第34話 湯浅シサとカメラ③
近衛 (リュウジの声真似をして)「今日をもって正式にサッカーを辞めることができました」って言ってた……。「今日が自分にとって最後のゲームだった」って。
私が「ボールなんて蹴ってないのに?」って言ったら、「頭のなかではずっとプレーしてたんです」って言うのよ。「僕ならもう二点は獲れた」って。自信家よね、リュウジ君って。
シサ イニシエーションだった……。儀式。通過儀礼……。『普通』にもどるための。
近衛 そうだったのかもしれない。「僕は普通の高校生になります」って言ってたわ。
その日を境にリュウジ君は変わった気がする。険がなくなったっていうのかな。憑き物が落ちたみたいに……。本人が言ったように普通の高校生になったの。「なりたい自分はこれから探す」、「ユースの頃のチームメイトとも会ってきた」、「もう過去とは決別できた」。
シサ 話してくれてありがたかったです(満足そうに微笑んで)。でもそれが、私の話となにか関係があるっていうんですか?
近衛 (真剣な顔をして)《リュウジ君はきっと自分が昔すごかったことくらいの事実で恋人ができてうれしいと思っていない》。プロ選手という過去は切り捨てたんだから。
シサ それは……近衛さんの想像でしょう?
近衛 でも思い返してみて。あなたが最初に好きになったきっかけを話したとき、リュウジ君はどんなリアクションをしたの?
シサ それは……とまどっていました。帰り道に私がいきなりあんな話をして……。でも私から逃げようとはしなかった。
近衛 それはあなたがファンだったからじゃないの? ファンは大切にしたい。あなたにとってリュウジ君は唯一でも、リュウジ君にとってあなたは数多くいるファンのうちの一人にすぎなかった。
あの日大勢のファンから顔と名前を覚えられているリュウジ君を見ているの。(嵯峨にむかって)ね、そうでしょ?
嵯峨 まぁな。思ったより有名人でビビったよ。何回かサイン頼まれてた。
近衛 あなたはリュウジ君を癒やしたいと言った。でも彼はもうすでに『回復』しているのよ。自分の力で決着をつけたの。
クラブの人がリュウジ君を見つけて、声をかけなければあの出来事は起こらなかったでしょうね。でも彼はグラウンドまで降りた。自分の過去にケリをつけた。自分の家族ともいえる人たちにあいさつをして。
サッカーを辞めて鬱ぎこんでいた、あなたが想像するような暗い彼はいないわ。
シサ ……私は。
近衛 《リュウジ君は悲劇の主人公なんかじゃない》。その点は同意してくれる? 愛子ちゃんは?
嵯峨 あいつにそんな属性があったことなんてずっと忘れてたぜ。あいつは別に困ってなんてないよ。
つかよ、あたしや近衛みてぇないい女に囲まれておいてなにも悩むことなんてねぇだろ! 毎日がハッピーに決まってっだろ。
シサ ……私は。
近衛 なに?
シサ (落ち込んだ様子で)リュウジ君との接し方を間違えていなかったかもしれない。あらかじめ知っていたことに縛られていて、眼のまえにいるリュウジ君に向きあっていなかった。私は馬鹿でした。
近衛 あなたにとって「愛」は一方的にあたえるものだったの?
シサ リュウジ君は私の過去を知らなかったんです。子役時代のことを知ったあとも彼は接し方を変えようとしなかった。腫れ物扱いなんてしなかったんです。
近衛 あなたもリュウジ君も、普通の高校生よりずっと人生経験が豊富なのよ。
シサ 彼にとって私の体験なんて、なんでもないことだった。私は勝負から逃げだした。リュウジ君は逃げたわけじゃない。
近衛 え?
シサ 私は無意識に……彼を馬鹿にしたような言動を繰り返していたのかもしれない。
彼を慰めてあげたいとか、そんな……。余計なお節介を焼き続けていた。そうなんでしょう? 近衛さんが言いたいのは。
近衛 (焦った様子で)あなたのことが嫌いってわけじゃ……。
シサ (沈黙)この先彼といい関係が続けられるか不安になってきました。
嵯峨 まだあいつと彼氏彼女ってわけじゃないのか?
