第5話 異能の発現
三階の角にある自室のドアを開け、お風呂に直行する。
突然仕事が次々と舞い込むギルド長に捕まり、結局この時間まで扱き使われてしまった。
宿舎の電気が付いているのはもう私の部屋だけだろう。
傷口に触れないよう気を付けて身体を洗い、右足だけ出して湯船に沈む。
ギルド長、まだ仕事してるのかな。
もう少しだけ手伝ってあげれば良かった。
お風呂から出て制服を片付けていると、ポケットからシャリッと紙の音がして、ジェムに貰ったものをそのまま入れっぱなしだったことを思い出す。
包みから取り出し、窓に近寄って月の光に透かしてみる。
ゆっくりと口に入れ、湧き上がる思いも一緒に丸ごと飲み込む。
苦い後味と、言い表せない不快な味が口いっぱいに広がる。
窓の外は上も下も小さな光が煌めいている。
小さな光など一瞬で消せるほどの暗闇の方がどう見たって広いのに、消えない光の方が力強く見える。
風に乗って、日付が変わる鐘の音が聞こえてくる。
あの光の傍にいる人達は、今何をしているんだろう。
私と同じように仕事終わりなのかな。
それとも、恋人や家族と一緒にいるのかな。
家族がいるって、どんな世界なんだろう。
きっと、ジェム達みたいに暖かい家庭なんだろうな。
……私も、そんな世界が視てみたい。
バチッ
途端に視界が真っ直ぐ進み、小さな光がどんどん近付いてくる。目に電流が走り、脳へと駆け抜け、目の奥が焼き切れるように熱くなる。
かっぴらいた目に、見知らぬ景色が映る。
『角がささくれたテーブル上に沢山の書類が乗っている。知らない女性が口を歪ませながら近付いてきて、思いっきり頬を叩く』
反射的に勢いよく後ずさり、ふくらはぎに激痛が走る。
ハッとして足元を見ると、自室のローテーブルに右足が当たっていた。
バチッ
また電流が走り、全身に焼けるような熱さが漲り、皮膚が粟立つ。
『冒険者ギルド長 ノア殿
近日中にセカンドのシュトラールが訪』
読んでいる途中で視界が大きく動く。
手元の手紙から見覚えのある紙の山へと視線が移り、そのまま上を向いて天井に視界が固定される。
しばらくして、全身を巡っていた熱が冷め始め、気付くといつもの自室の景色を見ていた。
途端に吐き気を催し、トイレへ駆け込む。
脳が揺れ、地面までも揺れている気がする。
顔の前に広がる不快な臭いと仄かな暖かさに再び吐き気を催す。
脳の揺れは、夕食が全て下水に流れていった頃にようやく落ち着いてきた。
今のはなんだったのだろうか。
まだ視界がチカチカする。
ふと脳裏に、異能の発現という単語がチラついた。
自分の希望的発想に、つい鼻で笑ってしまう。
それは、絶対に有り得ない。
異能というのは基本的に生まれた時からの素質が必要になる。
魔力は皆誰しもが持っているが、それを使う為の臓器が無い。その臓器を奇跡的に持って生まれた子が、魔力を使えるようになる瞬間のことを異能の発現という。
臓器を持って生まれるかは遺伝によるものが大半のため、突然変異でも無ければ私が異能に目覚めることは無い。
私は私を生んだ両親を知らない。
でも、能力者の血筋は冒険者ギルドが徹底的に管理しているため、両親が能力者であることは絶対にあり得ない。
もしその可能性があるなら、私は児童養護施設で育ってきたはずだ。
トイレから出て、窓の外を見る。
恐る恐る窓辺に近づき、再び視ようとしてみる。
しかし、何も起きない。
あぁ、これはきっと、長時間の書類整理で目が疲れていただけだろう。
そうだ、きっとそう。
そう言い聞かせながら、私は冷たく重たい布団の中へと潜り込んだ。
翌朝、ギルド長の居ない朝礼が始まった。
能力未申告者の密告があったらしく、その処理に向かったらしい。
「おいミスト! お前は宿泊部の清掃に復活だ。おめでとう」
