第8話 誘惑の右手

 私は静かに立ち上がると、窓を開けて夜空を見る。

 今日は雲の無い良い天気のようで、輝く星が沢山見える。


「おーい、ミスト! 今更聞いてないふりしても極秘情報聞いたよね? ちゃんと現実見ていこうよ」

 振り返らなくても、シュトラールがニヤニヤと笑っているのが分かる。

 非常に腹立たしい。


「そういえば、ミストは何で泣いてたの?」

 この男は本当に他人の領域に土足でズカズカと踏み込むのが好きらしい。憎まれ口を叩こうと振り返ると、シュトラールがこちらを本気で気遣うような顔を向けていた。その目の奥から感じる心からの心配に、何も言えなくなる。


 沈黙が苦しくなり、吐き捨てるように話し始める。

「ギルド長から秘書にならないかという提案と、前の職場から再雇用の提案をいただいて、色々考える内に泣いてしまったようです」

「そうなんだ」

「もう大丈夫なのでお気になさらず」

 黙りこくったシュトラールにじっと見られ、ますます居心地が悪くなる。

 何となく、腫れぼったい目の周りを擦る。


「ミストは冒険者にならないの?」

 不意に放たれた言葉を否定しようとして、言葉が詰まる。

 たった今、私は冒険者になるための資格を手にしていることに気付いた。


 でも、私に能力を使う気はさらさら無い。

 もっと言えば、一生周りに能力を隠しておきたい。


「冒険者にはなれません」

「どうして? 君、異能持ちでしょ?」

 息が止まる。

 ギルド長が誤魔化してくれたはずなのに、どうして知っているのか。様々な憶測が脳内を飛び回り、脈がどんどんと大きくなっていく。

「それだけ膨大な魔力があって異能持ちじゃなかったら早死しちゃってるよ」

「……膨大な魔力?」

「そう。私は私の持っている異能の副産物で他人の魔力量が何となく分かるんだよ。君の量だと適度に能力を使って消費しないと、すぐにでも溢れてしまいそうだ」

 それだと今後一切能力を使わない選択肢を取るのは実質的に無理だ。今までの計画が無に還っていく。

 このままだとギルド長の秘書になる選択肢しかない。

 もしくは、誰か一人に定期的な協力を仰ぎ、視られても問題ない状態で能力を使わせてもらうか。それが一番現実的な気がするが、そもそも能力のコントロールが出来なければ話にならない。


