第18話 音羽リュウジと部員たち


「そういえばお互いの趣味も知らなかったね。俺は……サッカーを辞めてからは読書かな」

「まるでお見合いですね」

「シサの趣味は?」

「合気道……は趣味と言うよりも特技ですね。映画鑑賞にスポーツ観戦、茶道、弓道、簡単な料理といったところでしょうかーー」

「こないだつくってくれたサンドイッチ、美味しかったよ」

 浜尾さんがつくってくれたのかと思ったらシサのお手製だったのか。

「ありがとうございます。……あ! 私も読書はするほうですよ。最近はジャレド・ダイアモンドや小林秀雄を読んでいます。リュウジ君はなにを?」

「小説じゃなくてノンフィクションなの意識高いね。つか渋いなチョイス……。俺は最近ヘミングウェイにハマってるよ」

「海外文学ですか。ヘミングウェイって名前はききますけれど……」

「演劇やるならフィクションには親しんでいたほうがいいんじゃない? それとも、演じるだけなら関係ないの?」

「わかりません。昔は無駄なことをしている時間なんてありませんでしたから……でも演技のために必要なことならなんでもします」

「やる気になった?」

「あの舞台を観たらそう思ってしまいますよ。みなさんの足は引っ張りたくない。……本当はわかっていたはずなんです」

 そう言ってシサは黙った。なぜか悔しそうな顔をして下をむいてしまう。

「どうしたの?」

「映画の撮影をしたときに気づいていたんです。子供のころにはわかっていたことだったんです。映画を観ると仕事をしているのは俳優だけだって思ってしまいますが、撮影現場には大勢のスタッフのみなさんがいました。監督やカメラマンだけではない。アシスタントさんがいて、メイク、衣装、照明、録音、美術、技術……そういったたくさんの人の仕事があって初めて映像作品は完成するものなんです。そんなことくらいわかっていたのにーー」

「忘れていた」

「そうです。演劇なら役者が一〇〇点を獲ればそれで作品が完成すると思いこんでいた。でもそれは間違いだった。近衛さんは舞台の外でも強いでしょう? 演技の指導が上手です。毎日部員のみなさんのモチヴェーションをアップさせる言葉をかけて……大人みたいな人だった。私なんて子供ですよ」

「高校生なんてまだガキだよ」

「私たちは、ほら、人生二週目みたいなところがあるでしょう?」

 苦笑いを浮かべるシサ。

「それは言いすぎじゃない? 君はともかく俺は中途半端なところで終わったし」

「私たちは元つながりですよ。元天才キッズ、元有名人」

「元小学生で元中学生でもあるね」

「茶化さないでください。私たちは同じ境遇にある。ある日突然翼をもがれてしまったんです」

「詩的な表現だね」

「子供のまま成長できなくなってしまった。……私は近衛さんを過小評価していたんです。あの人が環境を整えてくれるから私たちは演技に集中できる。あ、もちろんリュウジ君もいい仕事をしていると思います。他にもーー」

 シサは二年生部員の名前を出した。

「君こそが最高の戦力だよ」

「大切にしてくださるんですか? 私なんか……」

「君は演劇部で一番重要な人物だ。なにがしたいとかある?」

「今は役柄を理解したい。役作りですね……少し苦戦しています」

「私は自分で考えたいんです。私の解釈でこのキャラクターを理解したい。子役のころみたいに人に言われるまま、人に好かれるような演技をしたくないんです」

「あのイメージを脱却したいの?」

 優等生らしい子役のイメージを。

「……私のでている作品を観ていらっしゃる?」

「まだ一本だけ」

 僕はあの映画のタイトルを述べた。

「いかがでした? あのころの私は……」

 彼女はいつにもなく高揚した顔をしていた。なんだ、観て欲しかったのか。なら早く教えてくれ。いや僕のほうから子役をしていたという事実に気づいて欲しかったという思考は理解できるのだけれど。

「新しかった。すごく魅力的だった。なんていうのかな、すごく君にあった役をもらっていたね。作品にも演じるキャラクターにも愛されているっていうの?」

「しょせんお父様のコネですよ。私がいい作品に出演できたのはそれです」

「だとしても、そんな事情観ている僕には関係ないね。……君を再発見することができた。なんていうか、観ていてずっとドキドキしていたよ」

「女子小学生を観てドキドキしないでください」

 確かにそうだ。

「君は今なにがしたいの?」

「言いましたよね? 役作りですよ。台本のセリフはもう覚えましたけれど、感情を表現できていないんです。もっとあの役柄にあった演技を準備しておかないと……」

「君は今なにがしたいの?」

「……舞台を成功させることです。部員のみなさんと目標は同じです。全国大会まで勝ち進み、そして優勝したい。この舞台をより多くの人に観てもらいたい。狭い世界にとどまっていいレヴェルの作品ではないと思っていますから」