ギルド長の代理役がそう言った瞬間、間延び顔が勢いよくこちらを振り返り、まとわり付くような視線を向けてくる。
私の顔が歪むのを今か今かと待ちわびているようだった。
期待に応えられず申し訳ないが、私は自分に仕事が戻ってきて良かったと心の底から安堵していた。
結局一度も宿泊部の様子を見に行く時間が取れず、ずっと心残りだったからだ。きっと今日はやることがいっぱいの素敵な日になる。胸が踊る。
朝礼終了の合図と共にひょこひょこと歩き出す。もう大分良くなってきた。あと数日もすれば、普通に歩けるようになる気がする。
「あんた! まさかその格好、もう復活するのかい?」
いつものように受付カウンターにいたおばちゃんは、掃除道具を抱えた私を視界に収めるなり、またしても大音量で叫び始める。この声も久しぶりな気がして、懐かしさを覚える。
「ギルド長は能力未申告者の対応に行っているそうです」
その一言で合点がいったのか、おばちゃんは憐れむような顔をし、そのまま考える素振りをした後、おずおずと話を切り出してきた。
「あんたには無理して欲しくなくて言わなかったんだけど、今掃除が全く出来てなくて苦情が来てるんだよ。まだ怪我が治ってないところ悪いんだけど、出来る範囲だけでもお願い出来ないかしら?」
「勿論です」
流石にいつも通りの範囲は出来ないので、最低限必要な箇所を優先して終わらせ、その後は宿泊客が良く利用する範囲を中心に掃除していこう。
まずは退室後の部屋の掃除に向かおうと、掃除道具を抱え直して歩き出す。
「それにしても、能力未申告者ねぇ。あのギルド長なら嬉々として出掛けただろうね」
疑問に思って振り返ると、視線が合った瞬間おばちゃんの顔がニヤリと笑った。
「あんた知ってるかい? ギルド長が若くして今の地位に着くために……」
ゴクリと喉が鳴る。
「……何をしたかは、お見合いの日を決めてくれたら教えてあげるわ! どうかしら? 気になるでしょう!」
おばちゃんは商人に向いてそうだ。
私はもう振り返らないと心に誓って、前を向いて再び歩き出した。
全く手付かずだった退室済みの部屋を掃除し終わり、廊下の窓拭きに取り掛かっていた。
おばちゃんから聞いた今朝の話が、ずっと引っかかっている。
昨日私の視た視界が、異能の発現によるものだとしたら、ギルド長は私をどうするのだろうか。
ギルド長が能力未申告者達を権力の糧としているのなら、私もその糧の対象になってしまうのでは無いかと考えてしまう。
窓を開け、換気をする。
今は三階にいるので、街の様子がよく見える。
あの時のように、もう一度。
本当に私に能力があるのか、確かめたい。
バチッ
空の彼方、何かと目が合った。
『視界全体が霞んだように白く、雨の日のような視界不良。激しく動く視界に時々見える緑と茶色と青の景色。突然ガクンと動き、グルグルと景色が周り始める。』
その景色に耐え切れず、目を瞑るが止まらない。
「おぇええ」
自分の吐き出したものの異臭で意識が戻り、目を抑え、肩で息をする。
もう視界は動いていないのに、身体は動いているような感覚が抜けない。
目を瞑ると余計に感覚がおかしくなる。
両手足を床につけて這いつくばりながら、ただ床をじっと見て落ち着くのを待つ。
しばらくして、大分落ち着いてきたので自分で汚してしまった部分を片付ける。
私は多分、異能に目覚めてしまった。
ギルド長が帰ってきたら、早く打ち明けよう。
きっと大丈夫。ちゃんと申告して、犯罪に使わず今まで通り静かに過ごせばいい。
揺れる瞳に大丈夫だと言い聞かせ、汚れてしまった掃除道具を綺麗にしようと、中庭の井戸へと向かう。
その時、空を劈くような金切り声が響き渡った。
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