第17話 湯浅シサと稽古場④
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僕は終演のブザーを鳴らした。
ラストシーンを演じきった嵯峨さんはぐったりと壁に寄りかかって座りこむ。
一時間も神経を使って演じ続けたらそうもなるのだろう。他の部員たちもそうだ。この光景を見るたびに自分が役者の仕事を任されていないことに安堵してしまう。
シサは立ち上がって拍手をした。
シリアスな声色で彼女は言った。
「素晴らしいものを見せてもらいました。みなさんとても……素敵でした。今日のことはずっと忘れない。私は……畏敬の念を抱きました。私の経歴なんて関係ないです。そんなのまったく関係ない。すごい。今の言葉は全部本心です」
シサはきっと、演劇部を過小評価していたのだろう。
個人個人の演技力は玉石混淆だ。それは否定できない。
だが集団としては完成している。彼女たちの演技が観客の心をつかむことができたなら、僕たちはどこまでもいけるだろう。
一年前、姫川高校演劇部は高校演劇大会で関東まで進んでいる。
次の目標は当然全国大会。その上で
部員たちに近づく。
今日の観客は僕とシサのたった二人だった。大会や文化祭といった本番を想定すればあまりにも少ない。
それでも彼女たちはベストを尽くした。
普段の稽古以上のなにかを魅せてくれた。
「いい演技だった。いい役者は同じ演目を演じても常に新味があるね。みんな新しい課題に取り組んでいることがよくわかるよ。今日は特にーー」
演技に関して素人な僕は専門的なことはわからない。なのでみんなが喜んでくれそうな言葉を選んでおいた。近衛さんについては言及しない。彼女は教える側の立場だから。
演技を観たあとは部員たちと能動的にコミュニケーションをとることにしている。なにか一仕事したあとに褒められてうれしくない人はいない。
選手時代の僕もコーチに褒められてうれしかった。観る側になったのなら同じことをしたいと思うのは自然なことだ。
一人の部員が僕にグータッチを求めてきた。この子との間でそういう習慣ができているのだ。僕は素直に応じる。
もう一人の部員は僕に偉そうな口を利いた。僕は小言を言い返してやる。これもまたいつもの流れだ。
また別の部員は疲れからぐったりとした様子だった。この子が脚本を新しいヴァージョンに書き直してくれていた。昨日の夜遅くまで脚本の手直しに追われていて睡眠不足だという。もちろん労いの言葉をかけた。
近衛さんは一仕事を終え、穏やかな笑みを僕たちに見せた。自信に満ちたその表情。直前まで観る者の心に訴えかけるような情熱的な演技を続けていたというのに、今は憑き物が落ちたかのように冷静だ。
感情の変化曲線が不連続なのだ。そして近衛さんの場合、どれだけアクの強い役柄を演じても本人のキャラクターが勝ってしまう。
嵯峨さんはペットボトルのジュースを一気飲みし声を上げると、その場でドレスを脱ぎ始めた。
「ええ……」
部員たちが止める暇もない。
嵯峨さんは上下とも黒の下着姿になると、イスの背に抱きつく格好で座った。
「なにしてるんですか!」
僕は横を向いて叫んだ。僕を含めみんなもう嵯峨さんの奇行にいちいち驚きはしないのだが、異性として僕はそういうリアクションをとらないわけにはいかない。
「あーリュウジ君女子の裸見て喜んでる。男子って本当にサイテーよね!」
「別にうれしくねーし! 女子の裸なんて見たくねーし!」
嵯峨さんと一緒に小学生化しているとシサがツッコミをいれてきた。
「コントやってないで服着てください!」
眉を吊り上げた彼女が服をつかみ、嵯峨さんに手渡した。嵯峨さんは受けとったが身につけようとはしない。
「愛子ちゃん、舞台が終わるとアドレナリン? がでるから変なことするのよ」
近衛さんはそう言うが言い訳にはなってないぞ。
嵯峨さんは自己陶酔にひたりきった顔になる。
「いい仕上がりだった。我ながら極上の演技と断言できる。とちらんかったし。……近衛はシサに言うことないの?」
「私?」
「ほらさ、部長として部の指針とか話すタイミングでは?」
「全国優勝目指してるとか?」
