夢中だった。それがここの部のように部のコンセプトがないなら構わない。だが美術部は違う。文化祭のデッサンを展示することを目標にしている。あのグループだけじゃなくて、ほかもそうだった。ただの雑談室だった。目的を持って活動する部活とは思えない。真面目に絵を書きたい奴には、耐えきれないだろう」


 だから静かな教室を選んでいたんだろう。人気のない図書室。誰も使わない技術棟。生徒が全員帰った教室。先生のいない保健室。


「逃げていたと言うなら、鍵をかけていたのも辻褄が合うだろ」


 3人はあ…となにかに気づいたようで、哀しい顔をした。


 そうだ。逃げていたから。彼女たちに見つからないために、わざわざ鍵をかけていたんだ。それほどに彼女は、絵に打ち込みたかった。


「せやけど…それやとしたらなんで自分らの棟の鍵と保健室は開いてたんや?」


「部活生徒の最終下校時刻は7時だ。その頃に帰ってしまっては、美術部と鉢合わせる」


「じゃあ早く帰ったら良かったんじゃ?」


「美術室があるのは一般棟。東階段のそばにあるだろ。下校する生徒は誰しもあそこを通る。部活途中で帰る生徒は悪目立ちするからな。見つかる可能性が高くなる。だから全員が帰った後に帰ったんだ。帰ったかどうかは、下の窓から確認できる。


 相川さんの手順はこうだ。まずはじめに鍵が開いた技術棟に入る。そして美術部が来ないように鍵を閉めた。その後で俺が入って来た。恐らく俺が上がったタイミングを見てすぐに鍵をかけようとしたはずだ。だがそれができない理由があった」


 あの日といえば、床のホコリがすごかった日だった。


「技術室の先生が廊下を掃き始めたんだ。そのせいでかけれるはずの鍵をかけられなかった。そのまま階段裏に隠れていた。先生が過ぎて鍵をかけようとした。しかし今度は伊沢と千春が入ってきた」


「だから僕たちが入った時は鍵が開いてたんだ」


 つまるところそういうことだろう。閉められなかったから、開いてたんだ。まぁ推測に過ぎんが。俺は頷いて答えたあと、続けた。


「技術の先生が出てすぐ、急いで鍵をかけた。だから梶原だけが外に閉じ込められるという状況を、俺らなしで完成させることができた」


 部員には見つかってはいけないし、当然ながら他の生徒にも見つかるわけにはいかなかったはずだ。しかし、技術室にいるところを、偶然見つかってしまった。くるりと回って技術室を出たものの、その場で外に出たら見つかってしまうことを恐れ、階段裏に隠れた。技術棟の階段裏というのは、掃除道具入れに隠れているため、覗かない限りは見つからない。どれだけ探してもいなかったのはそういうことだろう。


「鍵が開いてたのは、俺らが全員帰ったあとでここをでたからだ。入る手段はあっても、出たことを隠す手段はない。保健室も同じだ。戸締まりしたあとで中から鍵を開け、そのまま帰る。最終の戸締まりをする先生は、俺らが鍵を閉め忘れたと勘違いしたわけだ」


 しかし当然ながら、3人の中では完全に疑問が解消されたわけではなく。


「でも、昨日保健室で会ったとき、相川さんの髪は短かったよね?あれはどういうことなの?」


 相川さんの見た目は、今と昨日とでは決定的に違うところが1つある。それは今千春が言った通り髪型だ。昨日保健室で会った相川さんは、ショートヘアだった。しかし学食と、今日ここで会っている相川さんは、ロングヘア。女子にとことん興味が沸かない俺には、こればかりは説明できんが、代わりに相川さんが答えてくれた。


「それは見せてるだけ。くくり方でこんな髪いくらでも短くなるもの」


「なるほど……ちょっとしてみてくれへん?気になるわ」


「いいよ」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る