episode1-11 如月りり

「あたし、こんなつもりじゃ……!」


 如月りりにとって、氷室凪は気に入らない男だった。

 愛想が悪いとか、ぶっきらぼうの格好つけだとか、態度がデカいとか、偉そうとか、嫌いな部分を数えていけばキリがないが、しかし実のところそれらは全て順序が逆。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというように、如月はある大きな理由で氷室を嫌う、というより警戒するようになった。そのある理由以外は後付けに過ぎない。気に入らない奴だから何もかもが嫌な部分に見えているだけなのだ。


 ではそのある理由とは何か?

 答えは単純明快。

 如月りりが片思いしているクラスの男子、沖嶋陽介が氷室のことを特別視していることだ。


 沖嶋はスポーツ万能で成績も良く、何でもそつなくこなす秀才であり、それでいてそのことを鼻にかけることはなく誰にでも分け隔てなく接する気さくで誠実な好青年だ。おまけにイケメンでスタイル抜群。クラス一、いや、学年一の人気者と言っても過言ではなく、少女漫画の世界から抜け出して来た王子様なのではないかという噂が真剣に囁かれている。彼に恋をしている女生徒は両手の指でも数えきれないほど存在し、如月りりもその一人だ。

 恋のライバルは多いが、強力なホルダーであるという共通点から親しくなり、いつメンと呼べるほどの友人となったことを考えれば、如月は他の女生徒たちよりも一歩どころか数歩はリードしていると言えるだろう。


 だが、親しくなったことで新たに見えてくることもある。

 それが今まで如月の意識の外にいた氷室凪という男子の存在だった。


 いくら沖嶋が誰にでも平等で優しい男だとは言っても、普段からよくつるむ友人とそうでない者となれば多少の心情の違いはあるものだ。気の置けない仲とでも言えば良いだろうか。いつメンと話している時の沖嶋は、ただのクラスメイトと話している時と比べるといくらか力が抜けている、リラックスしていると如月は感じている。如月は勉強が出来ないし難しい考え事も苦手だが、そうした人の感情の機微を察するのは得意であり、恐らく自分の直感に間違いはないだろうと確信していた。


 だからこそ、氷室凪という男子に対する沖嶋の感情が最初は理解できなかった。


 如月たちと話している時とは真逆の、憧れの人を前にした時の子供のような高揚感。

 他の人に比べて頻繁に話しかけるようなことはない。目に見えてテンションが高いということもない。声音が違うとか、そわそわしているとか、そんなわかりやすい仕草もない。きっと誰も気づいていない。だが如月にはわかる。沖嶋を好きになって、ずっと見続けて来たから、その視線を釘付けにしようと努力してきたからわかる。


 沖嶋陽介にとって氷室凪は特別なのだと。

 そしてそれに気づいた瞬間から、氷室凪は如月にとって最大の敵となったのだ。


 とはいえ、その特別の意味が恋愛的なものだと即座に結び付けるほど如月は短絡的ではなかった。沖嶋くんに特別扱いされててズルい、ムカつくという気持ちが積もり積もって徐々に天秤は嫌いへと傾いていったが、一方で所詮は男子という余裕もあった。

 しかしその余裕は呆気なく消し飛ぶこととなる。原因は氷室凪の突然の女体化。しかも、学年でも3本の指に入るくらいには可愛いと自負している如月の目から見て、自分より可愛いのではないかと思ってしまうほど儚げで可憐な少女の姿。

 そんな可愛らしい少女が自分の想い人と楽しそうに笑い合っているのを見て、咄嗟に割って入り牽制してしまった如月を誰が責められようか。


 別に如月とて、本気で沖嶋と氷室がどうこうなるなんて思ってはいない。いくら性別が変わったとは言っても、話をしている感じから氷室の性自認まで変わったわけではないことはわかるし、沖嶋も元の氷室を知っているのだからまさか恋愛感情を抱くなんてことはないと頭では理解している。恋する乙女の本能が衝動的に如月を突き動かしたに過ぎない。


 そう、だから最初に言っていた通り、こんなつもりじゃなかったのだ。


「止まってっ、止まってよ!」


 全身に力を込めてなんとか動きを止めようとしながら、如月は震える声で自分に言い聞かせる。


(嫌いだからって、女の子になったからって、沖嶋くんと楽しそうに笑い合ってたのに嫉妬したからって、それでクラスメイトを殺そうなんて思ってない!)