「君の能力をコントロールする練習、私が手伝ってあげよう」

 私の心の内を透かすかのような発言に、先程の私情に巻き込みます宣言を思い出す。

 正直シュトラールを信用出来ない。知り合ったのは昨日で、まだ相手のことを何も知らない。その上、この人は極秘情報をペラペラと喋って私を何かに巻き込もうとしている。

 何が目的で私に取り入ろうとしているのか、いくら考えてもさっぱり分からない。私が周りから浮いていることは嫌でも分かっているだろうに。


「その代わり、君には私の旅を手伝って欲しいんだ」

 なるほど。私をシュトラール達の事情に巻き込むという発言の真意は、フィフスという集団を追う旅に着いてこいという意味なのだろう。

 どうせ嫌われ者の私を引き止める人など、ここには居ないだろうから。


「私は魔力量が多い優秀な人をパーティメンバーに迎え入れようと思ってこの街に訪れた。私は君が一緒に来てくれると嬉しいな」

 ニコニコと話すシュトラールから、若干の圧を感じる。


「あ、ちなみに旅自体は一年以内に終わる予定だから安心してね」

 集団生活が苦手な私の性格を見抜いているようだ。

 これは私にとっても良い話だろう。もし一年以内に能力のコントロールを身につければ、無理に秘書をやらなくても良い。


 大きく息を吸い込み、短く吐いて覚悟を決める。

 身体ごとシュトラールの方を見ると、真っ直ぐ目を見て言う。


「シュトラール。私の練習相手になってください」




 数日後、謹慎が解けてすぐにギルド長の執務室を訪れた。


「おう、決めたか」

 紙の山の奥にいたギルド長は、仕事の手を止めてソファへと移動する。

 私もそれに続いて、向かい側のソファに座る。


「私、冒険者になります」

 予想外だったのだろう。ギョッとした顔でこちらを見ると、怒ることも忘れて机越しに私の肩を掴む。

 何も言わずに私の目を見て考え込むと、ゆっくりと手を離してソファに沈む。


 ギルド長はそのまましばらく考え込んだ後、何かを決めたのかゆっくりと私の目を睨む。

「現実を教えてやる。今から俺自ら冒険者試験を行う」

 ゴクリと喉が鳴る。


「はい。よろしくお願いします」



 ギルド長は仕事をある程度片付けてから来るとの事で、先に一人で訓練所へ向かう。

 ギルドの外へ出て歩いていると、妙に視線を感じる。冒険者は出払っている時間帯なので、普段この辺りは人が少ないはずだ。


「あいつ、冒険者試験を受けるらしいぞ。謹慎中に頭がイカれたんじゃねぇのか」

 皆暇なのかもしれない。

 何となく状況が分かった所で、訓練所にたどり着く。怪我をしないよう準備運動をして、しっかり体を温める。

 もう右足の怪我はほとんど治っている。あとは数日間の特訓の成果を見せるのみ。


 ジワジワと増えるギャラリーの中に、リンダさんに怒られているシュトラールを見つける。周りには沢山のギルド職員達が群がっていて、大変そうだなと眺める。

 とりあえず巻き込まれないよう気付かないふりをして、訓練用の短剣を持ってギルド長を待つ。


 目を閉じてしばらくすると、ギルド長が私の元へとやってくる。

 無駄口を叩く様子は無い。さっさと終わらせるつもりなのだろう。

 準備運動もせずに木刀を構え、一気に戦闘態勢になる。


「俺がコインを投げる。コインが落ちたら試合開始だ」

 言うが早いかコインを投げる。

 その様子に、隠しているようで隠しきれない苛立ちに似た何かを感じる。


 コインが落ちた。


 その瞬間目の前にギルド長の拳が見えたかと思うと、鳩尾に激痛が走るよりも早く身体が勢い良く吹き飛び、訓練所の壁に思いっきりぶつかる。中にあった空気が全て抜け、一緒に臓器も飛び出しそうになる。

 早すぎて受け身も取れなかった。

 鳩尾は勿論、壁にぶつけた背中がズキズキと痛んで立ち上がれない。


 圧倒的すぎる実力差に、ギャラリーも静まり返っていた。

 ギルド長は少し警戒するような素振りをしたものの、すぐに私からの反撃が無いと分かると、ゆっくりと後ろを向いた。そのまま立ち去ろうと歩き出す。


 まぁ、戦闘経験の無いただの一般人が、冒険者を束ねるギルド長に勝てるはずなどある訳が無い。

 そんなこと、百も承知だ。


 震える体を壁に凭れながら無理やり叩き起し、数歩歩いて立ち止まる。

 左足を前に出して足を大きく開き、腰を落として低い体制を作る。左手に持った短剣を逆手に持って、狙いを定めて構える。


 私の様子を見ていたギャラリーが、ざわめく。


「まだ、終わってないですよ」


 ギルド長はゆっくり振り返り、瞳孔の開ききった目でこちらを見ると、今度は容赦しないと構える。


 集中し、ギルド長を視る。


 動いたと思った瞬間、後ろからやってきた拳が私の右脇腹に届く。

 先程よりも長い距離を転がり、身体中を地面に打ち付けながら入口の壁にぶつかる。


 ゆっくり顔を上げると、ポタポタとギルド長の頬から血が流れていた。


「お前、何をした」

 その怒りの滲む声に、私の口角が震えるように上がっていく。

 想像以上の実力差に、流石に作戦通りとまではいかないものの、天下のギルド長に傷を付けることは出来たらしい。


「ギルド長の死角に、ナイフを隠していただけです」

 ギルド長は何だかんだで優しい人だ。私から反撃をしなければ、必ず背中を見せると思っていた。

 その隙にナイフを隠し持ち、ギルド長が振り返った後、動き出す視界を視ることでタイムラグ無しで反応し、必ず右手のナイフが死角になるよう立ち回る計画だった。

 隙をついてナイフで刺そうと思っていたのだが、隙をつく暇もなかった。故に中途半端な攻撃になってしまった。


「そうか……お前、俺の動きを視て動いたのか」

 流石、勘が良い。

 それと同時に、私が能力のコントロールを出来るようになったことも悟ったようだ。

 少し考える素振りをしたギルド長は、私が本気で秘書になるつもりがないことを悟ると、こちらを見てニタリと不気味に笑った。

 何かを見落としている気がして、背中がぞわりとする。


「不合格だ。お前は冒険者に必要なものが足りていない」


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