自己皇帝感の家で 未完



「愛しきれる?」

 そう彼女‐行雲鴨‐は問うた。

「愛しきれるさ。」

 そう僕は答えた。

 それが僕たちのすべてであった。


「自己肯定感が家出したの」


 四月初旬。桜が散りかけるころ。教室から窓の外の桜を眺めて、彼女は物憂げにそう言った。


「それは、大変だね」


 大変だろう。多分。


「そう、大変なの。だから。私を愛して」


「なるほど?わからないかもしれない」



「そう?自分で肯定できないから、あなたに肯定してもらおうと思ったんだけど」


「そうなんだろうね」


「あなたを選んだのも、きっとあなたならうまく愛してくれるからよ」


 わたしよりも、という言葉が含まれているようにも聞こえた。


「それはわからないけれど、この際そこはいい。」


「では何が必要なの?」


 ひつよう、という口の動きが妙にきれいに、蠱惑的に見えた。魅せ方や、見え方とい うものを分かっているのだろう。いつもの彼女のやり口だった。


「彼氏に向かって、わざわざ言うことじゃないんじゃないかな」


 足りなかっただろうか。僕自身、それなりに愛情は重いつもりだ。毎日顔を合わす度に愛を伝えてはいる。連絡も日に数十件は取り合っているし、勉学の合間とはいえ、デートだってそれなりには。


「足りない、とか、そういうい次元じゃぁなくて」

 

 ほんとうに、自己肯定感が家出してしまったの。と言った。




 帰り道、少しだけ教室で時間をつぶしてから遠回りをして、学校から帰るのが僕らの日課だ。

「それで、どういうことなのかな」


「モモって知ってる?」


「ミヒャエル・エンデの?」


「そう。時間泥棒のはなし。」


「あんまり覚えていないけれど、それがどうしたの」


「同じように、自己肯定感を盗む泥棒が現れたの」


「そっか、それは大変だね」


「そう、捕まえては、取り返しているんだけどね」


「捕まえられるものなんだ」


「うん、さすがに私だから。豪運の、私だから。」


 そういわれると、そうではあるんだけど。それを言うなら、そもそもあなたにかなうものがいない気もするけれど。


「でもね、いつまでも現れ続けるんだ」


「そう。珍しいね、君が望んでいるのにそれが消えないなんて。

願ったことがすべて叶ってきた、豪運の君らしくもない」


 拗ねるかとも思ったけれど、彼女は真剣にその言葉を受け止めていた。


「違うのよ。

きっと、私が願っているから、自己肯定感泥棒が消えないの。」


 だから、泥棒を消すために、私を愛してほしいの。とあでやかな唇で彼女は語った。




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