episode1-閑 桜ノ宮のはかりごと
「ん~、今日は疲れたわ」
咲良町の郊外にある住宅街の一画、どこにでもある普通の二階建て一軒家の中で、桜ノ宮はふかふかのソファに深く腰を下ろして疲れを紛らわすように大きく伸びをしていた。
お金持ちのお嬢様の自宅としては少々控え目に見える住宅だが、この家は桜ノ宮が高校進学にあたり通学しやすいようにと買い与えられたセカンドハウスであり、実家は東京特別区の高級住宅街に存在する。
「お嬢様、はしたないですよ」
同居している専属使用人の根付弥勒がソファの後ろに控えながら、上流階級らしからぬ桜ノ宮の振舞いを感情の籠っていない平坦な声で見咎める。
桜ノ宮は身だしなみに至るまで全てを使用人が担当するほど絵にかいたようなお嬢様ではないが、それでも実家の家事のほとんどは使用人が行っていた。そのため、セカンドハウスに住まうにあたり自分で家事をする気など毛頭なく、幼少より自分に仕えている弥勒を同居させて家事全般と護衛を任せている。
女子高生の桜ノ宮と20代前半の弥勒という年頃の男女が二人暮らしをしていることについて、色々と邪推されることもあるが二人は恋仲というわけでもなく、あくまで主従として生活を共にしているに過ぎない。
「良いじゃない、誰が見てるわけでもないわ」
「私が見ております」
「犬の前でまで格好つけてたら息が詰まるでしょ。弥勒の癖に生意気よ」
「それは失礼いたしました」
弥勒に対する桜ノ宮の態度は、普段の友人たちに対する人当たりの良いものや、ダンジョン内での氷室に対する冷静な様子とは異なる、どこか砕けたものだ。
良い言い方するのなら遠慮のない仲、悪く見るのであれば傲慢とも言える言葉だが、当の弥勒は特に気にした様子もなく、やれやれというように肩を竦めて言葉を返している。
「それよりお腹が空いたわ。食事の準備は?」
「下ごしらえは終わっておりますので、すぐにご用意いたします」
桜ノ宮の言葉を受け、弥勒は淀みなく答えてキッチンに移動しテキパキと調理にとりかかる。
下ごしらえは終わっているという言葉通り、それほど長い時間もかからずに良い匂いが漂い始めた。
「相変わらず用意が良いわね。私が生きるか死ぬかって時にのんきに料理でもしてたのかしら?」
「この程度のことでお嬢様が死ぬはずがないと信じておりますので」
桜ノ宮に対する返答の通り、弥勒はダンジョンアサルトの報を聞き、桜ノ宮が巻き込まれていることを知ってもなお、現場に駆け付けることなくいつも通り仕事をこなしていた。その真意が言葉通りかまでは桜ノ宮にはわからないが、用意の良さから職務に忠実だったことはわかる。
「わかってるじゃない、褒めてあげるわ」
「光栄です」
普通なら、自分と仕事のどっちが大事なのか、心配していなかったのかと怒ってもいいところだが、桜ノ宮はむしろ上機嫌そうに笑って誉め言葉をかけ、弥勒も驚くことなくいつも通りに言葉を返して料理を続けている。
桜ノ宮は昔から、逆境にあって心配されることよりも信頼されることを好んだ。そして弥勒もそれを知っているからこそ、主人の意に沿うよう動いている。
「ご褒美に朗報を聞かせてあげる。
「それはそれは……、流石でございますお嬢様。であればより確実に、お嬢様の安全をお守りすることが出来ます」
「ふふ、嬉しいでしょう?」
「もちろんでございます」
魔力と言われる様々な異能の動力源となるエネルギーはこの世界にも存在しているが、魔力そのものに何らかの「属性」が宿っているのは異世界特有の現象であり、一部の科学者はこの異世界の魔力を研究することで新たな技術や異能を発明している。
しかし異世界特有の現象であるがために研究サンプルの安定的な確保が難しく、ダンジョンから鉱床が発見されたものとそうでないものとで進捗状況に大きな差があるのが現状だ。
鉱物資源と言っても全てのダンジョンから同じ鉱石や岩石が採掘出来るわけではなく、同タイプの坑道型ダンジョンでも含まれる資源の数や比率は場所によって全く異なる。
風霊石は世界中のダンジョンの内数か所で鉱床が発見され、属性霊石の中では研究が進んでいる方だが、技術を実用化するためには全く流通量が足りていない。
「一般に普及できるレベルではないけれど、うちの研究所で使う分には多すぎるくらいよ。私の功績も考えれば弥勒のカートリッジの供給が不足することはないでしょうね。ふふ、露出してる鉱床を見つけた時はどうやって確保しようか悩んだけど、面白い子がいて助かったわ」
「……お嬢様、まさかそのためにダンジョンを踏破されたのですか?」
