第4話 小さな飴玉
ギルド長の声で朝礼が始まり、いつもと同じような景色が広がった。
内容の変わらない話を聞き流し、今日の予定を考える。
確か期限切れの依頼リストに、また例の子守りがあったはずだ。一度引き受けたことがあるので、他の依頼と比べて不測の事態が起きるリスクは少ないだろう。
朝礼が終わり、ひょこひょこと歩いて郊外へ向かう。
昔から傷の治りは早い方で、昨日よりマシになってきていた。
昨日とは逆方向に歩きながら、魔物保管庫の間を通り過ぎる。外を歩いているのに、強烈な獣臭が鼻から離れない。
建ち並ぶ倉庫の列が途切れると、訓練所が見えてくる。主な利用者である冒険者達は既に森へ向かっており、昨日とは打って変わって誰ともすれ違わない。
進んでいくと徐々に道が狭くなり、農村地帯が広がり始める。
目的地である親子の住む家に辿り着き、古びた木のドアを優しくノックする。
しばらくして、人のよさそうなおばさんが静かな笑みを湛えてドアを開けてくれる。
「あら、この前も来てくれた子ね。いらっしゃい。朝早くからありがとうね。」
玄関を入ると、素朴ながらも綺麗に整頓された内装に、柔らかい紅茶の香りが広がる暖かい空気が流れていた。リビングの棚に置かれた汚れ一つない写真立てに、少し黄ばんだ写真が飾られている。そこに写っている三人は、良く似た優しい顔をしていた。
「ごめんなさいね。ジェムはまだ寝てるの。ミストさんのお茶を用意するから少し待ってちょうだいね」
「いえ。お構いなく」
「そう? ジェムもお茶くらいは淹れられると思うから、遠慮なく言ってね。」
おばさんはのんびりと喋りながらも、手際良く出掛ける準備をする。
「それじゃあ、出掛けてくるからジェムのことよろしくね」
そう言い残して、おばさんは足早に街へと出掛けて行った。
カチカチと時を刻む音が聞こえる。
ゆっくり立ち上がると、ジェムの部屋に向かう。
ノックをすると、ジェムの返事を待たずに部屋へと入った。
部屋の角にあるベッドの上で、小さな生物が横たわってる。窓から差し込む光で、埃がキラキラと小さな子の周りを舞うのが良く見える。
「ジェム、おはよう」
「あれ? ミストお姉ちゃんだ!」
前回来た時もそうだった。
ジェムは来客の度に狸寝入りをしていた。
「あっ、ミストお姉ちゃん怪我してるの?」
その短い首を傾げ、潤んだ瞳で私の目を見つめる。
しばらくジェムの視線が、私の顔と足の間を行き来した後、ハッと顔を上げると眉間に皺を寄せて難しい顔をし始める。
幼い顔に不釣り合いな皺が面白くて、少し笑いそうになる。
「ジェム、私は大丈夫だよ」
精一杯の優しい声を出しながらベッドの縁に座ると、ジェムの顔を優しく両手で包み、親指の腹で眉間の皺を引き伸ばしてあげる。
意を決したようにジェムが立ち上がると、ベッドの隙間から綺麗なガラス瓶を取り出す。
貴族の客室にあってもおかしくないほど見事なガラス瓶。中にはビー玉のようなものが沢山入っている。
「これ、僕の秘密ね。ミストお姉ちゃんに元気になって欲しくて、これあげるね。ママにも秘密だよ?」
小さなぷにぷにの指を口に当て、シーと言う。
「分かった」
そう答えると、少し不安に揺れていた瞳が弧を描き、いたずらっ子の顔に変わる。
「これはね、僕が色んな場所を探検してる時に見つけたお宝なの! 石なのにキラキラしてて綺麗でしょ?」
そう言って、ビー玉サイズの透明なそれを取り出すと、口にポイッと入れてしまう。
何も知らない人だとギョッとする光景だが、事情を知っているので特に何とも思わない。
「ミストお姉ちゃんも食べて!」
差し出された飴をジェムと同じように口に放り込む。
