第7話 疑惑の足音

 ギルドに着いた頃には街の鎮火が終わり、本館の職員と森から帰ってきた冒険者達が後処理に追われていた。


「おい! シュトラールどこ行ってたんだ!」

 後ろから声を掛けられ、シュトラールが私を横抱きにしたまま振り返る。

 そこには全身を覆うような黒い服を着た女がいた。


「お前が私を置いてどっか行くから、こっちはめーちゃくちゃ大変だったんだぞ!」

 ドスドスと聞こえてきそうな足取りで近付いてくると、シュトラールに向かって強烈な勢いで怒り始める。

「あ、ミスト。これはリンダ」

「おいお前今、これって言ったな!」

 リンダさんは一瞬だけ私を見ると、ハンカチを取り出して私の手を丁寧に拭きながら、シュトラールに怒りをぶつける。

「そもそもだ! この可憐でか弱い乙女を置いていくなんてどういう神経してんだよ!」

 そして私の事を一切見ることなく握手をし、バタバタとしている周りを見回すと、場所を移動しようと目配せをする。その間ずっとシュトラールに対して怒り続けていた。

 リンダさんはかなり器用な人らしい。



 二人にギルド長が不在であることを伝え、ひとまず応接室に移動してもらった。

 移動する間、ずっとシュトラールに抱かれて移動していたため、他の職員達からの視線が痛かった。御局様とすれ違った後に聞こえてきた、

「どうせまたお礼も言ってないのでしょうね」

 という言葉がずっと耳に響いている。シュトラールの厚意を強く断れないばかりか、素直にお礼も言えない自分が情けない。


 応接室に着いてもリンダさんは未だにシュトラールに対して怒り続けていた。私とは一度も目が合わないどころか、すれ違う職員達の挨拶も軽い会釈で返し、徹底してシュトラールに対して怒っている。ある意味凄いと思う。

 怒られている当の本人は全く気にしていないかのように、ニコニコと笑ったままのらりくらりと躱していた。

 私に対する周りの反応を見ても態度を変えない二人の様子にほっとしつつも、この二人から発される独特の居心地の悪さを感じる。

 未だに私を抱いたまま降ろそうとしないシュトラールに痺れを切らし、傷の手当をしに行きたいと言うと、ごめんねと言いながらそっと降ろしてくれた。

 シュトラールから解放されると、私は二人から逃げるように退室したのだった。


 退室すると、隣にあるギルド長の執務室へと向かう。

 来客があることを簡単にメモ書きし、執務室入口の連絡用箱に入れておく。これで帰ってきてすぐ確認してもらえるはずだ。


「お前また怪我したのか」

 執務室の扉を閉めて歩き出した瞬間、後ろから刺すような声が聞こえてきた。立ち止まって振り返ると、間延び顔が迷惑そうな目でこちらを見ていた。

 続けて何かを言おうとした間延び顔は隣にいた別の職員に急かされ、苛立ちげにこちらを睨むと直ぐに顔を背けてバタバタと走り去っていく。

 突然現れた魔物が街を燃やしたせいで、急に住民の避難やら対処やらでギルド全体が忙しくなっているようだった。


 私もギルド職員なので何かを手伝わないとと思っているが、この本館に私の居場所は無い。私は何をすれば良いか、誰が何をして何が足りていないのか、そもそもどんな被害が出ているのかすらも把握が出来ない。

 しかし、私にはこの状況で話しかけられるような相手がいなかった。

 今まで皆が避ける仕事を率先して引き受け、誰かと協力することなく全て一人で仕事をやってきたせいだ。

 この慌ただしい状況で私に話しかけたら、色んな意味で邪魔になるのは分かりきっている。


 とりあえず、動けなければ話にならないので、怪我を何とかしようと備品庫に向かう。非常事態なので備品庫にも誰かが居る可能性はあるが、救急箱のある場所よりはマシだろう。

 包帯をキツく巻き直して、せめてもう少し歩きやすくした方が良い。


 歩いていると、あちこちから怒号が聞こえてくる。ギルド長の不在という命令系統の乱れが拍車をかけているのか、職員同士の摩擦が起こっているようだ。


 今すぐ私に出来ることは無いので、とにかく邪魔にならないようにと、視界に入らないよう気を付けながら本館の広い廊下を身を縮めるようにして進む。



 やっとの思いで備品庫にやってきた。

 入口に立ったまま一息つくと、意を決して中に入る。

 良かった。誰もいないようだ。

 そのまま目的の棚に近付くと、包帯と消毒液、ガーゼを手に取る。

 右足に巻いていた包帯を取ってゴミ箱に捨て、消毒液で傷口を消毒し、新しい包帯をキツめに巻いていく。

 他の傷は化膿しないよう簡単に消毒だけしておく。


 本当は誰もいない備品庫にずっと居たいのだが、そうも言ってられないので、被災した人達に必要そうな備品を片っ端から袋に詰め込み、宿泊施設の方へと向かう。

 おばちゃんなら冒険者達から少し状況を聞いているかもしれないし、宿泊用の部屋を掃除しておけば避難民を受け入れることが出来るかもしれない。



 その日の夕方、やっとギルド内は落ち着きを取り戻しつつあった。


「あんたもお疲れ! 今日はゆっくり休むんだよ」

 掃除道具を片付けていると、後ろからおばちゃんに声をかけられる。いつもより声に覇気がない。結局一日中、怪我人の手当をし続けたのだから無理もない。

 街自体の被害は思ったより局所的で、見た目よりは酷くないらしい。突然空から現れた黒い女が、冒険者達の指揮を取って被害を最小限に抑えたと街の人達が話していた。多分リンダさんのことだろう。

