第21話 湯浅シサとドライブ

「シサさんは今でもすごくかわいいけれど、子供のときはこーんな小さくて幼くて! ……妹にしたいくらいキュートなの! わかる?」

「僕がわかったらロリコン呼ばわりされますよ」

「そうね! リュウジ君はそんな眼で見ちゃダメよ。映像作品は全部観たから、あとは出演しているバラエティ番組とかインタヴュー映像も入手しないと。私シサさんのマニアになったわ。あの子のことはなんでも知りたい」

「近衛さんはシサさんのファンなんですね」

 シサの有識者ファンという意味で。

「もちろんリュウジ君も観たでしょ?」

「全部観ましたよ。僕は父親の作品にもハマってますけれど。……二人目のファンが誕生してしまいましたね」

 芳川親娘の修羅ファンという意味で。

「全盛期のシサさんを知っている身としては今のシサさんはダメね。あの子はこれからまだ化ける。もっと魅せてくれるはず!」

「本人のまえで興奮しないほうがいいですよ」


       □ □ □ □ □ □ □


 ーーなので近衛さんが稽古で時間を割くのはシサの出番がある第五場ばかりだった。演技を止めるのもシサのセリフ・立ち回りが終わったタイミングが多い。

 かつてのスターを見守っているのは僕たち演劇部員だけではなかった。今週稽古をしていた場所は体育館にある舞台だ。演劇部の部室のような密室ではない。なので近くにいる運動部の連中や無関係な暇をしている生徒・教師たちといった有象無象さえも足を運び、そろって興味津々なまなざしをむけてくる。

 シサ一人の存在で人が集まっている。


「息を吸うようにカリスマ性を発揮するな」と僕。

「宗教を始めたり政権を奪取したりしてもいないのにカリスマだなんて呼ばないでください」とシサ。


 もちろんそんなモブの視線にプレッシャーを感じるシサではなかったがーー


       □ □ □ □ □ □ □


 部活でたまったストレス解消につきあわされることになった。


 シサからドライヴに誘われた。君が運転するのでなければ、と僕は答えた。

 金曜日。夜。

 学校付近の通りで例の車に乗りこみながら、僕は彼女に語りかけた。

「夜は若く、彼女も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼女の気分は苦かった」

「それってなんの引用ですか?」

 半笑いになって質問するシサ。今のセリフをきいて機嫌が良くなったようだ。

 僕は運転席の浜尾さんにあいさつしたあと、シサにこう言った。

「部活で近衛さんに詰められてたでしょ? ストレスたまってない?」

 僕は後部座席でシサの横に座った。車は滑らかに加速していく。

「私は怒ってなんていないです。ただ、近衛さんの私への要求が高い。あの人は誰に対してもああなんですか?」

「君が特別な人間だからハードルも上がってるんだよ。近衛さんのこと嫌いになった?」

 すぐに首を横に振るシサ。

「あの人の言っていることは間違っていません。あの人は……失礼な表現を使わせてもらえば役者馬鹿です。演劇に対して純粋で……私よりもずっと先を走っています」

「つまり?」

「私の力が彼女の基準よりも足りないだけです」

「楽しんでる?」

「……演技が上達することは子供のころから楽しかったです。経験値がもらえてレヴェルが上がって……ゲーム感覚ですね」

「近衛さんからはどんな指示を受けているの?」

「脚本主体で演じないで、俳優主体で演じて欲しいそうです」

「……ちょっとわからないな」

「……脚本主体の演技というのは、たとえば『あるセリフをきいてお客さんがどのような印象をもってもらいたいかを意識して演じる演技』のことです。こちらは比較的難易度が低い。『哀しんでいる』ですとか『緊張している』といった感情を言葉や身体の動きにのせれば良いわけですから。子供時代の私もそちらのタイプの演技を心がけていました」

「じゃあ俳優主体っていうのは?」

「それは要するにありのままです。リアルな演技。役そのものになりきる演技です。このキャラクターならこの場面ではこう思い、こう行動するだろうと思って演技をする。もちろんお客さんに伝わりやすいよう加工はしますけれど。こちらは難易度が高い」

「そうなの? 演じる人ってみんなそっちじゃないの?」

「違いますよ。脚本主体は似たような演技をあらかじめストックしておくことができますが、俳優主体は毎回本物の感情を用意しないといけない」

「自分の体験から引きだすってこと?」

「そうですね。今までやったことのない技術です。私はみなさんの期待に応えられないかもしれない」

 演劇部の成功に貢献できない。

 鳴り物入りで入部しておいて並の結果しか残せないのでは、矜持が傷ついてしまうだろう。

 シサは僕の明日の予定をきこうとしなかった。というか部に入ってここしばらくメッセージが送られてくる頻度がガクっと落ちた。彼女が舞台演劇という新しいフィールドに夢中になっている証拠だ。

「考えてみればわかりやすく飴と鞭だね。近衛さんが君に厳しくて、僕が君に甘い」

「リュウジ君と部長の二人で私をコントロールしようとしているんですか?」

「不可能なことには挑戦しないよ」

「私は子役のころにもっていた武器だけで成功すると思っていました。でも今チャレンジしている役は……難しい。すごく難しい」

「これくらいの壁、君になら乗り越えられるさ」

「私は……みなさんに認められる自信がないんです。私は近衛さんに比べたら並大抵の女優でしかない。ただちょっと経験があるだけだけの……」

 シサは眼を潤ませ始めた。薄暗い車内で彼女の眼だけが涙で輝いていた。

 頬に流れたそれを手で覆い隠す。

「それ演技でしょ。演技だよね? それくらいのことできるでしょ?」

「なんでそう思うんですか?」

「涙を流すくらい簡単でしょ? 俺にだってできる」

 部員たちのまえでやって驚かれたことがあった。

「サッカーを辞めたことを思い出してやるんですか?」

「そうだけど……」

「見せてくださいませんか?」

 グイグイくるなこいつ。

「君のまえで泣きたくなんかない」

 僕は彼女にハンカチを渡しながら言った。

 シサはハンカチで涙をそっとふきとった。

「ありがとうございます」

「紳士だからハンカチくらい準備しているさ」

 言うほど紳士か?

「……口でしてくれたほうが良かったですね」

 辛うじてききとれる声の大きさで彼女は言った。

 座席と座席との間にゆったりとした距離がある。いつものように(?)シサが僕になにかしてくる危険性は低い。バックミラー越しに浜尾さんが監視してくれているし。

 僕が注意すべきは彼女の言葉だけだ。シサは僕の不意を突いて刺してくることがあるから。今みたいに。

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