信じられないくらいに不味い。こんなに不味くしてもこの癖が治らないのかと思うと、おばさんの苦労が浮かばれない。
パクパクと食べるジェムを見て、自然と顔が歪む。
私は健康に良い薬が入っていると分かっていても、不味過ぎて正直食べたくないというのに。
前回ジェムの何がそうさせているのか気になって、おばさんに理由を聞いてみたが、
「私にもよく分からないの。ジェムはキラキラして綺麗だからどうしても食べてみたいとしか言わないのよね」
という回答しか返ってこなかった。
ジェムはゴソゴソと棚の下を漁り、次は上等な半紙に包まれたそれを意気揚々と渡してくる。
「ミストお姉ちゃん、これ凄いでしょ!」
赤と紫が混ざった薔薇のような色をしたそれは、私の瞳と全く同じ色だった。
前を見ると、いたずらっ子の目が褒めて欲しそうにキラキラと光っている。
身体の内側から湧き上がってきそうな記憶を遮るように立ち上がると、ジェムの柔らかそうな頭をよしよしと撫でる。同時に、クシャリと握り潰してしまったそれを半紙ごとポケットに突っ込む。
手の下にいるジェムが、嬉しそうに目を細めているのが見えた。
「でも、やっぱりミストお姉ちゃんのおめめの方がもっと綺麗だね」
撫でていた手が止まる。
瞳が揺れそうになるのを何とか止め、ニコリと笑う。
「この前来てくれた時、嬉しくて、お礼がしたくて探したの!」
「私は何もしてないよ」
「ううん、いっぱい遊んでくれたよ! ミストお姉ちゃん。この前はありがとう!」
目から何かが溢れて落ちそうになり、慌ててジェムを抱きしめる。小さな温もりが心を落ち着けてくれる。
私はどうしてこんなにも人間関係が上手くいかないのだろうか。
この気持ち悪い赤い瞳が悪いの? それともこの老婆のような白髪? 私の性格? 価値観?
私もジェムのように素直になれたら、何か変わるだろうか。
「え! ミストお姉ちゃん泣いてるの!?」
様子のおかしい私に気付いたジェムは、わたわたと変な動きをし始め、棚を漁り、ベッドを漁り、カーペットの下を剥いだり、写真立ての後ろを覗き込んだりして何かを探し続ける。
とっておきを探しているその姿がリスのように愛らしく、小さく吹き出してしまう。
「あ! 今度は笑ってる!」
訳が分からないと言いたげな顔に、更に笑いが込み上げる。
「ジェム、ありがとう」
「僕は何もしてないよ」
ジェムがおどけたように笑う。
しばらくして、おばさんが大量の紙袋を持って帰ってきた。
「ミストさん、悪いけどもうちょっとだけお願いね。すぐ調合してくるから」
そう言って作業部屋へと入っていく。ジェム用の飴を作るのだろう。
作業部屋の入口近くの壁に、眼光の鋭い若い男の写真が飾られている。眉の形がジェムにそっくりだ。
父親が失踪して以降始まったジェムの悪癖のために、こうして母親がガラス玉と飴を入れ替えることで何とか誤魔化しているそうだ。
何度か止めさせようとしたらしいが、今のように家中に隠すようになってしまい諦めたらしい。
その話をしてくれた時のおばさんは、私の重たくなっていく気持ちを吹き飛ばすかのように、ジェムがもう少し大きくなったら止めるだろうとあっけらかんと笑っていた。
「ミストお姉ちゃんまたねー!」
親子が玄関前で手を振っている。
ペコリとお辞儀をしながら先へ進む。
お昼ご飯を食べていかないかと誘われたが、今街へ向かえば丁度大通りの人混みが減る時間になる。備品を買ってからギルドに戻っても、ギルド長の呼び出し時間に間に合うだろう。
右足を引きずって、ジャリジャリと音を立てて進む。
おばさん特製の飴のおかげで、心做しか足が軽くなっている気がした。
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