第27話 湯浅シサと車内
□ □ □ □ □ □
倒れたリュウジ君を車で運び、彼の家族の元に引き渡した。
私と近衛さんは彼の家族--たまたま家にいたお姉様に何度も頭を下げられ、それからすぐに辞去した。浜尾が運転する車に乗り都内にUターンする。
リュウジ君の熱はそのころには下がっていた。意識もある。私たちにむけて何事か喋っていたが内容は聞きとれなかった。思ったよりも軽症そうだ。
同級生の命を預かるプレッシャーから解放されたためか、近衛さんはリラックスした様子で車外の風景を見続けていた。
彼女は私の隣に座り、ドアのカバーに肘をあて、頬杖をつき、うっとりとした表情をしている。眠たいのかもしれない。近衛さんのチャームポイントである魅力的な大きな眼が今は半ば閉じられ、蠱惑的に感じられる。女性の私でも見蕩れてしまう。
「近衛さん、起きてますか?」
彼女は眼を見開いた。起き上がり手を膝のうえに乗せる。
「はい! そうね、ちゃんとしなくちゃね!!」
同級生の車に乗ったくらいのことで、かしこまらなくても良いのだが……。
「リュ、リュウジ君無事みたいでなによりだったわね。学校にはいつからこられるかしら……」
「私、明日学校休みます。リュウジ君の面倒は私が見ますから……演劇部を代表して」
「そう。それは助かるわ。私のメッセージも伝えてくれる? えーと、『お幸せに』じゃなくて」
「『一日も早いご回復を祈っています』なんてところですか?」
「そう、そんな感じ! でもよく考えたらラインで送ればいいのね!」
近衛さんはそう言ってスマホをとりだす。
彼女はそれを操作する手を止め、私の顔を凝視した。
「休む!」
「ええ休みます」
「学校って気軽に休めるものなのね。私一度も休んだことないから……シサさん子役時代たくさん休んでた?」
私は黙ってうなずく。
そしてこう問いかけた。
「近衛さんにとってリュウジ君は魅力的な男性ではないのですか?」
「んー?」
思考停止状態に陥る近衛さん。きょとんとした顔で数秒間フリーズする。
「どうですか?」
「どうですって言われてもわからないわ。私そういう感情をもったことがないの。異性に」
「いやに距離が近いことがあるんですよね。リュウジ君の肩にふれたり、寄りかかったり。あんなことしたら彼もその気になってしまいますよ」
「……え?」
「本当にわからないんですか? 本当にその気がないんですか?」
近衛さんはすっとぼけているわけではないようだ。本当に理解していない。
年齢の近い男女が一緒にいて、いつも行動を共にして、親しげに会話をして……それで男のほうがその気を起こすはずがないと思っている。まるで警戒心がない。
これじゃちょっとリュウジ君のほうがかわいそうだ。私がいなかったらあのおかしな関係がずっと続いていたのだろうか。
リュウジ君は近衛さんのことが異性として好きなはずだ。
きっと彼が近衛さんを初めて観たときからそうったはず。
私という異分子が登場してからもその初心は変わっていない……のかどうかはまだわからない。そのことはリュウジ君本人に言葉で表現してもらわないと。
「わからないわ。私……他人をそういう眼で評価したことがないから。私にとって学校の生徒は、役者にむいているかむいていないか。演劇に興味をもっているかいないか。この二つだけ。リュウジ君は役者にむいているし、演劇に興味をもってくれている。だから演劇部に加入してもらった。あなたもそうよ」
近衛さんは嘘をついていない。彼女は男女の恋愛関係に興味がないのだ。
近衛焉さんが無性愛者という決めつけは早計だろう。レズビアンであるようには見受けられない。
この人がまだ子供だからわからない--そう断じるには近衛さんは肉体的にも精神的にも成熟しているように私の眼には見える。
要するに邪気がない人なのだ。とても現代に生きる女子高生と思えぬほど。彼女と比べたら私は穢れている。荒んでいる。世間に忘れられようとしている使用済みの少女だ。
……近衛さんは初心すぎる。異性に対しまるで警戒心というものがない。リュウジ君がその気になれば、そして彼が手段を選ばなければ、近衛さんはこの男子部員に手籠めにされていたかもしれない。そんな暗い想像力を働かせている場合か。
私は言った。
「リュウジ君は近衛さんのことが好きなんですよ。気づいていらっしゃらないようですが。友人としてではなく恋人として。彼氏彼女の関係になりたいんです。きっと今も」
「そんなことないわ。リュウジ君は私のことそんな眼で見てない! 絶対! きっと! も、もしかしたら。うーん、うーーん。そう、そうなの? そういうことなの!?」
近衛さんは私の考えを理解してくれたようだ。頭をひねり、顎に手を添え考えるポーズ。時間をかけて呑み込んでいる様子。
「確かに不思議な目付きをして私を見ていたことが……」
「もっと他人の眼を気にしたほうがいいと思いますよ」
「で、でもリュウジ君は私にあんまり話しかけてこないわ」
「シャイなんですよ、彼は」
私に対しては自然に話しかけてくれるが、近衛さんに対しては敬語を崩さない。
他のほとんどの部員に対してもそうだ。女性に対し本来丁重に接するのが枯れたの態度。私に対してぶっきらぼうなのは、こちらがあんなファーストコンタクトをとったからゆえなのだ。
「シサさんはリュウジ君のために演劇部にはいってきたんでしょう? 演技することにモチベーションはあるの?」
話題を変えられてしまった。
「ありますよ」
「簡単に即答するわね」
「私が魅力的な異性であることを彼に認めてもらいたい。私の一番の長所は女優であることです。リュウジ君がここにいなくても、彼にアピールするためにここにきていたかもしれません」
「演劇部はあなたにとって目立つための道具?」
「それも一つの目的です。でも今の考えは違う。今は……新しいことに挑戦できてワクワクしています。昔とった杵柄っていうのかな……」
「シサさんは難しい表現をいっぱい知ってるのね」
「演技することを再発見している。演技をして芝居をして役を演じることは他人になりきることです……それが湯浅シサの目的。他人の人生を追体験できる。それが楽しい。私個人の人生なんてたかが知れてる。私の人生はつまらないですから」
自分の人生から架空の役に逃避することができる。
「そんなことなんてないわよ! あなたみたいな脚光を浴びた人なんてそうはいない……『国民的人気子役』だったんでしょう?」
「リュウジ君も近衛さんも私のことを知らなかったでしょう? 知名度なんてそんなものです。一時のものですよ。永遠には続かない。私は評価基準を他者に委ねすぎた。私は自分の満足のために初めて動いているんです。芸能活動も、勉強も、英語を喋れるようになるのも、結局家族に認めてもらうためのツールだった。今は純粋です」
「リュウジ君のどんなところが好きなの? ……もし良かったら教えて!」
「また急に話が変わりましたね。そうですね……」
「私は真面目なところが好き! よく相談に乗ってくれるし」近衛さんは長考。「あとほら! 自己犠牲精神? 今日みたいにあなたをかばって部を辞めようとするくらいだし。シサさんはどう思ってる?」
「全部ですね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます