第6話 青天の霹靂

 突然聞こえてきた金切り声に驚き、掃除道具を握り締めたまま近くの窓に駆け寄る。

 窓の外には、全身がマグマのようなもので覆われた巨大な鳥型の魔物が空を滑翔し、街に向かって火を吹いていた。


「おい急げ!」

 ギルド内に残っていた冒険者達が次々と街へ向かい、逆に街の方向からは我先にと人々が逃げ出している様子が見える。


 バチッ


『視界が上下にカクカクと動きながら、前方を走る男性について街の外へと向かって行く。』

 きっと今視えている視界は、街の人の視界なのだろう。あっという間に街が火の海と化していく様子がよく視える。


 掃除道具を手放すと、床に落ちただろう乾いた音が耳に入る。

 しかし視界は未だ炎に包まれたままのため、自分の腕をゆっくりと上げ、両手で思いっきり頬を叩く。

 途端に意識が戻り、自分の目で視ている窓からの景色に切り替わる。


 戻ってきた自分の視界で窓の外を覗き込むと、先程までいた魔物が居なくなっていた。


 片足をついてしゃがみ込み、目を閉じて意識を集中させる。

 出来るかどうかは分からないけれど、どこかに行ってしまった魔物の視界を感覚で探す。

 一刻も早く、どこかに行った魔物の視界を視なければ。


 バチッ


『全てが灰色の視界に、時々オレンジの光が差し込む。灰色の世界を抜けた瞬間、目の前に燃え上がる街が広がった。警戒するように街の様子を眺めた後、周囲を見回しながらも、少し離れた場所に見える農村地帯に向かって動き出す。』

 不味い。

 そっちはジェム達がいる。

 勢い良く頬を叩き、視界が戻った瞬間走り出す。

 魔の森にいる冒険者達が街の様子に気付いて森から出てきたとしても、まだ燃えていない農村地帯に向かう人などいるはずがない。

 治りかけの足がズキズキと痛み、上手く走れない。近くの窓を開け、可能な限り勢いを殺して飛び降りる。

 真下に植えてある低木がクッションとなったお陰で、大きな怪我をすること無く着地する。

 余韻や痛みなど感じている暇もなく、ジェム達の元へと駆け出す。


 走れ、走れ、もっと前に……!

 もっと、もっと急がないと!

 動け、私の足!


 ギルドの敷地を抜け、長閑な農村地帯が見えてくる。

 ジェムが元気な姿で家から出てくるのが見えた瞬間、つかの間の安堵を嘲笑うかのように私の頭上を絶望の影が通り過ぎた。


 集中力が乱れた瞬間、足が縺れ、走っていた勢いのまま道を転がる。

 限界を迎えた右足がドクドクと血を吐き出し、気管が焼けるように痛む。すぐさま顔を上げ前を見ると、遠くにいるジェムと目が合い、そしてそれをわざとらしく遮るように魔物が降り立った。

 逃げてと叫ぼうとして、喉から空気が抜ける。魔物から発される熱波で喉が焼け、何度試しても声の代わりに虚しい音しか出てこないようだった。

 それならばと立ち上がろうとしているのに、手足は小刻みに動くだけで少しも言うことを聞いてくれない。


 周囲を警戒するように動かしていた魔物の顔がこちらを向き、私と目が合った。


 狼の魔物に襲われた時と同じ真っ赤な目。過去と現実が入り交じり、真っ白になっていく思考。右足の痛みが早く逃げようと訴えかけてくる。

 あの時の狼の息遣い、視線、殺意が、目の前の魔物と重なる。


 そんな私を無視するかのように魔物は背を向け、ジェムに向かって火を吹こうとする。

 ハッと意識が戻るがもう遅い。

 もう、間に合わない。

 声を出すことも、駆け寄ることも、止めることもできない。

 突然手にしたこの能力も、目の前にいる子供一人助けられないなら何の意味も無い。

 涙を流す自分も、視ることしか出来ない自分も、息をする自分も、全てが許せない。



 全てがゆっくりと動く視界にただ一筋、空から魔物へと金の線が降り注ぐ。



 突然現れたその金髪の男は、真上から魔物の眉間を貫いたかと思うと視認出来ない速度で魔物を切り刻み、気付いた頃には魔物が肉片と化していた。

 魔物の表皮から溢れたマグマのような液で、周囲の地面が溶けている。


「もう大丈夫だよ」

 男は優しい声でそう言うと、背中にある鷹のような翼を小さくしながらこちらへと歩いてくる。

 サラサラと風に揺られる金髪の隙間から、黄金の瞳が心配そうにこちらを覗いている。


 この人が魔物を倒した。そう理解した瞬間、息を吹き返したように周りの音が戻ってくる。

 ズキズキと右足が再び痛み始め、固まっていた身体が再び震え始める。


 そうだ、ジェム!

 不格好に立ち上がり、ジェムの方へと向かおうとしてピタリと動きを止める。

 私はジェムを助ける事が出来なかったのに、助かった瞬間駆け寄るなんて不義理にもほどがあるのではと思ってしまい、近付くことが出来ない。

 ポカーンとしているジェムにおばさんが駆け寄る。おいおいと泣き始めるおばさんの気持ちなど露知らず、ジェムは金髪の男を見たままどんどんと笑顔になっていき、そして無邪気に

「天使が舞い降りた!」

 と叫んだ。



 当の天使は私に近付くと、着ていた上着を私にふわりと掛け、申し訳なさそうな表情を浮かべる。

「遅くなってごめんね。少し待っててね」

 そう言って後ろを向くと、はしゃぐジェムと泣いているおばさんに向かって歩き出す。

 二人をその見知らぬ男に任せても良いのかと一瞬躊躇するが、色んな考えが浮かび、大人しく任せる。


 全身を見回すと、窓から飛び降りた時の傷や、転んだ時の傷が全身のあちこちにあり、深めの傷口からは血が滲んでいた。

 上着が血で汚れてしまわないように直ぐに脱ごうとして、指先からも血が出ていることに気付く。爪の隙間や傷口に砂が挟まっているので、無意識に地面を引っ掻いたのだろう。


「お待たせ」

 優しい声にハッとして前を見る。

 男に声を掛けられるまで、近付くにいることに気付かなかった。


 その男は見れば見るほど美しい造形をしていて、私の醜悪さがより際立って居心地が悪い。一瞬で魔物を一人で倒したという事実がまた、それに拍車をかけている。


「初めまして、私はシュトラール。君の名前を聞いても良いかな?」

「ミストです」

「そう、ミスト。よろしくね」

 その男、シュトラールに優しい笑顔で手を差し出され、私もおずおずと手を出す。

 汚い指先が目に入り、ハッとして手を引こうとしたが間に合わず、そのまま手を握られる。申し訳ない気持ちでシュトラールの顔を見上げると、先程と全く変わらない笑顔の奥に少しの警戒心が見えた。

 ぞわりと背筋が凍り、反射的に手を振り解く。


「あ、ごめんね。君ギルドの人間だよね」

「はい。そうです」

 つい手を振り解いてしまって内心慌てたが、何事も無かったかのように話しかけられたので、私も何事も無かったかのように答える。シュトラールから視線を外し、辺りの被害状況を確認するような素振りをしながら、チラリと顔色を伺う。特に気にしている様子は無さそうだ。


「その傷だと、歩くのも飛ぶのも負担になりそうだね」

 そう言うが早いか、シュトラールは私を横抱きにすると返事も聞かずにスタスタと歩き始める。


 シュトラールの上着に、私の血がじわりと染み込む。


「ギルドってこっちで合ってるよね」

「あ、はい」


 シュトラールはそのまま優しげな微笑みを顔に貼り付け、ギルドに向かってスタスタと歩き続ける。


 少しだけ冷静になってきた私は、手紙に書いてあったシュトラールという文字を思い出す。


「もしかして、セカンドの」

 先程までの微笑みが凍り、足取りも完全に止まる。シュトラールがゆっくりとこちらを向き、目と目が合う。私の全身を何が走り、体から熱が消えていく。

 既に発してしまった言葉を取り消そうにももう遅い。


「君、内部の人間?」

 シュトラールが発したその内部という言葉が何を指すものなのかが分からず即答ができない。

 シュトラールの秘密を暴こうとする目から逃げようと、自分の汚い指先に視線を向ける。


「はい」

 ギルド内部の人間であることは間違いない。それ以外に思い付かない。


「そう」

 再び歩き出したシュトラールの顔には、もう微笑みは張り付いていなかった。代わりに張り付いた深刻な表情とは裏腹に、シュトラールはなるべく揺れないように手を回してくれた。


 ギルドに着くまでの間、私は久しぶりにジェム以外の体温を感じていた。




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