断章1

「偽りの救世主」事件

――決着が、着いた。


『学園最強』の「覇竜公」――彼が決闘術学院アカデミー入学以来から営々と築き続けてきた不敗伝説に、ついに終止符が打たれることになった。


決まり手は、弱小カード《魔素吸着白金パラジウム・パラサイト》を利用した無限ループによる無限のドローによる無限回のデッキ破壊。

この円形闘技場に集まった何も知らない観客たちは、誰一人としてその決着を予想していなかったことだろう。


その信じられない事態に、会場はしばらくのあいだ水を打ったような静けさを見せ――やがて、誰かが叩いた拍手が、会場全体へと徐々に伝播していき――数瞬後には、割れんばかりの大歓声となった!


「これ、夢じゃないわよね……!」


私は、人目もはばからずにへなへなとその場に膝をついた。


作戦は立てていた。

それでも、実際に成功できる確率はほとんど無かったはず。


いくつもの幸運と、私の中にあるウルカの記憶――アスマとの因縁が手伝ってなんとか掴み取った、薄氷の勝利。


これで「学園退学」を巡るアンティ決闘デュエルも終わりを告げた。

今度こそ――悪役令嬢ウルカ・メサイアの身に降りかかる、破滅の未来は回避されたのだ!


「……お前の勝ちだ、ウルカ・メサイア。お前は自らの潔白を示した」


立会人のジェラルドが、膝をつく私に手を差し伸べた。


「潔白?」


「もはや、お前の不正を疑う者などいない。不敗の『学園最強』に土を付けた、初めての決闘者デュエリスト……その実力を、誰が疑うものか」


黒衣の青年は、岩のような印象を与える口元をわずかに緩めた。

もしかして、これがジェラルドの笑顔なのだろうか?


「い、いやぁ~。でもこれって初見殺しみたいなもんだし……運も良かったし……私の実力っていうわけじゃないのよね」


今回の戦術が上手くハマったのは、アスマのウルカに対する執着が判断を誤らせたのと――幼馴染であるウルカが、彼の手の内を知り尽くしていたからに過ぎない。

一回かぎりの奇跡――おそらく、二度目はないはずだ。


ジェラルドが差し伸べた手を握って、私は立ち上がる。

彼はほころんでいた口元を閉じ、鉄面皮に戻った。


「幸運だろうと……まぐれだろうと……勝利に向けて穿たれた、小さな穴をお前は見逃さなかった。最後の瞬間まで諦めずに、勝つためにあがき続けた。……勝利を掴んだのは結果だが。たとえ結果が敗北だったとしても、お前の評価は変わらない」


「そ、そう!?」


なんだか随分とおだてられてられてるけど……ふふふ、悪い気はしないわねー!


「……おそらく、他の『ラウンズ』は未だにお前の実力を正確には把握していないだろう。ユーアから前回のいきさつを聞いていた俺だけが、一歩先んじている。

 ウルカ・メサイア――お前を甘く見ていないということが、現在の俺が持てる最大のアドバンテージの一つだ」


「……え?」


それは、どういうこと……?

ジェラルドに問おうとした私の声は、唐突に響いた轟音にかき消された。


「なんでだよ……なんで、いまさらっ!」


アスマが長刀型の決闘礼装を地面に叩きつける。

赤色の刀身は、闘技場の床を魔力の一撃でえぐり取った。


「……アスマ」


「前回のユーアさんの決闘デュエルの時もそうだ!今回だって……!絶対に、最後まで諦めないだと!?どうしてだよ、どうして今更になってそんなことを言うんだ……遅すぎるんだよ!

 君は、とっくに……んじゃなかったのか!?」


「それはっ……!」


「メサイア家にかけられた汚名……君にかけられた「偽りの救世主」の汚名にっ!

