第2話 非相溶性

 ギルドを出た私は、人の流れに沿って中心街へと向かう。今朝確認した備品の買出しのためだ。

 ギルドの敷地は広く、街の一番外側に位置しているためどこへ行くのにも少し距離がある。ズルズルと小さな石たちを引き連れ、広い歩道の端をナメクジのように歩く。

 道路の向かいからガラガラと大きな音を立て、大きめの荷馬車が何台か私の横を通り過ぎていく。乗っているものなどお構い無しに跳ねる車輪から、土煙が乾いた風に乗って舞い、トロトロと歩く私の瞼をなぞる。


 荷馬車が通り過ぎると、いつの間にか後ろにいたらしい男が、私を通行の邪魔だと言いたげにわざとらしく避けて去っていく。

 流通部の人間だろう。重そうな荷物を抱えていた。


 足早に去っていく男から視線を外し、気を紛らわせようと道の反対側を見る。

 光を一切通さない分厚い壁に、横にも縦にも広い両開き扉が付いた建物が規則的に並んでいる。その大きな扉がぽっかりと口を開け、各地のギルド宛の荷物が次々と運び出されている。箱の大きさからして、民間依頼物では無さそうだ。


「うわ!」

 真横から突然聞こえてきた声に驚き、私も声無き悲鳴を上げて飛び跳ねる。

 右足の閉じかけた皮膚が、包帯の中で弾ける。


 横から来た人にも驚いたが、どうやら私の後ろにも人が居たらしい。三人がそれぞれにぶつからまいと、身動ぎをする。

 攻撃的な沈黙と視線が一瞬のうちに交差し、私を置いてそれぞれの目的地へと去っていく。


 どちらかといえば普段は早く歩く方なので、彼らの気持ちは良く分かる。

 朝の方が人通りが少ないと思っていたが、見込みが甘かったようだ。かといって現状の歩く速度を考えると、このくらいの時間が丁度良いのは間違いない。

 帰る時は大丈夫だろう。今だけ我慢すれば良い。


 いつの間にか止まっていた息を吐き出し、ゆっくりと息を吸って止める。

 胸が自然と開いて視線が上がる。

 痛みを思考から追い出すと、ただ前を見て再び歩き始めた。



 やっとの思いで倉庫区画を抜けた。

 気が緩んだせいでどっと疲れが押し寄せ、慌てて近くの倉庫へ近付くと汚れも気にせず地面に座って凭れ掛かる。額の汗を拭い、数時間ぶりに左足を休ませる。

 怪我の影響が想定よりも遥かに大きい。

 こんなことなら松葉杖を借りていれば良かった。

 ギルドの訓練所や魔物解体所が、街の方向とは反対側にあって本当に良かったと、こんなに感謝することになろうとは露ほども思っていなかった。


 後は金融施設を通り過ぎ、街の商業地域へと入っていくだけなのに、もうすでに気が滅入っている。

 昨日、期限切れになった薬草採取依頼を押し付けられていなければ、私が襲われることはなかったのに。


 一瞬、考えてはいけない願望が芽生え、慌てて首を振って追い払う。


 これ以上はいけない。疲れている時は思考が全て良くない方向に向いてしまう。

 まずは自分の仕事に集中しよう。ただでさえ時間がかかるのに、そんなことを考える余裕などないはず。


 短く息を吐き出して立ち上がると、凭れていた壁から離れる。服に付いた汚れを丁寧に払い、再び歩き出したのだった。



 沢山の人を惹きつけようと華やかに着飾った大通り。その一本奥、人が通ることを想定していないほど狭い路地に入る。何かが腐ったり繁殖したり錆びたりした様な、鼻にまとわりつく不快な匂いに眉を少しも動かすことなく、先の見えにくいジグザグ道を迷わず進んでいく。

 私にとってはもう慣れた道で、人通りが無くてむしろ歩きやすい道だと思っている。


 するりと路地を抜けて目的のお店の横に出ると、急な眩しさで目が眩む。

 逃げるように目的の店のドアノブを握り、どうか他のお客さんがいませんようにと願いながら店に入る。


 重たいドアを押し開くと、ドアベル代わりに錆びた金具が悲鳴を上げ、暗い店内に光が差し込む。

 いつも通りお客さんが居ない店内を見て、肩の力が抜ける。

 入口横に詰まれたカゴを手に取ると、持参した袋をカゴの中で広げてセットする。ポケットに入れていたメモを見ながら、棚から商品を取って次々とカゴに入れていく。


 最短距離で商品をかき集め、店の角でドカッと座り込んで動かない大柄な店主に近付き、カゴの中を見せながらお会計を頼む。

 いつもの仏頂面が一瞬私の右後ろを見た後、こちらをじろりと睨む。

 今にも血が滴りそうな包帯を見て、後ろにある新しい包帯を買わないのかと言いたいのだろう。


「お会計お願いします」

 表情を変えずにもう一度頼むと、店主はカゴの中を見てぶっきらぼうに金額だけを告げる。


 告げられた金額分を丁度手渡すと、出口に向かって来た道を戻る。袋ごと商品を取り出して、カゴは元あった場所に積み直す。

 外に出ようと踏み出したその時、袋を持っている左手に小さな違和感を感じた。疑問に思って左手を見ると、そこには買っていないはずの包帯が入っていた。

 無意識に取ってしまったのか、落ちてきたのかは分からない。ただ間違いなくお会計していない商品のため、背筋が凍るような思いで振り返ると、仏頂面の店主がすぐ傍で見下ろしていた。

