第13話 湯浅シサとデート⑤
「お読みになりましたか?」
浜尾さんの平坦な声に僕は顔をあげる。
「僕はシサさんのこともお父さんのことも今知りました」
「シサお嬢様は音羽様とのやりとりを逐一私に報告してくださるのです。音羽様は自分の過去のことを知らないでしょうと推理されていらっしゃいました。的中していたようですね」
僕は世間知らずなガキなのだ。サッカーに関係しないことについては殊更。
「シサさんは有名な子役だったわけですね」
「ええ。出演作をご覧になることをお薦めいたします。素晴らしい演技ですよ」
「それはいつか……」
「お気づきになられたことはありますか? 音羽様の経歴とシサお嬢様の経歴は似ているでしょう?」
「それは……」
「シサお嬢様は一二歳で、音羽様は一五歳でそれぞれ懸命に努力された『場』から引き離されたのです。音羽様はご自身のご病気で。シサお嬢様はお父様の死によって」
「それはそう思いましたけれど」
「それこそがお嬢様の目的なのです」
「シサさんの目的?」
「お嬢様は私に気を許してくださっておりますので……」
浜尾さんは無表情で感情が読めない人だが、シサに対して強い忠誠心を抱いているようだ。シサに頼まれて僕と話をしているわけではない。僕を車に乗せたのは彼の私情からだろう。僕がシサにとって危険な人物か否か確かめたいのだ。
……あの子が病院で僕になにをしたかは知られてはいけない。
「いかがされましたか?」
「いえ。それで、シサさんの目的というのは?」
「あなたの感情を知りたいんです。自分と同じような体験をした音羽様がなにを思い、なにを悩み、どう対応しようとしたのか、それを知りたい。あなたの体験を通し自分の過去を追体験したい」
「それがシサさんの目的なんですか?」
「お嬢様の発言によればそうです。アメリカ滞在中音羽様に出逢い、そして音羽様が選手として活躍できなくなったことを知ったお嬢様はあなたに逢いにいきました」
「わざわざ同じ学校に転校してきたわけですしね」
あの経歴の持ち主がわざわざ都立高に。
「これに関してはわがままをとおされました……。お嬢様のお母様も渋々認めた形です。あの方は音羽様のことをご存じないでしょうね」
「シサさんのお母さんはどういった人なのですか?」
「代々政治家を輩出してきた一族です。現在は外務省に勤めておりますがいずれ国政にでることでしょう。そちらが公的な部分ですね。私的には厳格で、シサ様が芸能界で活動することを快く思ってはいらっしゃいませんでした」
思った以上に大物の直系だな湯浅シサ。
湯浅家についても調べておいた。名字は同じではないが家族のなかに現役の代議士が一人、県知事が一人。過去にさかのぼれば官房長官経験者までいる。湯浅ファミリーは政治を稼業にしている。アメリカのケネディ家のようなものか。
「浜尾さんはシサさんの味方なの? お母さんの味方なの?」
「私の口からはなんとも言えません」
執事として個人的な感情は口にできないか。
僕の直感ではこの人はシサ側の陣営についている。バックミラーに映る浜尾さんの眼がシサについて語っているときは優しく見えたからだ。やたら個性を主張してくる両親二人に比べたらシサは弱者だ。いくら才能があって経験があったとしても、彼女はたかが一六歳の子供だなのだ。
「シサさんは亡くなったお父さんことをどう思ってたんですか? 同じ役者を目指していたわけですけれど」
「失礼ですが、目指していたわけではなく、既に役者だったのです」
「すいません」
「シサお嬢様はお父様のご職業に強いあこがれをもっていました。物心ついたころからずっとあの方のような俳優になりたいと」
「失礼ですけれど、僕は芳川勇さんの出演した作品を観たことがないんですよ」
「芳川様は他人に媚びを売るような人間ではありません。好きな仕事を選び好きな人間だけを侍らせ、勝手気ままに生き続けそして亡くなりました」
「情がない人?」
「私の口からは申せません」
こちらの意見に同意したに等しい反応だ。
「よくそんな人がシサさんのお母さんと結婚されましたね? 高級官僚なんてお堅いイメージしかないですけれど」
「なにかの雑誌の企画で芳川様があの方と会談をすることがありまして、それがきっかけで交際が始まったのです。同居が続いた時期は極短かったですね。あまりにも正反対なお二人でした。遊び好きな俳優と仕事熱心な国家公務員ですから」
「芳川さんは滅多に家に帰らなかった?」
「年に一度も帰らなかったこともあります。同じ業界で働いていてもあまりお嬢様とは顔をあわせなかった。それでもーー」
「シサさんは父親のコネを使って子役として活躍し始めた」
所属していた芸能事務所も同じだ。
「あのお二人はライヴァル関係にあったんです。芳川勇氏とシサお嬢様は。父親がそう認めたんです。『いずれ自分と同じ高みで戦おう、共演しよう』と。『俺を喰う演技を見せてみろ』と。シサお嬢様は真に受けました」
「父親と同じくトップ……つまり一番売れてる俳優になれ?」
あくまで一〇年前の評価だ。芳川勇はあの時代一番金になる役者だった……らしい。
なんという戦力差だ。子役がトップ俳優と勝負できるようになれ? なに言ってんだこいつ。
それでもシサは戦うことを望んだ。役者として次々に仕事をこなし、その夢を現実に変えるために。
娘が追いつこうと疾走している間も父親は歩みを止めなかった。芳川勇はキャリアの後半にはハリウッドの大作映画に出演している。主演ではないにせよかなり重要な役を任されていた。なかなか化け物じゃねーの?