 ――僕だって、一緒に立ち向かいたかったのに……!」


そう――「わたし」にはアスマの怒りが理解できる。


ウルカ・メサイアは、諦めきっていた。

自分の周囲にあるもの全てを。


やりきれない現実から逃避して、アスマからも距離を置いて、ただひたすらに、自分を苦しめる元凶だと思い込んだユーアちゃんに憎しみをぶつけていた。


今の私は、ここではない世界から来た「わたし」としての自分と、ウルカだった自分が重なり合った奇妙な状態にある。

だから、どこか一歩引いたような気持ちで――そう、まるでコンピュータゲームを遊ぶかのような気持ちで――客観的に、ウルカ・メサイアという人間を見ているところがある。


だからこそ、今の私には理解できてしまった。

凝り固まった視点しか持たない、ウルカには気づけなかったこと。


おそらく、彼の本心は……。


「聞いて、アスマ。今の私は――」


「……黙れっ!」


アスマが決闘礼装に手をかざし、取り出したカードを手裏剣のように投げた。

私は反射的にそれを受け取る。


これは――《バーニング・ヴォルケーノ》のカード!


「……アンティには、従う。そのカードは君のものだ」


「ちょっと待って。私はこんなカード要らないわ。それよりも、あんたに話しておかないといけないことがあるの」


「必要ない。君とはもう話すことはない。……だが」


アスマは『ドラコニア』の刀身を格納して、背を向ける。


「――そのカードを預けるのは今だけだ。必ず、僕の手で取り返してやる」


「待ってよ、アスマ!」


闘技場から去っていく彼を追いかけようとする。

しかし――アスマが去ると同時に、入れ替わりに人の群れが殺到した!


目に映るかぎりの人の山、山、山。


「な、何よこれー!?」


あっという間に囲まれて、アスマが見えなくなってしまった。

群れの先頭にいた褐色肌の肉感的な少女が、私にマイク型の決闘礼装を向ける。


決闘術学院アカデミー報道部の者でース!ウルカ・メサイア様、初の公式戦勝利おめでとうございまース!つきましては、ヒーローインタビューをお願いしまス!」


「インタビュー!?ちょっと、それどころじゃ」


私は口を開きかけるも、周囲の魔道具から放たれるフラッシュ撮影の光に、たちまち目がくらんでしまう。


「入学以来、不敗を誇った最強の「覇竜公」が倒されたことで、これまで貯まりに貯まったポイントはキャリーオーバー!まさにバトルフィーバー!で、ございまス!つきましては、先ほど公式戦札オフィシャル・カード決闘デュエルランキングが更新され――めでたく、ウルカ様の『ラウンズ』入りが決定しましタ。今のお気持ちをどーゾ!」


『ラウンズ』……。


「……って、なんだっけ?」


「『反円卓の騎士リバース・ラウンズ』。決闘術学院アカデミー校内ランキングの上位ランカー10名で構成される、この学園の頂点となる決闘者デュエリスト集団でス。今のウルカ様は人呼んで序列第十位「寄生女王」ウルカ・メサイア。最も新しき騎士――『ラウンズ』の末席として、すでに登録されてまース!」


「き…「寄生女王」!?」


なんだか……とんでもないことになってしまったぞ。


思い出したことがある。

反円卓の騎士リバース・ラウンズ』として登録されると、校則によって定期的に同じ『ラウンズ』とのアンティ決闘デュエルが義務付けられるはず。


今の私がアンティ決闘デュエルを挑まれたとしたら――当然、他の『ラウンズ』の狙いはになるだろう。


私は手元に残された《バーニング・ヴォルケーノ》に目を落とす。


レオンヒート家の『札遺相伝』。

王家最強の三種のカードの一つ。

『スピリット・キャスターズ』の戦術の頂点に位置するフィールドスペル。


――アスマが、お父さんから受け継いだカード。


「……預ける、って。言われちゃったわよね……!」


せっかく破滅の未来を避けたはずの私。


その運命は回りに回って、どうやら面倒くさい争いに巻き込まれることになりそうなのだった……!