「全一は当然目指すけどよ。ほら、シサんために新しい役いれた脚本書いたろ?」
その新しい脚本を書いた二年生は机につっぷして目を閉じている(まだ劇が終わって二分も経ってない)。
近衛さんはシサの横に立ち、必死な顔になって話を始めた。
「えーふつつか者ですがよろしくお願いします。演劇部部長として初心者であるあなたの演技力向上のためできる限りサポートさせてもらう所存です」
シサの過去を知っている他の面々は吹き出しそうになっていた。
近衛さんはプレッシャーからか冷や汗を流していた。
「わ、私はそれなりに経験があるから大丈夫よ。最初はわからないことだらけかもしれないけれど……」
「はい」
「でも先週の金曜日、あのとき初めて演じるにしてはすごく上手くできたわ」
「とても新鮮な体験でした」
「なにも指導してなかったのに、私が意図したとおりの演技を見せてくれた。あなた、きっと才能があるわよ!」
その点についてはシサの経歴が証明してくれている。知らないということは恐ろしい。
「……演技中と違いすぎませんか? あんなに堂々と演じていたのに」とシサ。
「近衛は人見知りするんだよ。ド田舎出身で友達のつくりかたがわかんないんだ」と嵯峨さん。
「あの『主人公』みたいに私はコミュニケーション能力が高くないの。俳優って演じている役柄と同一視されちゃうところがあるのね。困ったものだわ」
したり顔で説明する近衛さん。相手は元プロなのに。
シサは笑いはしなかった。
「ギャップがあって面白いと思いました」
「面白い?」
「はい」
「……実際の私はこんな風に変な子なの。がっかりした?」
自覚はあったんだ。
「いえそんなことは。……近衛さんは私が想像したより優れた役者でした。あなたがいるからみなさん頑張れているところがあるんじゃないですか?」
「そ、そんなことないわ」
「あなたは『辺境の王』なんかに収まっていて良い人ではない。世に才能を問うべきだと思いますよ。今にしても校内で一番の有名人かもしれないですけれど……」
「そうなの?」と近衛さん。
「そうですよ」と僕。
生徒たちの間では『美人で変人で演技力抜群の演劇部の部長』として名が通っている。シサが転校してきた今でも知名度は劣らないだろう。
「ドラマや映画にでている同年代の役者にも勝てると思います」
シサは社交辞令を口にしているわけではない。
「? そう言われるとうれしいけど……。シサさんはなにを根拠にそう思うの? 演劇や映画をたくさん観ているとか?」
「それはですね。説明すると長くなるんですがーー」
自分の子役時代について話すか話すまいか迷っているシサ。すると嵯峨さんがスマホを操作して近衛さんの眼前にさしだす。
画面には幼いシサが着飾った格好して、名の知れた俳優や映画の監督に並んで立つ姿が映し出されている。
「近衛知らんのか?」と嵯峨さん。
「これは?」
「シサは映画俳優の芳川勇の娘で超有名な子役だったんだよ。何本も映画に出演しているプロの俳優」
「プローー」
近衛さんはその場にへたりこんでしまう。よほどショックだったのか全身を震わせ、立ち上がることもできない。
「プププロの役者様に私はなんて失礼な口を……」
「近衛は本当に世間知らずだな」
ニヤニヤと笑っている嵯峨さん。
「え? ドッキリだったの? どうしてみんな教えてくれなかったの……リュウジ君は」
「僕も昨日知ったばっかりです。シサさんは賞もとった本物の役者ですよ」
「嘘は言ってない? シサさん、私たちの演劇がすごいって言ってくれたんだよね?」
シサは笑ってうなずいた。屈託のない笑顔だ。
シサの言葉が第二波になったのかはわからないが、近衛さんは顔を真っ青にして、頭をがくんと下げた。卒倒? 失神?
数秒後、口元を抑えながら近衛さんは顔を上げる。彼女のその顔はーー
自分の成功に気づいた喜びの表情。
勝利者のそれだった。
「……つまり、もしかして、もしかすると……私たちの舞台はすごいことになるってこと?」
かもしれない。
※※
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