「お二人は共演する予定でした。海外で賞をいくつもとっているヴェテランの監督○○氏がオファーを出したんです。芳川様とシサ様のW主演。親子そろってスーパースターだったお二人に、映画のなかでも親子の役を演じてもらいたいと」
僕の好きな映画監督の名前がでてきて驚いた。日本映画界で一番有名な人じゃないか。ビッグネームがそろいすぎている。
「絶対話題になるーーというか売れそうな企画ですね」
浜尾さんはそこで言い淀んだ。
「……それもすべて終わった話です。製作発表前でした。芳川様の死亡事故の影響で撮影が終わったドラマの公開が数ヶ月ずれ、各所に多額の損害を出しました。亡くなって一年ほどは地上波で彼の出演している作品が放送できなかったほどです。今ではそんなことはありませんが」
「汚名を残したわけですね」
「生前からスキャンダルの多かった方でしたので……。事故直後は『功罪』の『罪』のほうばかりがピックアップされました。父親が影でしたら娘のシサ様は光でした。スターでした。将来は約束されたも同然だった……。決して親の七光りとはいわせないなにかがあの方にはあった」
「父親のせいで泥を被ったわけですね」
「社会がそれを許さなかったんです。悪名の強い父親の娘に仕事はあたえられない」
「重いですね」
「シサ様はもちろん悲しんでいました。当時まだ小学六年生でした。……芸能界を引退し渡米し、しばらくして私にこうおっしゃいました。『もうそのことは慣れた』と」
「慣れた……」
父親を超えるために懸命に努力し続けていたであろうシサが、あの出来事を乗り越えることに成功したというのか?
「おこがましい発言ではございますが、人間はどのような悲劇に遭おうと慣れることができるのです。……あれも一〇年以上まえのことで、音羽様は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、たとえ一〇〇〇年に一度という大震災が遭っても慣れてしまうのが人間なのです」
「そう、ですね」
「発生直後は大きなショックを受けても、そのダメージは長続きしないものです。恋人が亡くなって悲しい、宝くじで一等賞に当選して嬉しい。そのときの生々しい感情は時が経つにつれ劣化してしまうものです。本人にとってその出来事が当たり前になってしまう」
「シサさんにとってもそうだった」
「はい。シサお嬢様はアメリカでの生活に慣れ、父親の不在にも、新しい台本を読み込み役作りをしていない自分にも慣れました。なんといっても子供です。大人などより早く新しい現実に対処できる」
「いいこと、ですよね」
「お嬢様はそう思わなかった。あの悪感情を取り戻したい。忘れたくない。だからあなたなのです」
「……僕のほうがそのショックを言語化できる年齢に達していたから」
「そうです。そしてまだ新鮮だった」
僕がサッカーを辞めたのは中学校を卒業する直前のことだ。
あれからまだ一年しか経過していない。
「シサさんが僕に会いにきたのはーー」
「あなたの体験がお嬢様にとってなにもかも特別だからです」
僕は浜尾さんの耳にきこえない大きさの声でつぶやく。
「だからって僕にあんなことする必要はないと思うけれど……」
浜尾さんはこう続けた。
「お嬢様はあなたが自分と相似していると申しておりました」
※※
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