☆☆☆



一方。


薄暗い闘技場の廊下を歩いていくアスマに、一人の少女が追いついた。


「はぁ、はぁ……!アスマ王子、教えてほしいことがあります」


「ユーアさん。どうしたんだい、そんなに息を切らせて」


アスマは立ち止まり、心配そうにユーアを気遣う素振りを見せる。

その様子に、彼女は内心で驚いた。


全校生徒の前で手ひどく敗北したばかりだというのに。

これが、先ほどまで口汚く感情を吐き出していたあのアスマ王子なのだろうか。


アスマ王子には二面性がある。

だけど、もしかして。

こちら側が、本当のアスマ王子……なんてことが、あるの?


ユーアは――ふと頭に浮かんでしまった「思いつき」を振り払い、本題に入った。


「さっきウルカ様に話していた「偽りの救世主」って、何のことなんですか?」


「偽りの救世主」。

ユーアは、この言葉が引っかかって仕方なかった。


――おそらく、ウルカ様は私のことを思って伏せていたんだと思う。

それでも、どうしても知りたいという切実な思いがあった。


ユーアの真剣さをみて、アスマは「……そうか」と言った。


「君はたしかムーメルティアの出身だったね。それなら知らなくても無理はない、か」


アスマは力を抜いて、廊下に背を預ける。

どうやら長い話になるらしい。


ユーアが目で訴えると、アスマは話し始めた。


「アルトハイネス王家には、代々仕える宮廷魔術師の一族がいる。この国の子供なら誰でも知っている、有名な話さ。彼らが継承している『札遺相伝』のカードには、他のカードには無い特別な力があるんだ」


「特別な力……ですか」


。そのカード――《「千里の眼フューチャー・サイト」ゼノン》には、これから起きることをヴィジョンとして見せる力があるんだ」


「もしかして……『光の巫女』の予言も、そのカードの力だったんですか?」


ユーアは子供の頃からこう教えられてきた。


やがて、世界の裏側から『闇』の軍勢がやってくる。

そのとき、人々の心は失われ、深く傷つき、世界は滅びへと向かう。


『闇』に打ち勝てるのは『光』のエレメントを操る力を持つ決闘者デュエリストだけ。


『光の巫女』――この世界を救う救世主。

それこそが、ユーアなのだと。


彼女の問いに、アスマは首肯する。


「その通りさ。ユーアさん、君という『光の巫女』がこの時代に生まれることは、五百年以上前からゼノンの予言として知られていた。ただ――予言には、一つだけ間違いがあったんだ」


「間違いって……何ですか」


「……生まれてくる場所さ。予言では『光の巫女』はアルトハイネスの、ある貴族の娘として生まれてくるとされた。当時は弱小貴族に過ぎなかったその家は――ゼノンの予言が下されると、やがて救世主が生まれる家として取り立てられ、少し前まではこの国で最も勢いがある侯爵家として名を馳せていた」


「まさか……!」


「その家の名は、メサイア。王家より救世主メサイアの名を名乗ることを許された侯爵家の、まさに『光の巫女』とされていた予言の娘――生まれる前から第二王子である僕の許嫁とされていた侯爵令嬢――それが、ウルカだった」


ユーアは、唐突に眩暈を感じた。


――ウルカ様が、『光の巫女』?

そんなことはありえない。だって……。


「ユーアさんの言いたいことはわかるよ。事実、生まれてきたウルカは――いつまで経っても光のエレメントを操る力に目覚めなかった。やがて隣国であるムーメルティアから『光の巫女』が現れたと話題になったことで、メサイア家の名は地に堕ちたんだ。……「偽りの救世主」の家だと、ね」


アスマは言う。


《「千里の眼フューチャー・サイト」ゼノン》の予言は、常にアルトハイネス王国の繁栄を支える立役者だった。

その予言は、これまで一度として外れたことは無かった。

今回だって『光の巫女』の到来は予知できていた。


ただ、一つ。

生まれてくる国、生まれてくる家を間違えたというだけ。


「偽りの救世主」事件。


その正体は――ユーアという、本物の救世主の誕生のことだった。


「……やがて、口さがない者たちは公然とメサイア家を侮辱するようになった。なんらかの魔術を用いてゼノンの予言を乱し、国益をかすめ取ろうとした汚い盗人……それがメサイア家だと。その中傷の、最大の標的となったのがウルカだった」


