第16話 湯浅シサと稽古場③

       □ □ □ □ □ □


 私たちは建物の二階にある研修室にはいる。この場所は部室よりもかなり広い。

 午前一〇時。基礎練習を終え、予定どおりり私を除いた部員のみなさんが稽古の準備に入る。新入部員はイスに座らされ様子を見守るのみだ。


 リュウジ君はタブレットで開演を知らせるブザーや劇中の効果音、BGMなどの舞台音響を流す。施設の利用者に迷惑をかけないよう音量はかなり絞る必要があるようだった。


 ……これからみなさんがするのは演劇部が現在取り組んでいる演目の披露。数ヶ月前転校してきた私は演劇部の舞台をまだ観たことがなかった。

 初演を数ヶ月前にやり終えた(役者がみな演じることに慣れた)演目だという。とはいえ修正点を話しあうなど準備することは多い。


 主演は部長の近衛さんと副部長の嵯峨さんの二人だ。

 嵯峨さんは本番仕様の胸元の開いた赤いロングドレスを身にまとっている。嵯峨さんの金髪が映える色の組み合わせだ。母親のそれを用意してきたのは気合いが入るからだそうだ。両耳に大きなイヤリングをつけている。着飾っている。嵯峨さんの役の印象は本人とそう変わらない。ゴージャスで嫌味たっぷりで観客に嫌われる役だ。

 ドレスを着て上機嫌にならない女性はいない。浮ついた声で嵯峨さんがリュウジ君に話しかけてくる。


「さっき着替えてるときこっち見てただろぅ」

「なんでここで着替えるんですか?」

「リュウジ君は視線逸らしてましたよ」

 私はフォローした。

「でもサッカー選手でしたから間接視野が発達しているのでは? 視界の端でも鮮明に見えるーー」

 思ったことを続けて口に出してしまった。私の悪い癖だ。


「今日は黒い下着だなとか思ったかぁ?」と嵯峨さん。

「教えなくていいですから」とリュウジ君。

「嵯峨さん、ひょっとして緊張されてるんですか?」私は指摘した。

 見抜かれた嵯峨さんは動転する。

「ま、まあな。流石に通しでやるのは何回やっても緊張すっだろ」


「台本読んでどう思った?」

 リュウジ君は私を見て問いかけた。

「ユーモアというか、笑いどころが多い話でした」

「近衛さんが言ってたでしょう? 客にウケるのがなにより大事だって……」

「そのこと自体は理解しています」


 嵯峨さんが口をはさむ。

「まぁ基本ギャグだよなぁ。客に笑ってもらうのが目的だから。シサもそういう役やってただろ? あのドラマ観てたよ」

「大変光栄です」

 嵯峨さんはお世辞を言うタイプの人ではない。本当に私が出ていた作品を観てくれているようだ。

「そんな作品にも出てたの? シリアスなのばっかりだと思ってた」とリュウジ君。

「リュウジはシサが元子役だって知ったばっかだろ?」と嵯峨さん。

「なんで教えてくれなかったんですか?」

 リュウジ君は不満そうに言った。


「そのほうが面白いからに決まってんだろ。シサ本人も教えなかった」

「きかれなかったから教えなかっただけです」

 私はそう答える。

「無敵の返しきたな……」とリュウジ君。

「近衛も知らないみたいだけれど面白いから黙ってようぜ」


 近衛さんは世間知らずなところがある人だ。『超然としている』とでも表現しようか。世の中の流行りごとに興味がないタイプの人間。

 近衛さんは台本を手にし他の部員たちに指示を送っていた。

「観る人に笑ってもらえる作品……。そうですね、あれは難しい役柄でした」

 私は数瞬、自分の過去を思い返していた。片方の口の端が吊り上がってしまう。

 リュウジ君はその表情を見逃さなかった。彼はきっと、自分の過去を誇らしく思っている。

 つまり私と同じだ。


 --嵯峨さんは言った。

「あたしは芳川シサをリスペクトしているよ。ありゃ親の力だけじゃなかった」

「ありがとうございます」

「なんつうの? 子役のころから『演技』してたよな。まだ子供なのに共演している大人と同じくらい技巧的だった」

 子役は普通演技なんてしない。

 純粋な子供は物語の世界を現実そのものと思いこむことができるからだ。

 悪者に襲われれば本気で怯えるし、

 面白いことがあったときは本当に笑える。感覚だけで演技ができるわけだ。

 私はそうではなかったらしい。大人の役者のように理屈で演技ができていた?


「マジで辞めたのもったいないよなぁ。あの親父のせいでさ」

「僕はシサさんの作品をまだ観てないんですよね」

 私は笑ったままリュウジ君を軽くにらんだ。

「おいおいさっさと観ろよリュウジ。

 嵯峨さん、わかっていらっしゃる。

「……僕たちそういうのじゃ全然ないですから」

 リュウジ君が横目で私の反応をうかがう。

 私は嵯峨さんの発言がきこえなかったように無反応を貫いた。



 高校演劇。

 正直なところ関心がないジャンルだ。

 子供のころからお金をもらって芝居をしていた私にとって、アマチュアの演劇に価値を見出すことは難しい。私にとっては何年も前に通過した場所にすぎないから。


 去年このチームは関東大会まで勝ち残っている。部長の近衛さんと副部長の嵯峨さんはまだ1年生だった。主要メンバーをほとんど残しているチーム。その実力はどれほどのものか?

 脚本は部員たちがつくったオリジナルだという。しかもこの部は指導する大人がいない。練習内容も舞台の演出も部長の近衛さんが決めている(彼女は一介の素人にすぎないというのに)。


 近衛さんこそがこの演劇部の戦術に等しい。

 つまりこれから私が観る劇が面白いか否かは近衛さん一人の才能にかかっているわけだ。



 まもなく劇が始まる。

「見ていろ」

 リュウジ君は私にむかってそうささやいた。


 彼が開幕のベルを鳴らす。

 ここからは彼女たちの時間だ。

 照明を落としカーテンを閉め切った暗い部屋。

 部屋の入り口側だけに照明を点けている。そこが舞台を模した空間だった。

 舞台袖から一人で現れるのが嵯峨さん。彼女の独白モノローグで物語が始まる……。



 劇が始まって数分後、

 私は自分の敗北を悟った。


 確かに演劇の内容は良かった。誰の眼にも傑作であると疑う余地のない芝居だった。でもそれだけではない。

 もっと根本的なことに気づいてしまった。


 私はどれほど優れていたとしてもただの一人の役者にすぎず、

 近衛さんは脚本、演出、主演を一人で担っている。

 私はパーツをになっており、

 近衛さんは芝居のすべてを調整し、役者たちを教練し、演劇というストーリーそのものを創出しているのだ。そこには明確な上下関係ができてしまう。

 私が演劇部に所属して役者として活動していく以上、近衛さんに役者として勝負を挑むどうこうの話ではなくなってしまう。私は近衛さんにとって駒にすぎない。

 子役として無敵だったかつてのキャリアなどここではなんの役にも立たない……ということか。



「戦わずして負けました」

 私は隣に座るリュウジ君の耳元に、そう一言つぶやいた。

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