 初めて人に刃を向けた。

 もしも氷室が避けていなかったら、人を殺していたかもしれない。

 その恐ろしい事実が、現実が、如月の背筋を冷たく這い上がる。


「お前らの王はこの俺だろうがぁぁぁ!!」


 にじむ涙によってぼやけ始めた視界の中で、氷室が吠えた。


「君臨する支配っ!!」


 かつての腹の底に響くような低く重い声からは想像できないほどに、可憐で愛らしい高い声が岩づくりの広間に響き渡る。

 それによって目に見えない何かが変わったのか、如月りりにはわからなかった。彼女にわかったのは目に見えることだけ。

 ゼリービーンズの兵隊たちが滑らかに動き出し怪物たちの方へ駆け出したこと。目の前にいる想い人、沖嶋陽介の動きが止まったこと。そして声の主である人物、氷室凪の姿が突然現れた何かに隠れて見えなくなったこと。


「やだっ……、こんな、こんなの!」


 自分だけがまだあの耳障りな歌声の呪縛から逃れらていないと理解して、如月は泣きそうな声をあげる。自らの意思に反して動く身体が標的を沖嶋に変えたのだ。震える剣の切っ先が、如月の大切な人へと向けられている。


「氷室っ! なんであたしだけぇ!!」


 仕組みまではわからなくとも、氷室が何かしたことでゼリービーンズの兵隊たちや沖嶋が自由を取り戻したのだろうことは如月にもわかる。だからこそ、なぜ自分だけ解放されていないのかと責めるように声を荒げる。


「旗下にいない……。条件はなんだ?」

「沖嶋くん! 避けて!!」

「氷室! 俺は動けるけどりりちゃんがまだだ! どうすれば良い!?」


 如月の腰が引けたたどたどしい一撃を余裕をもって回避しながら、沖嶋が氷室に大声で問いかける。


「フレームイン『チェイン』っ」


 高揚を隠し切れないというような、どこか弾んだ声で氷室がそう口にした直後、沖嶋の胴体と両腕に鎖が巻き付いた機械的な金属鎧が現れた。


 特殊な能力を有する鎧、その名も「フレーム」。


「!? なんっ、氷室!?」


 あり得るはずのない現象に沖嶋が困惑の声をあげる。


 『チェイン』のフレームは紛れもなく沖嶋が持つ異能であり、それを呼び出せるのは沖嶋自身のみのはず。にもかかわらず、氷室はそのフレームを呼び出した。

 そして何より、ダンジョンの中で異能が発動した。前例がない。あり得ないはずの現象。あり得ないはずの異能。


「鎖を使え。如月を抑えるのはお前の異能が適任だ」


 多少なりホルダーや異能とダンジョンの関係を知っている人間ならば、氷室が引き起こしたのであろう現象に様々な疑問を抱いたことだろう。そしてその疑問は少なからず行動を遅らせる迷いとなっただろう。今まさに混乱の渦の中にいる沖嶋のように。


「やって! 沖嶋くん!」


 だが如月は迷わなかった。

 理屈や原理なんてどうでも良い。異能というものに全く興味がないからこそ、なぜダンジョンの中で異能が使えるのかなんてどうでもよかった。なぜ氷室が沖嶋のフレームを呼び出せるのかなんて疑問にも感じなかった。


 ただ純粋に、沖嶋の異能なら自分を止めてくれると信じた。


「わかったよ、りりちゃん」


 沖島の答えに応じるように、鎧に巻き付いていた鎖がまるで生き物のように自由自在に動き始め、如月の身体を絡めとるように巻き付いた。

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