シサ 言葉にはしていません。なんとなくで進んでいるんですよ。そういうのは日米間の文化の違いなのでしょうか? (アメリカに)いたのは四年間だけですけれど。
嵯峨 ま、あたしの見立てだとリュウジは鉄板で童貞だし、奪っちゃえば意のままになると思うよ。天井の染み数えている間に終わるから押し倒しちゃえばぁ? なに怒ってんだそういう話してんだろ?
シサ してません。
嵯峨 こんな
シサ (胸に手をあて)リュウジ君が誰かとせーー肉体的接触をしていようといまいと、彼への好意は不変です。
近衛 二人がなんの話をしているかわからないわ。
嵯峨 おまえは清いままでいろ。リュウジはあたしたちの男友達ではあるが、それでも結局異性だろ? あいつのことなんて本質的に理解できねぇよ。
あいつの考えていることもわからんし、交友関係だってわからない。演劇部の活動に熱中しているようで、学校の外でよくわからん人間関係ができてっかもしれんしな。
それこそ隠しているけど女がいるとか、
シサ そんな大事な話を私にしないなんてありえない……。
嵯峨 たとえ夫婦だろうと恋人だろうと話せない秘密の一個や十個や百個あったっておかしくはないだろ。あたしなんておまえらに話せないこといくらでもあるぜぇ?
近衛 部活に支障がないように気をつけてね愛子ちゃん。
嵯峨 バレなきゃ停学にはならんからな。どうした優等生?
シサ (軽蔑の視線を嵯峨にむけ、それから眼だけを動かし近衛を見る)近衛さんは当初の目的を達成されたんですか?
近衛 ええ。あなたがリュウジ君をどう想っているかはわかりました。今度はリュウジ君を呼んで話をしてみようかしら。彼があなたをどう思っているかが気になってきたわ。
シサ 思ったんですけれど、今日のこの会話……私にとって致命的な発言が多分に含まれていますよね。彼に知られたら嫌われてしまいます。絶対にそうです。お二人は話してくれないと約束してくれますか?
嵯峨 そう思うなら話さなきゃ良かったのに。あたしは口が超ライトだぜ?
近衛 細かいニュアンスは伝わりようがないので、問題ないんじゃないかしら。
シサ 本当に・そう・思います?
近衛 私は黙っているわ。愛子ちゃんもそうしてね。……そんなにリュウジ君に嫌われたくないの?
シサ (早口になって)今までずっとペースを握ってきたんですよ。それこそあらゆる手段を使って。細心の注意を払って、時間もお金もコネも費やして。彼に好きになってもらうためならなんでもしてきました。彼に真実を知られたくないと思うのは当然でしょう?
嵯峨 真実ってなんだ?
シサ 真実というのは……つまり……私が「幻」を追いかけていたということです。理想のリュウジ君という「幻」を。現実の彼はまるで別人だったのに……どこにでもいる普通の男子高校生だったのに。不思議なことにそんな彼に幻滅しなかった。
近衛 よくわからないけれど……あなたにとって理想のリュウジ君ってどんな人なの?
シサ 私を好きで好きでしょうがない人、私をいつも見守ってくれる人、私なしじゃ生きていくこともできないくらい依存してくれる人ですよ。ヒーローで今は私の恋人になってくれる。私だけを見てくれる人。
実際には逆で、私がリュウジ君なしじゃ生きていけなくなっているんですけれどね……。
もう遅いです、お二人とも車で家まで送りますよ。
(三人が立ち上がり画面からフレームアウトする。数秒後に照明が消され部室は真っ暗になった。ドアが開く音。鍵のかかる音。足音が遠ざかっていきーーそれから映像に変化は見られなくなる)
僕はこの映像を観た。
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