桜ノ宮がダンジョンアサルトに巻き込まれただけではなく、少人数でそのダンジョンを踏破して脱出して来たのだという話は弥勒も聞いている。いくら自信家と言えども、ダンジョンの危険性と指揮官の強さを十分に知っている桜ノ宮が普通ならそんな無茶をするはずがなく、何かしらの思惑があったのだろうということは弥勒も予想していたが、今の話しぶりからするにその目的は風霊石の確保であったことが伺える。
「そうよ。これでグループ内の私たちの発言権は無視されない程度にはなるし、弥勒の異能も強化できて自分の安全にも繋がる。それに、興味深いホルダーとの繋がりも持てたわ。リスクが大きいことを加味しても、賭けるだけの価値はあったわ」
「左様でございますか。お嬢様のことは信頼しておりますが、あまり無茶はなされないように。旦那様と奥様が心配されますよ」
「大きなお世話よ。……でもパパへの報告はちょっと内容を考えないといけないわね。弥勒、食事の準備ができたら呼びなさい」
「かしこまりました」
桜ノ宮の父母は娘のことを溺愛している。セカンドハウスでの二人暮らしを始める際も、当初は週末に必ず実家へ帰ってくるようにという条件をつけられていた。交渉の結果その頻度は月に1度にまで減らすことが出来たが、会えない時間が長くなったせいか帰省するたびに桜ノ宮は両親に鬱陶しいほど構われている。
そんな二人に対してありのまま起こったことを全て報告すれば、ひと悶着あることは想像に難くない。
また、そうでなかったとしても桜ノ宮は全てを正直に報告するつもりはない。ダンジョンの踏破に沖嶋たちが関わっていることや、氷室の異能がダンジョン内で冒険者以外の異能を使えるようにする力を持つことは隠蔽する。
「いつまでも唯々諾々としてるほど、私は甘くないわよ」
端正なかんばせに好戦的な笑みを浮かべ、桜ノ宮は楽しそうにそう呟いた。
☆ ☆ ☆
「お嬢様、お食事の用意ができました。……お嬢様?」
食事の準備ができ次第呼べと言われてから黙々と静かに料理を続けていた弥勒が、盛り付けを終えた皿をダイニングの机に並べながら声をかけるが桜ノ宮からの返事はない。
弥勒に対しては我儘で傲慢なお嬢様である桜ノ宮だが、たとえ機嫌が悪かったとしても相手を無視するような子供じみたことはしない。
怪訝に感じた弥勒が桜ノ宮の様子を見に行くと、珍しくソファに座ったまま眠ってしまっているようだった。
「よく頑張りましたね、お嬢様」
弥勒は桜ノ宮の隣に腰掛け少し傾きかけていた身体を支えてあげながら、先ほどまでの事務的な声音が嘘のように優しい声でそう告げる。
普段は居眠りや寝落ちをするようなことはないからこそ、今回の事件がどれほど大変なものだったのか弥勒にもわかる。
「まったく、困ったお方です」
心配していなかったはずがない。本当は仕事など放りだしてすぐにでも咲良高校へ駆けつけたかった。しかし主人はそれを望まない。心配されていなかった方が満足気に喜ぶのだ。だから弥勒は、心配と不安に苛まれながらも、いつも通りに振舞い、与えれた仕事をこなす。
桜ノ宮の異能によって突然呼び出された時の安堵と喜びをきっと桜ノ宮は知らないだろうと、弥勒は隣ですやすやと眠るお嬢様を見て思う。
桜ノ宮は弥勒の全てだ。弥勒の生きる意味は桜ノ宮を守るためにある。
弥勒の生家である根付家は、代々桜ノ宮家に仕える一族だ。弥勒はその中でとりわけ優秀なわけでもなく、さほど期待されていたわけでもない。そんな弥勒を、桜ノ宮は幼少のみぎりより専属の使用人として側に置いていた。桜ノ宮自身も一族の中では傍流に位置する身だが、弥勒とは違い出会った時から才覚に溢れる存在だった。
出会って間もない頃に感じていた、この少女の行き着く先を見たいという好奇心のような気持ちは、努力を惜しまないひたむきな姿を見守るうちに、いつの間にかお嬢様の覇道を支えたいという忠誠心に変わっていた。
もちろん長年専属使用人として過ごしていれば、良いところだけでなく、我儘なところや傲慢なところが見えたり、反骨精神の強さと負けず嫌いな性格からくる無茶な行動に振り回されることもある。だが弥勒はそれもまたお嬢様の魅力だと感じている。
だから言葉では無茶をしないようにと言いつつも、実際のところ弥勒は桜ノ宮のそうした行動を本気で止めようとは思っていない。心配はするし不安にもなるが、桜ノ宮にとってそれが必要なことなのであれば、弥勒もまた桜ノ宮に付き従うまでだ。
「ですからどうか、次は私もお連れ下さい」
起きているときにこんなことを言えばきっとまた、弥勒の癖に生意気よ、と怒られるだろうと想像して、弥勒は困ったような笑みを浮かべるのだった。
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