第5話

呆れ半分でも、少し羨まし気に桃瑠が言うのを艶鵺は微苦笑を漏らした。



 慈雨は「鬼の華燭」と言うものだった。その通り、鬼の花嫁になる事を運命づけられた存在である。祇鏖は、妖の中でも最強の種族である『鬼』であった。

 勿論、慈雨はそれ等のことを本人なりに理解している。その運命を厭うている様子は無い。



 その証拠に、篠突く雨のせいでふたりの会話は聞こえないが、互いの耳元に顔を寄せて何かを囁き合う様は睦まじい。



 途中艶鵺と別れ、三人はアパートに戻った。さして広い部屋でもない場所に、二メートル越えの男が畳敷きの部屋に座るととんでもなく狭くなる。




「ご飯の準備したらお風呂行こうね」



 と、慈雨がそう言うと台所に立った。



 その様子を見ながら、祇鏖は感慨深げにその小さな背中を見ていた。



 彼が、慈雨が宵闇町に引っ越す事になった理由は二年前の夏に起きた出来事のせいだった。



 慈雨は毎年夏頃に母方の田舎に遊びに行くのが恒例で、その年も夏休みに入った頃に赴いた。

 その年、少しだけ違ったのは隣の家にも────と言っても田舎の事なので結構な距離だが────子供達が遊びに来ていた所だろうか。



 歳は慈雨と同じ年の兄とひとつ下の妹の兄妹で、向こうから声を掛けられたので遊ぶようになったある日。



『なあなあ、向こうの神社に行ってみようぜ!』



 向こうの神社、と言うのはこの二軒の家から北側に結構歩かないと行けない場所にある神社の事だ。しかも、神社の入口から更に綺麗に舗装されているとは言い難い石段を三十分歩く・・・・・・否、登らないといけない。



『え・・・ダメだよ』



 慈雨は速攻で断った。何故ならその神社は、お参りするための神社ではないからだ。



 悪いモノを封印するためだけに建立されたものなので、女性と子供は特に近付いてはいけないと言われていた。



 根は真面目で、怖がりな慈雨は一度も近付いた事は無い。



『なあんだあ、慈雨はそんなコト信じてんのかよ!?』



 ゲラゲラと笑う兄ナオユキは何時も何処か慈雨を小馬鹿にしていた。慈雨はそれが嫌で遊びたくなかったが、何時もやって来るので嫌々遊んでいた。



『大丈夫だって、オレらがいるんだからよッ!』



 何とも頼もしげに言っていたが、その後すぐに裏切られることになる。三人で、慈雨の祖父母の飼い犬である秋田犬のさくらを散歩させる名目で神社へとこっそりむかった。

 石段を登ろうとしたらさくらが嫌がったが、押したり宥めたりしながら何とか石段、と言いつつも辛うじてある程度の段差を上がって辿り着いたのは小さいながらも思いの外綺麗な社であった。



 そこそこ綺麗に手入れされていると言う事は一応、誰かが管理している、と言う事だ。



 しかし、だからと言って安心出来る訳では無い。霊感が有ろうと無かろうと、漂うその異様な雰囲気に三人の子供達は無言になった。

 この場に漂う異様な空気は、茶化す事も許さなかった。



 ただ静かに社があるだけの小さな広場でしかないと言うのにピン、と張り詰めた空気に三人は怯えた。



『・・・・・・ねえ、もう帰ろうよ』



 何とか振り絞るように慈雨は正直にナオユキに言った。妹のココネもうんうんと頷いていた。



『おにいちゃん、ココネもう疲れたし、おやつ食べに帰ろう?』



 勿論、そんなものはココネなりの方便だ。しかしそんな弱音に耳を傾ければ男が廃る、と誰も見ていないと言うのに弱虫なふたりを嘲笑うようにズンズンと社まで歩いて行くと、何とわざわざ観音開きの戸に貼られた大きなお札をひっ剥がし、社の戸大きく開け放ったのである。



『見ろよッ! 何ともねえじゃんッ』



 と、得意げな顔でそう言った瞬間────。



 キョ────ッ、ホーホホホホホホーッ!ホーッ!ホーッ!



 笑っているような、威嚇しているような鋭い鳴き声が辺りに響いた。何処からしているのか分からない。社から聞こえるような、雑木林の四方から聞こえる気もする。



『え、えっ・・・・・・な、何・・・・・・』



 慈雨が足をすくませた瞬間。さくらが凄まじい威嚇の吠え声を上げた。それは咆哮と呼ぶにふさわしい鋭くも太い声だった。そのお陰で三人は動くことが出来たのだが、逃げようとした時後ろから情けない叫び声が近づいて来たかと思ったら何と、慈雨を突き飛ばし、自身の妹を置いてタカユキは我先にと走り去って行った。 

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