第19話

 宵闇町に戻って、彼らが住んでいるアパートの向かいにある銭湯にそのまま直行した。



「ふたりの着替え持って来てあげるからカギちょうだい」



 ふたりに付いて来た桃瑠がそう言って手を差し出した。



「おう、頼む」



 祇鏖はデニムの後ろポケットに入れていたキーケースを取り出すと、桃瑠に渡した。鍵を受け取り雨の中をものともしないような軽やかな足取りで桃瑠がアパートに向かうのを見送って、ふたりは銭湯の暖簾をくぐった。



「いらっしゃ・・・・・・何だい、もう脱いでんのかいダンナ」



 番台に座る銭湯の主人がぎょっとした顔で祇鏖を見た。見た目は人の好さそうなハゲ親父だが、その正体は河童である。

 脱いだTシャツを左肩に乗せ、その屈強な上半身を惜しげもなく晒して歩いている祇鏖を河太郎は揶揄った。



「おう、待ちきれなくてな」



 そう言いながら、祇鏖は恥じ入る様子も無く番台に千円札を置いて身体を洗うタオルやせっけんなども買った。

 番台側に打ち付けられたプラスチックの板に、入浴料や身体を洗うタオルや石鹸などの料金が書かれていたが、どれも五百円を超えるような金額では無い。文字の掠れ具合からも、随分古い料金のまま経営しているのが分かる。



「しょうがねえなー、ふたり共服は脱いだらそのままカゴに入れときな。ソレはこっちで始末しといてやるよ」



 多くを語らずとも、微かに残る血の匂いと汚れた衣服。そして見慣れぬ狒々の気配で色々察した河太郎にそう言われて、祇鏖は礼を言った。



「済まんな河太郎」

「いやあ、それぐらい良いって。それよか怪我がなけりゃいいさ」



 河太郎とはそれなりに長い付き合いだ。たまに珠緒の店で鉢合わせたりすれば、一緒に飲むこともある。

 脱いだ服をカゴに入れ、何時もであればロッカーの中に入れるのだけれどそれはしないで、貴重品だけロッカーに入れて風呂場に向かった。



 ガラスの引き戸の向こう側は先客も無く、半ば貸し切り状態であった。



「わあ、誰もいないね!」



 普段風呂に入る時間帯はそこそこの人数が出入りする時間帯である為、昼前の早い時間は初めての慈雨はちょっと感動して控えめにだがはしゃいでいる姿と、そして広い風呂場にふたりきり、と言う時間を満喫しながら祇鏖は矢張りアパートを出て一軒家を買うべきだな、と確信していた。



 風呂から上がると、桃瑠がコーヒー牛乳を飲みながら待っていた。



「おっつー」



 アンティークなデザインの、木枠で紅い革が硬めに張られた長椅子に腰掛け、ふたりを認めるとひらひらと手を振った。



「着替えソレ」

「ありがとー」



 慈雨は桃瑠に礼を言いながら持って来てくれたバスタオルで身体を拭き始めた。



「良かったね、慈雨。これからはあのおサルさんにおびえながら暮らさなくて良くなるね」

「うん! あ、そうだ。おじいちゃん達にも教えてあげなきゃ」



 母方の祖父母に狒々を退治した事を連絡しなければ、と慈雨は祇鏖を見やる。すると下着を身に着けていた祇鏖はひとつ大きく頷いた。



「ああ、後で一緒に連絡しよう」

「うん、ありがとう祇鏖さん」



 その後、慈雨達は艶鵺と皇慈を呼んでささやかながら酔いどれ横丁で祝杯を挙げるのであった。





 





 「・・・・・・うん、うん。ありがとう、じゃあね」



 慈雨はそう言って通話を切った。



 その日の夜、祇鏖にお願いして慈雨は母方の祖父母に電話をした。

 祇鏖は電話をして狒々を自身が倒したことをぼかしつつ、狒々を討伐した事を報告した。すると、祖父母達は如何やらおがみゃーさんからもそれらしき事を事前に聞いていたようで、すんなり納得してくれた。



 その後は大層感謝され、祇鏖の事は照子の夫だと思い込んでいるふたりから慈雨の事もよろしく頼むとお願いされた。

 祇鏖はその事を快諾して、慈雨に替わる。

 慈雨と少し会話して以前より快活に喋るようになった孫の成長と、其方での生活が合っている事に喜ぶとともにまた遊びに来て欲しい事を告げて通話を終えた。



 慈雨は携帯の、通話を切る赤いボタンを押して切ってふ、と溜息を吐いた。



 ああ、やっとこれで全部終わったんだ、と何故かこの時になって実感した。 



 此処に来て、狒々の事が常に頭にあった訳ではない。大体、忘れている事の方が多いくらいだった。

 それでも今、ああ終わったんだな、と慈雨なりに事態を受け止める事ができたのだった。

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