 びっくりして右足に体重をかけてしまい、脳を貫くような激痛が走る。

 今にも力が抜けそうになる足をプライドだけで踏ん張り、冷静を装って取り出した包帯をゆっくり店主に差し出す。


 店主は先程よりも鋭い眼光で睨みつけると、何も言わずに差し出した包帯を突き返し、背を向けて店の奥へと引っ込んでしまった。


 しばらくして、ドアの外から正午を告げる鐘の音が聞こえ始めた。



 大通りはこれぞ本望と言わんばかりに人で溢れかえり、人気のレストランは既に行列ができている。行こうと思っていたお気に入りのパン屋さんも、キラキラとした女性客でいっぱいだ。


 今日は何もかもが後手に回っている。


 気乗りはしないが、人が少なそうなお店を新たに探さなければいけない。

 しかし、もう歩きたくないと両足が首を振っている。

 本当は持ち帰りで買って、近くの公園のベンチに座って昼食にしたいのだが、この様子だと既に誰かが陣取っているだろう。


 思わぬ出費があったので、出来れば昼食代は抑えたい。

 そういえば、咄嗟に包帯代を店主が座っていた椅子に置いてきたが、他のお客さんに盗まれたりしないだろうか。もう少し冷静になればよかったと後悔しても、戻ることは出来ない。

 ため息を押し殺し、さっさと食べて帰ろうと人気のない食堂を探し始めた。



 見つけたのは住宅街に近い場所にある、普通の家にしか見えない小さな食堂だった。

 どこもかしこも人で賑わっており、もう諦めて帰ろうとしたところで、その食堂に大工らしき二人組が入っていくのが見えたのだ。チラリと見えた店内と、中から聞こえてくる人の声からして、食堂であることは間違いない。


 カランカランと、ちゃんとしたドアベルの音が鳴る。元気な店員さんに席へと誘導されると、席についてすぐにメニューの中から本日のおすすめ定食を注文する。

 店員さんは厨房に届きそうな声量で注文を繰り返した後、足早に去っていく。

 やっとまともな場所に座れた。


「おい、聞いたか? 昨日街のすぐ近くの森で狼の魔獣が出たらしいぞ」


 後ろから聞こえてきた話し声に耳が反応する。間違いなく私の話だ。


「一般人に被害が出たってやつだろ? 最近魔物が活発になってるって本当なんだな」

「冒険者がさぼってんだよ! あいつらなーんにもしなくても俺らの税金で飯なんかいくらでも食っていけるだろ!」

「お、おい……! やめとけ、捕まるぞ!」


 途端にシーンとなる。

 斜め前に座っていた客が何事かと私の後ろに視線を向け、その後私と目が合う。

 恐らく、後ろの人達の視線を追って、私に辿り着いたのだろう。

 制服が隠れるような上着を持ってくれば良かった。


 気まずい雰囲気の中、運ばれてきた野菜炒め定食を不自然にならない程度の速度で胃に押し込む。

 何も言わずに黙々と食べ進める私を観察するような空気がしばらく続き、徐々にまた喧騒を取り戻していった。


「あいつも冒険者なのかな」

 隙間を掻い潜るように耳に届いた小さな言葉。


 私は冒険者になれない。


 あまり知られていないが、冒険者になれるのは特殊な異能に目覚めた者だけ。以前貴族の屋敷でメイドをしていた時、たまたま知ったことだ。

 ただ一般的に知られていないため、口外しない方が良いだろうと思って誰にも言っていないし、言う相手もいない。


 野菜炒めがほぼ原型のまま食道に詰まり、今にも吐き出しそうになりながら、店員さんを呼んでお会計を済ませる。


「税金泥棒が俺達の金で飯を食ってるぜ」

 鋭利な言葉が背中に刺さる。


 なるべく声の主を見ないように立ち上がると、速度が上がっていく気持ちを抑え、右足を引きずって出口に向かう。

 包帯から許容を越えた血が滴り、地面を汚していく。汚してしまって申し訳ないと思いながらも、店員さんに対して話しかける余裕はない。

 キンキンと耳鳴りがし、周りの音もよく聞こえない。


 感情を断ち切るように、私は食堂のドアを閉めたのだった。






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