「そんな……!ウルカ様は、何も悪いことなんてしてないんじゃ」


「……当たり前だっ!」


ガンッ……!と、アスマは廊下の壁を叩く。

その拳は血に滲んでいた。


「僕はっ……!ウルカと一緒に戦いたかった。光のエレメントなんて、『光の巫女』なんてどうだっていい!アルトハイネスが、父上が『スピリット・キャスターズ』をもって、ようやく平和をもたらしたこの世界を襲う『闇』があるのだとしたら……!共に強くなって、その『闇』に立ち向かうと!そして、ウルカを本物の救世主メサイアにするのだと……!それが僕の望みだった!」


「偽りの救世主」――。

その真実を知って、ユーアの中のいくつかの疑問が氷解していった。


「……ウルカ様がメサイア家の相伝を使えないのは、そのためなんですか?」


「おそらく、後妻の子供たちの誰かに継承するのだろう。家の名誉を汚したということで、本家の中ではウルカの立場は無い」


「……後妻、とは」


「ウルカの母親は、彼女が幼い頃に亡くなっている。家の中では彼女の面倒を見る者はなく――たしか、生前の母親が拾った孤児出身の使用人が、その恩を返すために親代わりみたいなことをしているらしい」


ユーアの脳裏に、片眼鏡モノクルをかけた青年の顔が浮かんだ。


――どうやら、アスマは話を終えたようだった。


背を預けていた廊下から離れると、彼は微笑んだ。


「――今回の件は、メサイア家と王家とのあいだで結ばれた密約だった。ウルカ一人の破滅を禊ぎとして、「偽りの救世主」の件は幕引きにすると。そのためには、ウルカがユーアさんにアンティ決闘デュエルを仕掛けたのは、都合の良い流れだった。父上からは――『光の巫女』に恩を売って、可能なら王家に引き込むようにと言われていたし、ね。そのために君を巻き込んだ」


アスマはユーアに頭を下げた。

その様子があまりに殊勝なものだったので、ユーアは困惑してしまう。


「アスマ王子、やめてください!私みたいな平民に頭を下げるなんて」


「――今の僕は、もう王子ではないよ。レオンヒート家の『札遺相伝』を、よりにもよってメサイア家に流出させてしまった。敗北が許されない――必勝を誓った王家の契りを破った。ほら、見てごらん」


アスマは決闘礼装『ドラコニア』を取り出す。

そこにはすでに、赤き光は点灯していなかった。


「『叡智なる地下大図書館コスモグラフィア・アリストクラティカ』へのアクセス権は剥奪された。王位継承権を失った証だ。……僕は、父上の期待に応えられなかった」


彼は力なく笑う。

その様子があまりに弱弱しく見えて、ユーアは自然に手が伸びそうになった。


だが――その手は、空を切る。


「……もし、時間があったなら。今度、聖決闘会カテドラルに遊びに来てくれないか?あらためてユーアさんには謝罪したいし……そのときは、きっと美味しいお茶でもご馳走するよ。だから」


今は、一人にしてくれ――そう言って、彼は闘技場を後にする。


残されたユーア。

彼女の心の中には、アスマとの問答で生まれたおりのような疑念がうず巻いていた。


子供の頃から、自分は『光の巫女』だと信じて生きてきた。


私にだけ操れる光のエレメントを持ったスピリットたち。

『闇』を切り裂く救世主の予言。


誰もが私を歓迎した。

義兄も――ジェラルドお兄様も、家族がいない私を受け入れてくれた。


それも、私が『光の巫女』だから。


この世界に救いをもたらす絶対的な主人公ヒロインだから。


だけど、もしも。


あの、どんなときにも諦めない――誰も思いつかないような機転でピンチをひっくり返す――前向きで、明るく魅力的な――ウルカ・メサイアこそが主人公ヒロインだったとしたら。


「そしたら……「偽りの救世主」は、私の方なんじゃないの……?」


ユーアは、自分の中に生まれた醜い発想に――人知れず、吐き気を催した。



<断章1『「偽りの救世主」事件』 了>


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