第33話 湯浅シサとカメラ②

近衛  シサさんは、リュウジ君がかわいそうだと思っているんですか?

シサ  かわいそう……まではいかないにせよ、似た感情はもっている……のかな。どうしたんですか?

近衛  リュウジ君が落ちこんでいると思ったの? 競技から引退したのはもう一年以上まえなのに。

シサ  それは……。

近衛  正直に答えてね。私たちに嘘はつかないで。

シサ  ……彼をと思って接触したんです。だから日本に戻ってこの学校を選びました。彼はサッカーから離れ演劇部に入部していた。

 私が見る限りリュウジ君は目立とうとはしていなかった。役者でもないし、滅多に喋らない。裏方の仕事で満足していた。現役のころの彼と比べたらまるで別人でした。

近衛  選手だったころの彼はとっても明るそうだったし、口数も多そうだったわね。陽気だし感情豊かだし。ゲームの映像を観た感じもそう。

嵯峨  ……ここにいねぇリュウジの話ばっかりしてると、あいつが重要人物だと勘違いしそうになるぜ。(シサと近衛から刺さるような視線を受け)はいはい黙ってりゃいんだろ。

近衛  これは話したほうがいいのかなぁ……。私は彼が大きく変わったきっかけを知っているの。

シサ  え?

近衛  そういうエピソードがあるの。三人で川崎まででかけたんだけれど。(自分と嵯峨を指ししめす)私と愛子ちゃんとリュウジ君の三人でね。

 リュウジ君の誕生日ーー去年の一一月だったかな。サッカーの試合を観に行ったのよ。チケット代は彼が出してくれた。リュウジ君からきいてないみたいね。

シサ  はい……。

嵯峨  あんまり酷なことを言うなよ近衛。

近衛  リュウジ君が以前所属していたクラブの試合よ。精一杯勇気をだして誘ってくれたみたい。スポーツって生で観るのとテレビで観るのとでは迫力が違うのよね。応援も大きくきこえるしプレーしている選手も近いし。あれは経験しないとわからないわ。

 私たちにサッカーを『布教』するために連れてきてくれたみたいだった。試合中のリュウジ君は親切だった。助言者アドヴァイザーというか親善大使アンバサダーというか。

シサ  試合中に解説してくれたってことですか?

近衛  いえ、余計なことはなにも言わずこっちが質問したときだけ丁寧に答えてくれたわ。「初心者相手にマニアが情報を押しつけるのは良くない」って。「最初のうちは少しでも楽しみ方がわかればそれでいい」。流石に応援すればいいチームは教えてもらったけれど。

 あれは楽しかった。私たちルールもろくに知らなかったのに、あれからサッカーの試合ときどき観るようになったもの。そうよね愛子ちゃん。

嵯峨  あたしは『スタジアムグルメ《スタグル》』のもつ煮込みが美味かったことくらいしか憶えてねぇよ。つか話脇道に逸れまくりだぞ。リュウジのこと褒めるために話してんのか?

シサ  なにかあるんですね?

近衛  ……ゲームが終わったあとにある出来事が起こったのよ。

シサ  (身を乗りだして)なんです?

近衛  そのときリュウジ君はサッカーを正式に辞めることになったのよ。

 私たちはホームのメインスタンドで試合を観てたの。そしたらクラブのスタッフの人が声をかけてきたのね。リュウジ君と知りあいの若い男の人だった。

 リュウジ君はその人としばらく話をして……迷ったみたいだけれど結局しがったの。観客席からピッチに降りた。私たちは置いてけぼりになったわ。

嵯峨  女二人侍らせているところ見せつけるチャンスだったのにな。でもあたしらがいなかったら、あんなことも起こらなかったんじゃねぇの?

近衛  試合が終わって、選手たちが集まって、ゴールの裏にある観客席まえであいさつをしていたの。ファンの人が少しずつ帰っていたけれど、それでも一万人くらい残っていたんじゃないかな。

シサ  リュウジ君はどうしたんですか?

