第12話 湯浅シサとデート④
三〇分かけて会計を済ませたあと、僕はある人物を発見した。病院の正面入り口前に立っていた人物はシサではない。ここまで僕を送り届けてくれた老年の執事だった。運転していたときもつけていた白い手袋が事件現場で証拠品を探している警察官のごとしだ。
「お待ちしておりました」
「シサさんは?」
「お嬢様はいらっしゃいません。一人になりたいからとバスに乗ってお帰りになられました」
あんなことをした直後だ。図太い性格をしているシサも執事と顔をあわせる余裕はなかったのだろう。
僕はまだメンタルが回復していないままだった。胸と右手に彼女の身体の感触が残っている気がする。
あんなのなんてことないさ、そう自分に言いきかせる。なんとも苦しい弁明ではないか。
なぜシサがあんな行動にでたのか? それは今の僕には理解できない。あんなことしなくても僕は俎板の上の魚なのに。
きっといつか理解できる日がくるはずだ。シサが僕のそばから離れなければ。
「ーーもしよろしければご自宅までお送り申し上げます。此度は音羽様のお耳に入れていただきたい儀がございまして、はい」
どこで仕込まれたのそのリアリティがない言葉遣い。
僕は断らなかった。少しでもシサの情報が欲しかったからだ。
車の後部座席に乗りシートベルトを締めると、車がなめらかに動き出した。
「
「浜尾さん、シサさんはなにか武術を習ってるんですか?」
「護身術として合気道を……なぜそのことを?」
ずいぶん攻撃的な護身術だったな。
「いえ、ちょっときいただけです。お話っていうのは?」
「不躾な質問ではございますが、どうかお許しください。音羽様は湯浅シサ様を会う前にご存じなかったのですか?」
「……いえ、はい」
「スマートフォンをお持ちでしたら、ブラウザでそのお名前を検索してください」
執事の浜尾さんが言い終わるまえに、僕は彼女の名前を打ちこんだ。
知りあいの名前をググったことなんてなかった。
ウィキペディアで『
「……有名人、というよりも芸能人なんですね」
二日前、演劇部の面々がシサの顔を見て衝撃を受けていた理由はこれだった。
みんな新入部員の顔の良さに驚嘆していたわけではなかった。彼女の経歴にビビっていたのだ。
「ーー左様でございます」
浜尾さんは答える。
芳川シサは芸名だ。本名は湯浅シサとある。
僕の記事よりもずっと長い。生い立ちの項目を見ると彼女には……俳優の父親がいる。そちらの名字も『芳川』だ。父親の名字で活動していたのか。
「インターネットですので誤った情報も含まれていますがーー」
基本的なデータは間違っていないだろう。
シサは九歳から一二歳の間まで子役、あるいはタレントとして活動していた。主要キャストとして出演していたドラマや映画、(声優として)アニメ映画に、その顔が使われたCM、政府の広報ポスターと露出したメディアを列挙していったらキリがない。
シサの役者としての経験はこのころすでに育成されていたのだろう。入部してすぐ素人相手に無双できたのは当たり前だったのだ。
同年代の僕がどうして彼女の名前を知らなかったかといえば、そのころはひたすらサッカーに夢中な少年でマスメディアに触れる機会がほぼなかったからだ。
『芳川シサ』を知らない高校生なんて一パーセントもいないのだろう。
ネット上においてシサの容姿は小学生のまま更新されていない。画像検索しても今現在の彼女の姿を見つけることはできない(子供なのに美人という表現が似合う女の子だった)。彼女が芸能界という極狭い領域から退去したことは確実だ。
なぜ辞めたのか?
それはシサの父親ーー芳川
彼女の父親は超大物俳優。芳川勇は二〇代前半のころから大作映画や有名なドラマに主要キャストとして出演しまくっている。
新作映画のインタヴューを受ける芳川勇の顔は、感受性の強い少年の面影を残しながら、それでいて彼自身の起伏に富んだ人生経験を物語っていた。
なによりもその眼だ。彼は生気に満ちあふれた危険な眼をしている。次の瞬間なにをするかわからない油断ならない男だ。
芳川勇は(馬鹿にでもわかる表現を選ばせてもらえば)イケメンだ。万人が認める最上級のルックスを有している。長身で痩せていてそれでいて筋肉質。異性にモテまくるに決まっている。
この人がシサの父親といわれたら納得するしかない。
記事を最後までスライドした。彼は五年前に亡くなっている。享年は四九歳だ。
交通事故だった。首都高速で起こった単独事故。
彼が運転する
シサが子役として栄達し続けてることができたのは、父親の影響力によるものが大きいのだろう。
そのすべてがこのスキャンダルで吹き飛んだ。シサのタレントとしてのキャリアはキャンセルされ、母親の仕事の都合という面目で日本からアメリカに移住するきっかけになったのではないか……という憶測がネットで流布しているようだ。
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