「君は今なにがしたいの?」

「役者として再出発がしたい……あっ、待ってください。今の発言は訂正します。今私がしたいのはあなたと恋人になることです! 私にそう言って欲しかったんですね?」

 頭の回転が速い子だ。

「ーー違いました?」

「この場合正しいリアクションは『うげっ』かな」

「いい加減怒りますよ」

「まともに部活動してくれるなら応援するし協力するよ。恋愛そっちはなしにしてくれない?」

 これ以上僕にプレッシャーをかけないでもらいたい。ただでさえ女に囲まれてストレスなのに恋人とか……。

「人間は複雑にできているんですよ。勉強だってするし遊びもする。恋愛だってする。部活動や趣味やプライヴェートで忙しい高校生もいるでしょう。物語フィクションだと一つのことに専念している人が純粋に見えて評価が上がるんでしょうけれど、現実では違う」

「まっ、理解できる概念だけど」

「現実には友人だとか家族だとか……複数の問題を平行して抱えて生きていかないといけない。誰もシンプルには生きていけないんです」

 実感がこめられた言葉だ。

「そういえばこっちが振った話題だったね」

「そうです、私は役者に復帰したんだった。けっこう体力がいるんですよね。鍛えないと。季節はまだ早いですけれど……」

「え、なに?」

「温水プールで水泳しようかな。近くに新しいトレーニングジムができたんです。いかがですか? 一緒に泳ぎません? リュウジ君の負担にならないくらいの運動でしたらーー」

「一人で泳いだら?」

「つれないですね人ですね……」

 実際にはシサの水着姿を想像しながら断腸の思いで断っていたのだが。

「もうわかったでしょ?」

 そのとき、シサの顔色が変わった。

 仕方ないなという笑みが、なにか大事なことに気づいたという焦りの表情に変わる。

「リュウジ君、怒ってないですか?」

「怒ってないけど? なにに怒るの?」

「私だけ平気な顔して自分の天職に復帰していることにですよ。あなたはあのころに戻れないのに……」

 シサはわずかに口を開けながら僕の反応を見守っていた。

「……俺には帰るための手段なんて残されてないし。君も昔みたいに芸能界に戻れるわけじゃないでしょ? アマチュアの舞台だ」

「私は本気ですし全力ですよ。お金にならなかろうと、賞をもらえなかろうと」

「トレンド入りするほど大衆の耳目を集めなくても?」

「ええ。私は元の私に戻れる。半分の意味で」

「それって?」

「私の目的は父を超えることでした。それはもうできないことですから……。もうプロの女優になんてなれない。それよりもリュウジ君」

 彼女は僕の背後に回りこみ、抱きついてきた。

 いやなんで?

 シサのバストを背中に感じる。

 彼女は僕の胸のまえで両手をあわせた。

「……背中の筋肉が強ばってますよ、リュウジ君」

「ああ、そう」

「やっぱり嫌なんじゃないですか? 私のことが嫌いになりました?」

「そうなったりしないよ。急に抱きつかれて頭がおかしくなってるだけ」

 僕は両手でシサの拘束を引き剥がした。彼女の力は弱い。やはり女の子だ。

 そして心臓に悪い女の子だ。

 その彼女は心配そうに僕を見上げていた。

「あなたは男性で私は女性です。私たちのことをただ観ているだけで満足できるんですか?」

「できるけど」

男性優位主義マチズモはないんですか?」

「難しい表現使うね。どこで読んだの?」

 シサは目立とうとしない僕の性格を指摘しているのだ。

「俺はその役割を降りたんだ。『男らしくしろ』とか言われても意味不明だよ。そういう先入観をもちこまれても、うん、まぁ、困るだけだ。男なら意見を通せとか代表者になれとかそういうことを言いたいの?」

「あの……私が間違っていました。本当に、すいません」

 シサは認めてくれた。

「俺は何者でもない」

「私たちに嫉妬したりなんてしない」

「そう」

「仮に私が表舞台に戻ったとしても」

「おめでとうって言うだけだよ」

 本心からそう思う。シサが女優として芸能界復帰。

 本人がそう望んでいるのならそれはめでたいことではないか。大人になれば母親も止められないだろう。

「リュウジ君はあんなに強いプレイヤーだったのに」

「あのころの俺はもう死んでるから」

「でも……」

「君のほうはまだ生きている。シサは才能が有り余ってるんだからさ、残念だろうけど傷の舐めあいなんてできないよ。君とは階級クラスが違うんだ」

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