 あの二人はいつの間にかギルド職員達と一緒に街の復旧作業をしていたらしく、彼らの容姿と能力を褒め称える噂を行く先々で聞いた。

 リンダさんもフードで顔は見えないものの、仕草や佇まいは美形のそれだった。


 中庭の井戸から水を汲み、手をじゃぶじゃぶと洗う。傷だらけの手を見て、空を仰ぐ。

 憎らしいほど綺麗な夕焼けに、涙が出そうになる。


「ミスト、ここにいたか。ちょっといいか?」

 突然のギルド長の声に、肩がビクリと飛び跳ねる。


 桶に入った水を捨て、ギルド長の元へと急ぐ。ギルド長の顔を見ると、右頬に擦り傷が出来ていた。よく見れば右腕にも新しい傷がある。


 ギルド長は私の姿を確認すると、ゆっくりと歩き出した。



 ギルド長の執務室へと入ると、いつもはしない鍵をかけられる。

 背筋に冷たい汗が伝う。

 やけにゆっくりと歩くギルド長の足音がいつもより大きく聞こえる。


「セカンド」

 ハッとして前を見ると、猛獣のような目がこちらを見ていた。

 忘れかけていたシュトラールの反応を思い出し、私はギルド長宛の手紙を読んでしまったことがバレたのだと悟る。しかも二人の反応を見る限り、視てはいけないものだったようだ。

 何かを言おうと思考が加速していくが、全てが悪手に思えて黙り込んでしまう。

 時が止まったかのようにお互い何も言わず、ただただ凍りついた無音の時間が過ぎていく。


 沈黙を破るかのようにギルド長の深い溜息が聞こえ、そしてまた沈黙がやってくる。


 殺気と焦燥が充満する中、先に口を開いたのはギルド長だった。

「……俺は能力未申告者と対峙した時、殺す前に必ず聞く事がある」

 私はゆっくりとギルド長の目を見て、次の言葉を逃さないよう耳を澄ませる。

 自分の呼吸音が大きく聞こえる。


「何故隠していた」

 その鋭い眼光に喉が短く音を立てる。

 今すぐ何かを答えなくてはいけないのに、口が中々開かない。

 とにかく何か喋らなければ、このまま殺されてしまうかもしれないと思い、手の甲を力の限り抓って口を開く。

「隠す、つもりは無かったんです」

 何とか声を捻り出し、遮られる前に弁明をしようと訳も分からぬまま続けて喋りだす。

「突然他人の視界が頭の中に流れてきて、それで、これが異能なのかも分からなくて、コントロールも出来なくて、それに戦闘にも役立たたないし、誰かを傷付けないし、ギルド長が帰ってきたら言おうと思っていて、それで」

「能力の報告は冒険者ギルドに行うものだ。俺に対して行うものでは無い」

 ギルド長の言う通りだ。そう、これは私の落ち度でしかない。


 ブチブチと心のどこかが千切れていく。

 肩の力が抜け、だらりと手が落ちる。


 いくら弁明しても、罪は罪。過去は変わらない。

 鼻の奥がツンとする。

 長い溜息が遠くで聞こえる。


「いいか、よく聞け。俺は手紙を執務室に置きっぱなしにしていた。ここで書類を整理していたお前がたまたまそれを見た」

 ギルド長が喋り始めた事実と異なる状況説明に、頭が混乱する。

 すぐさま思考を呼び戻し、冷静に考えはじめる。

「それをさっきシュトラール様とリンダ様に説明してきた」

 その言葉にバッと前を見上げる。

 つまりギルド長は私を庇ってくれたという事だろうか。庇う理由が分からない。


「お前、今俺の視界を見れるか?」

 ギルド長の言葉を受け、必死に視ようとしてみるが、しばらく粘っても全く視れない。

 魔物の視界を視た時のように、目を瞑ったり、しゃがんだり、窓際に駆け寄ってみたりするが全く視れない。

 そもそもどうやって視ていたのか感覚すら思い出せない。


「とりあえず今日は帰っていい」

 痺れを切らしたギルド長の一言で解放され、鍵を開けて部屋を出る。


 執務室の前には数人の職員がいた。待たせてしまったことが申し訳なくなり、そそくさとその場を後にしようとする。


「無能な税金泥棒」

 小さな声が大きくのしかかる。

 気にしない素振りで突き進み、角を曲がって彼らから私の姿が見えなくなった瞬間にしゃがみ込み、口を抑える。

 喉元まで何かが這い上がってきていた。


「あ……ミストさん」

 前から聞こえてきた声に、反射的に立ち上がる。

 そこに立っていたのは、数週間前にハンカチを差し出してくれた女の子だった。


 ギルドに来てすぐの頃、間延び顔に唾を飛ばされた私を不憫に思ってくれた優しい子。

 何かを言いたげな顔をしたその子を私はまた無視して歩き出す。


 歩く度に、身体がどんどん重くなっている気がする。


 そのまま重たい足を必死に運び、気付いた時には自室の前に立っていた。



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