第32話 湯浅シサとカメラ

(演劇部保有のタブレットに残された映像ヴィデオ。映っている人物は湯浅シサ、近衛焉、嵯峨愛子の三名。演劇部部室にて。通し稽古をするためなにも置かれていない空間、その奥に長机がある。六月九日の夜)



近衛  (沈黙)シサさん、ちょっといい?

シサ  (壁際にある黒板を掃除する手を止め)なんですか?

近衛  リュウジ君が休んでいるときに話すことじゃなけど……。

シサ  内緒の話ですか?

近衛  (シサを長机の隣に座らせて)愛子ちゃんは帰ってもいいわよ。鍵は私が返しとくから。

嵯峨  オレだけハブりかよ。気にすんな待ってっから(画面左端のイスに腰かけ、近衛にむかって手を振り、興味なさげにスマホを見ているをする)。

近衛  リュウジ君のことなんだけれど。

シサ  あの問題はショッピングセンターのときに解決したはずですよね。学校内では友人でとおせば問題ないと。

近衛  (上機嫌な様子で)もちろんそうよ。私は気にしないわ。

シサ  それは良かったです。

近衛  よく考えたらあのときの私って失礼なことをしていたかもしれない。リュウジ君が倒れちゃってうやむやになっちゃけれど……申し訳ないわ。

シサ  まったく気にしていませんよ。……それで話っていうのは?

近衛  私、すごく気になるの。男女の交際っていうものがどんなものなのか。

シサ  (噴きだして)私にだってわかりませんよ。そんなこと。

近衛  (顔を赤くして)シサさんはリュウジ君と、その、ちゅ、ちゅー……とかしたんでしょう? あのときの様子から察するに……。

シサ  (冷静になって)クローズドな情報なので話せません。

嵯峨  空気を読めよ近衛。

近衛  まったく未知の概念なのよ。男の人を好きになったことないから。(イスから身を乗りだし、シサに顔を近づけ)教えてくれない?

嵯峨  (小声で)おっ、百合か?

シサ  ちょっとまってくださいね。そんなこと私にきかないで、嵯峨さんにきいたらいいじゃないですか。彼氏がいらっしゃるんでしょう?

近衛  愛子ちゃんにも教えてもらったけどあなたにも教わりたいの。

嵯峨  あたしも徹底的に尋問されたぜぇ(脚を組み直す)。

シサ  どう答えたんですか? 興味があります。

嵯峨  あーん? 恋愛なんて性的欲求のぶつけあいでしかないだろ? 他にどう答えりゃいいんだ?

近衛  ね、答えになってないでしょ?

シサ  まったくです。

嵯峨  なんだよぉおまえら。

近衛  逃げの解答でしかない。愛子ちゃんは恥ずかしいから答えてくれなかったの。

シサ  なにをです?

近衛  人を好きになる理由、つきあう理由を。シサさんは答えてくれる?

シサ  つきあう理由と言われても……。

近衛  あなたの口からリュウジ君を愛するようになった理由を教えて欲しい。それともあなたは、恋をしている人を演じるときになにも考えずに演じるの?

シサ  そんなことは……。

嵯峨  『アイスル』とか別の国の言葉だよな。そんなこといちいち考える奴いるぅ?

近衛  愛子ちゃんは黙ってて! 私はあなたのことがもっと知りたいの。なんだかわからないけれどそういう衝動に襲われている。大会近いし、舞台に集中しないといけないことは頭ではわかっているのよ。でも……。

シサ  疑問をそのままにしておけない。

近衛  私は知らないことをなくしたい。世間知らずのままじゃ嫌なのよ。一応役者だけじゃなくて、脚本製作にも関わっているわけだし……。(笑って)台本ほん書いているのは九九パーセントあの子なんだけどね。

 それに恋愛ものを演じることがあったときの参考になるわ。

シサ  演劇部の役に立つなら答えます。役に立つんですか?

近衛  シサさんの体験は私の糧になるはずです。

シサ  なら話しましょう。……でも、私が音羽リュウジ君を知るきっかけについてはもう話していますよね。

近衛  アメリカにいたころに、彼が出場している試合を偶然観たって話ね。

シサ  あれがすべてだと思っているくらいです。それくらい衝撃的なゲームでした。対戦相手はーー

近衛  ブラジル代表でしょう? 知ってますよ。スコアも試合内容も彼がどのポジションでプレーしていたかも。サッカーをよく知らない私でも

シサ  (浮き立つような声色で)そうでしょうね。

近衛  プロのクラブチームの下部組織ーー『クラブユース』って言ったかな? そこにいたことも知っています。

シサ  ま、それくらいご存じでしょうね。ずっと一緒にいるわけですから。

近衛  私たちはリュウジ君と友達なの。多分シサさんが思っている以上に仲がいいのよ。

嵯峨  まっ、確かにそうだな。

近衛  女子と男子だから友達になんてなれないものだと思っていたけれど、彼はなんていうかーー

シサ  異性として見れない?

近衛  男友達です。彼以外にそう呼べる男の人はいないんですけれど……。

嵯峨  あたしはあいつのことを性的な眼で見てるぜ。身体鍛えてたし腹筋シックスパックだ。シサさんはまだ見てないのかなぁ?

シサ  (あきれ顔で)彼氏さんいるんでしたよね……。

近衛  私たちの意見はいい! 今日はシサさんの話がききたいの。ほら早く!

シサ  すべては偶然なんです。偶然あの試合を私が観て、その試合で偶然彼が活躍してーー決勝までは六試合で一得点でしたからね。日本が大量リードした試合の終盤の得点、しかもPKです。

嵯峨  無能。

シサ  (嵯峨をにらみながら)リュウジ君は一七歳以下の大会に飛び級で出場していたんです。まだ中学生だったんですよ。二年後の次の大会にも出場できるくらい若かったんです。そこは大目に見てあげてください……。

嵯峨  すまん。

シサ  あのとき彼と眼があった……今思えばそんな気がしただけです。でもそれでいい。彼に好意を抱く理由には充分すぎた。

近衛  偶然だったから好きになれた。たとえばもともと彼があなたの近くにいて、彼に好意を伝えられたとしても……。

シサ  好きになったかなんてわからないですね。

近衛  彼が当時有名な選手だとしたら好きにはなっていなかった?

シサ  かもしれません。マイナーな存在だったからこそ『私だけのヒーロー』になったと思いこめた……。アメリカで暮らしていた私に、日本で活動していた彼の情報なんて入ってこなかったですし。

近衛  国内でも有名だったわけではないわよ。多分。

シサ  (うなずきながら)発見した気になれたってことですよ。私だけが。それこそが偶然で運命だった。

近衛  運命! なかなか日常生活ででてこない言葉ね。

シサ  だって、彼は私と同じ運命をたどっているわけだから……。

近衛  あなたと一緒で仕事をあきらめざるえなくなったから。

シサ  彼は恒久的にスポーツができない身体になりました。私とは違う。私はやり直そうと思えばやり直せる。だからーー

近衛  リュウジ君を慰めてあげたいと思った?

シサ  (しばらく考えたあとにうなずく)ええ、そうです。

嵯峨  本当に夢中なんだな、あいつに。少しまえまで会ったこともなかったわけだろ?

シサ  そういうこともありますよ。

嵯峨  部屋にあいつの写真ポスターにして飾ってそう。あ、図星だったか?

シサ  (作り笑いを浮かべ)それが悪かったですか?

嵯峨  そりゃ勝手だけど……おう、事実マジなんだ。あのリュウジがアイドルあつかいねぇ……。

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