近衛  選手たちがファンの人にあいさつして終わりってタイミングだった。そこにリュウジ君が現れた。……Tシャツ姿で一般人にしか見えなかった。周りの選手たちに比べたら浮いていたわよ。日焼けしてなくて肌も青白かったし。

 リュウジ君が現れた瞬間観客席がざわめいたのを憶えている。リュウジはあのクラブで育った有望な選手だったから。期待の星だった。違う?

シサ  そうです。

近衛  離れてたけど私眼がいいから見えたわ。リュウジ君はしばらく元チームメイトたちと話をしていた。ずっと頭を下げて、話をしていてもまともに相手の顔を見れてなかった。きっと今まで会えなかったことが恥ずかしかったのね。

 そして拡声器を手渡されたの。観客席にむけて話し始めた。堂々とした態度だった。眼のまえには熱心なサポーターが大勢残っていたのに、少しも物怖じしてない様子だった。

 ああいう状況に慣れていたのかな……。ヴェテランならともかくまだ若いのに。すごいでしょ?

 リュウジ君が正確になんと話していたかは覚えてないけれど、内容としてはーー謝罪だった。自分に関わった人すべてに謝っていた。

「今までクラブに育ててもらったのに、病気で自分のキャリアを諦めることになった。コーチたちの時間を奪って、お金も投資してもらって……自分は競争相手を蹴落としてチームに所属させてもらい、ゲームに出場させてもらっていたのに、中途半端なところで辞めてしまって申し訳ない。期待だけさせておいてあんな終わり方をしてすいません」って……。

シサ  (驚いて)あの人が頭を下げるようなことをしたんですか?

嵯峨  実際そうしてたぜ。

近衛  サポーターの反応は……彼の言葉を否定するものでした。「気にするな、顔を上げろ、おまえのことはずっと忘れない」。男の人たちが野太い声でそう叫んでいたの。女の人もいたけど(笑い)。拍手もたくさんもらっていたわ。

嵯峨  ただプレーしているだけならともかく、大観衆のまえで、一人で拡声器もって、自分の想っていることを素直に伝えてさ。学校にいるときの奴とは別人だった。

近衛  まるで同い年の友達相手に話しかけてるみたいだった。生の声だった。用意した言葉じゃなかったのよ。

 そもそも予定されたイヴェントではなく、人にうながされてスピーチを始めたわけだから。そんなに長くはなかった。三分くらいだったと思う。

 リュウジ君はね、話しかける相手との距離が近いのよ。拡声器がいるくらい人と離れていたのに、相手との垣根がないっていうのかな。

 ゴール裏にいたのにメインスタンドにいるこっちの心に響いてくる話し方をしていた。スタジアム全体に伝わってくるような……。あれは才能だと思うのよねぇ。だから役者やらせたいのに(残念そうな様子)。

嵯峨 「世界一の選手になると宣言したけれど叶わなかった。みんなに嘘をついてすいません」みたいなことも言ってたかな。デカい口叩いてたんだなあいつ。

近衛  今の私にはそれがどれだけ大変なことなのか、少しはわかる気がするの。一番になることが彼の夢だった。途方もないことを実現しようとしていた。

 でも実際のところ、なにか夢を追いかけている人の内面は他人には理解できないことなんだと思う。本人がどれだけ苦悩しているか、どれだけ努力しているかなんて……。

シサ  (かすれた声で)どうして私はそこにいなかったんでしょう。

近衛  私は単純に……学校の外にいるリュウジ君を知らなかったから、大人の知りあいがいるのに驚いてしまったわ。彼、学校で友達とかいないタイプだから……。今は少しはいるみたいだけれど。

シサ  スピーチのあとはどうなったんです?

近衛  選手やコーチの人と握手をして、みんなとグラウンドをぐるっと一周して他の場所の観客にあいさつをしてーーそれで解散して、建物の中から観客席に戻ってきた。そのころはもうお客さんもほとんど帰ってたかな……。

嵯峨  あたしは「遅え!」ってキレてたよ。

近衛  愛子ちゃんあのときリュウジ君のことずっと見てたわよね。

嵯峨  あたしは男の涙に眼がないんだよ。

シサ  泣いていたんですか……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る