第14話 湯浅シサと稽古場

 大学病院から帰ったその夜、僕は自分の部屋で映画を観ることにした。


 一度はブラウザで『一〇年代を代表する子役・芳川シサが一一歳にして難しい役柄を見事に演じきった』(星は五点満点で四・五の)名作映画を選択し『今すぐ観る』をクリックしかけたのだが……再生することを躊躇してしまう。


 僕が手を止めたのは、映画のビジュアルポスターで大写しになっていたシサの幼い姿を見てしまったからだ。

 シサは自分が役者であることを僕に伝えなかった。芳川シサの知名度を考えれば、浜尾さんが伝えなくともいずれ気づくことになっただろう。それでも……。


 シサにとって役者である過去は彼女にとって黒歴史な可能性がある。そんな彼女の主演した作品を断らずに観てしまうのはなんだか気まずかった(まだ小学生だった愛くるしいシサを享受し幼女趣味ロリコンに目覚めてしまうのが怖かったからではない、断じて)。

 


 いやなんで?



「すっごく面白かったよ!」

「なにがですか?」


「君のお父さんがでている映画がだよ。二〇年以上前なのに全然古くなかった。よくできたサイコサスペンスだった。

 シリアルキラーが都内各地で殺人を立て続けに起こして、それをキャリア組の新人刑事とカフェイン中毒の警部補のコンビが解決しようと奔走するんだ」


 シサは残念そうな顔をしている。こちらが気づくのが遅かったことは事実だ。仕方ない。

「……『流砂』のことですね」

 それが昨夜僕が観た映画のタイトルだ。

「カフェイン中毒のほうが君のお父さん」

「私の名前を調べたんですか? いえ、浜尾が教えたんですね」

 御明察。


「不気味な音楽もいいしさ、カメラワークも最高だった。あのころはああいう作品が流行ってたのかな? 怖くて救いがなくてグロテスクでさ。『ケイゾク』とか『セブン』とか『アナザーヘヴン』とか『羊たちの沈黙』とかさ」

「お詳しいですね」

 姉貴がけっこうなオタクなので詳しくさせられたところがある。

「話もそうだけど芳川勇の演技もすごく光っていた。病んでるっていうのかな? 捜査一課の刑事なのに病的な外見をしていてーー」


「当時は精神的にも肉体的にも追い詰められていたそうです。役作りで毎日コーヒーを大量に飲み不眠症になっていた、あの刑事の役にとり憑かれたと言ってましたっけ……」

「まぁ最後あんな死に方しちゃうもんね。犯罪者を心の底から憎んでいてさ、だから法に触れるようなやり方で捜査して、同僚にも嫌われていて、マスコミにも叩かれて、でも最後はなんとか犯人を捕まえることができた。

 でもあの終わり方は衝撃的だった。ある意味犯罪者に負けたわけだからね。どうしたの、シサ?」

「私はなにも言ってませんよ?」

「気のせいかな? なんか喜んで見えたけど」

「気のせいですよ」


「……僕は芳川勇さんに会ったことはない。でも映画を観て思ったんだ。この人はもしかしたら演じている役柄そのものな人なんじゃないかって。

 仕事のためならなんでもする。そして自分の倫理観で行動を決める。あの映画ではそういうキャラを演じていたでしょう?」

 正義感はあっても社会性はない。

「ええそうです。そういう無茶苦茶な役を演じきっていました」

「やっぱ観てるんだ」

 父親が主演していたあの傑作を。

「もう何回も観てます」

 シサはもう弾んだ声を隠せなくなっていた。


「若い刑事とタッグを組んでいたけれど、メインはあの人でしょ? それでいて最後は刑事としての想いを部下に継承させたうえで死んだんだ。バッドエンドだったけれど、観る人に明るい未来を感じさせた」

「そう私も解釈しています」

「僕はこの人がでている映画を全部観ると思うな」

「最初に最高傑作を観てしまうと、ハードルが高くなってしまうと思いますよ」


 シサは苦笑した。

 娘さんは同担拒否しない人だったらしい。

 新しい父親のファンに対し親しげに接してくれる。

 思わず握手を求めたくなったが、そんなことをしている場合ではない。


 日曜日の朝。

 僕たちがいる場所は区が運営している某文化施設のまえだ。

 日曜日は学校の校舎は利用できない。

 なので普段払っている税金のお力を頼ることにした(消費税くらいしか払っていないくせに)。

 学生料金なので日中の間フルで利用しても格安で済む。

 利用するときは演劇部を代表し僕が職員の人に鍵を開けてもらうことになっていた。他のメンバーもまもなく到着するだろう。


 今朝のシサはーーシニヨンとでもいうのだろうか? 編んだ髪を後ろにまとめ、うっすらと色のついたサングラスをかけていた。毎回まるで違うファッションで登場する子だ。

 季節は夏なのでこの時間でも暑い。

「これから練習ですしそっちの話がしたいんですけれど……」

「まぁまぁせっかく新しい情報が手に入ったんだし。どうして話してくれなかったの?」

「リュウジ君がきかなかったからです」

 予想していた返事だ。

「他に俺が知っておいたほうがいいと思われる情報があるなら、ここで全部話してくれない?」

「機械みたいにあつかわないでくださいません?」

 シサは面白い表現を使う。

「浜尾さんが言っていたけれど、君は父親に憧れていたの? だからあんな小さなころから俳優として活動していたわけ?」


「……私はあなたに理解されたいわけじゃないんです」

 彼女の虎の尾を踏んでしまったかもしれない。

「でも俺は君に興味があるんだ。教えてくれない?」

 シサは少し考えてから続けた。

「お父様のことは嫌いです……」

「嫌っている人を様付けで呼ぶのね」

 父親のことを『お父様』なんて呼ぶのか。皇族にしか許されない言い回しだと思っていた。


「あの人は事故を起こして人を巻き添えにした……いえ、事故の真相なんてわからないです。ドライヴレコーダーもつけてませんでしたし、お父様がどんな運転をしていたかなんてわかりません」

「社会があの人を許さなかったから、自分も父親を許すことができない?」

「その人の罪とその人の人格は別です。でも大衆はそう考えないでしょう。父親の名声を利用してのしあがってきた子供に父親の罪を重ねるのは容易い発想です」


 それが当時の世間の反応だったのか。

「自分の意思で芸能界を辞めたの? それとも母親?」

「お母様です。当時は私を拘束して普通の人に育てようと苦心しているんだと思ってました。礼儀やマナーを押しつけて、塾にかよわせて、品の良い趣味を身につけさせようとして。反対に父は私に甘かった。たまに会えば欲しいものはなんでも贈ってくれました。

 コネを使って所属している大手芸能事務所に送りこんだんです。なんのテストもなしでですよ」


「なんかありがちなストーリーだよね。子供が自分をしつける母親を憎み、放任する父親を好きになるだなんてさ。どう?」

「そんなことくらいわかっています。昔そういう内容の本を読んだことがありますので理解できます」

「ナラティヴってやつだね」

「今はお母様を憎んでなんていません。今の私を育ててくれたのは母であって父ではない。お父様とは滅多に会いませんでしたし。あの人は家族と一緒に楽しくすごすような人ではありませんでした」

「父親らしくない人だった?」

「そう。最高の俳優ではありますが家庭人ではなかった。それが私の父の評価です」

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