第7話 湯浅シサと演劇部
次の週の月曜日、放課後僕が中央校舎四階の端にある演劇部の部室に顔を出すと、制服姿のシサが壁際のイスに礼儀正しく膝に手を当てた姿勢で座っていた。
「こんにちはリュウジ君」
シサは不敵な笑みを浮かべながら、僕に歯切れの良いあいさつした。
彼女ずっと前から状況を動かそうと画策していたに違いない。
僕は完全に逃げ場を失うことになった。
部員はみんなそろっていた。シサも含めれば女子部員は六名。唯一の男子部員である僕はさらに
とはいえ懸案事項は解決したことになる。役者不足が解消されたわけだから。
近衛さんが紹介してくれる。
「知ってると思うけれど湯浅シサさんよ。演劇部に入部してくれるの! リュウジ君とは複雑な事情がありそうだけど……優しくしてあげてね」
「優しく優しく」と僕。
立ち上がったシサが頭を下げる。
「二年生の湯浅シサです。よろしくお願いいたします」
「よろしくよろしく」と僕。
部員たちの反応はこうだ。
「熱烈歓迎新入部員~~♡」と嵯峨さんは言った。
「これでボクが演じる役も減りますね。一人何役やってるの? って状態だったので助かります」別の女子部員は言った。
「それは台本の問題ですよねぇ。部員少ないのに登場人物が多くて……。でも大・大・大丈夫。ゆ、湯浅さんはすごく重要な戦力になりますよ。新しい役を考えてもいい。……大会まで三ヶ月。きっともっと面白い劇になります!」とまた別の女子部員は言った。
「諸君見ろ見たまえ見るのだ。我々の教師が来た」と残った最後の女子部員は言った。
といった具合に部員たちの反応は良好なものだった。
シサの存在感は近衛さんとまったくひけをとらない。
シサは純粋な日本人には見えない。北欧系で色白、いかにも女性的な顔立ち。誰もがたじろいでしまうようなクールな表情をしている。それでいて……笑顔をむければどんな強情な相手でもその態度を氷解させることができる。
「なぁにイラついた顔してんだよリュウジィ」
僕に話しかけてきたのは嵯峨さんだった。
「なにも怒ってないですよ」
「シサはマジメに演劇やりたいらしいよ。それよか……」
「なんですか」
「自分の女演劇部に引っ張ってくるとか有能じゃん」
「(僕の)女じゃないです」
「! あの見た目で女じゃないなんてすげぇな……全然気づかなかった」
嵯峨さんは座っているシサの全身をマジマジと見つめる。まぁバストはそんなに豊かじゃないけれど。
「女性ですよ」
「脱がして確かめた?」
「失礼です」
シサにはきこえない声量ではあるが。
「ジョーダンだよぅ。にしても見直したよリュウジ。この調子で学校中の女堕としてて演劇部に連れてこいよ。部員数五〇〇人くらいになるぜ」
「どうしたいんですか!」
「男も堕として連れてこいよ。姫川高校全校生徒を演劇部員にしよう」
「どうしたいんですか!!」
そこで近衛さんが手を叩いた。
「シサさんには今日のところは!」
「はい」
「見学してもらいます。明日から本格参戦ね。稽古の全体の流れを知ってもらいたいので。授業が終わったらなんでもいいから動きやすい格好に着替えて部室に集合してね。練習前に怪我をしないようにストレッチから。今日はみんな済ませてるから、先に発声練習するね」
最後は僕に対する発言だ。
「すいません遅くなって……」
昔アスリートだったということもあり、練習前の柔軟でアドヴァイスをすることがときどきあった。
嵯峨さんがシサを呼び寄せ話しかけていた。また悪巧みか。
「シサは気づいてたろ」
「なにがですか?」とシサ。
「リュウジの奴ケツがでかいんだよ。流石元プロ。ストレッチしてたら後ろに回りこんでみ」
「そんなことしませんよ」
いつものことだが初対面の相手をドン引きさせている。
「あと本当に柔らかいんだよ。セルフフ○ラできそうなくらい」
部員のほとんどは嵯峨さんがなにを言っているか理解できなかったようだ。僕は理解できたので
「……ひっどーいリュウジ君」
「ギャグしてないでちゃんと練習してください」
「楽しそうですねお二人とも」
シサはうれしそうに両手をあわせていた。
新入部員は演劇部の長時間の練習にも退屈した様子を見せなかった。
シサは僕の隣に座り、部員たちの練習を見守り、渡された台本を繰り返し読み、近衛さんの話す内容をきき漏らさなかった。いたってマジメな新入部員している。僕たち演劇部の人間を謀っている様子はない。
それでも合間を見ては僕に話しかけてくる。
「驚きましたか?」
「そりゃ驚いたさ」
事前に教えてくれたっていいのに。
シサが演劇に興味があるだなんて知らなかった。どちらかといえばスポーツよりも、文化系の活動が似合う人間だとは思っていたけれど。
「部室……ずいぶん好き勝手にお使いのようですね」
「滅多に先生立ち寄らないからね」
演劇部の部室はずいぶん前に授業で使われなくなった特別教室なのだ。部屋の隅には使われなくなった教材が並べられている。入り口付近には舞台で使う小道具の数々。
邪魔になるため壁際に置いてある机の引き出しやロッカーにはマンガだのラノベだのが差し込まれている。部員たちは私物を持ちこむことに躊躇がない。映画だのミュージシャンだののポスターが貼ってあるし飲み物や食べ物を冷やす小型の冷蔵庫、楽器、充電中のスマホにタブレット。謎の骨董品、観葉植物、ハンガーに吊された私服などやりたい放題である。これに加えちゃんと(?)部活動に関連した品々まで並べられていてカオスだ。ご存じかもしれないが演劇部員なんて程度にもよるがオタク集団なので一般人が忌避するような物も平気置いてある(フィギュアとか雑誌とかその手のものが)。僕の私物はほとんどない。共学である姫川高校にあってこの空間に限っては女子校的な雰囲気が醸成されている(女子校エアプなのでなんとなくで語っているのだが)。
ともかくここはとても学び舎の一角にあるとは思えないだらけた場所だ。
そんな異空間に湯浅シサなんて頭の良さそうな子が、学校全体の人気者が入りこんでしまうのは違和感しかないわけで……。
「リュウジさんはあまりみなさんと話をされてないですね」
「男女の垣根があるんでないの」
「どなたか部活以外で外で会う人はいないんですか?」
「嵯峨さんにラーメン奢らされたことならあるよ。それ以外は……」
ただこの場所で会って、少し話をするくらいの仲だ。自分から話しかけたりはしない。あくまで僕は下っ端というか雑用なので。
僕が演劇部に入部して一年間が経っている。その間特に親しくしてくれているのは近衛さんと嵯峨さんの二人だけだった。他の三人と軋轢があるわけではないにせよディープな関係は築いていない。その必要も現状ないし。
「俺は退屈な男なんだよ。女子に囲まれてもなんも好意なんてもたれないの」
「私には『俺』でとおすんですね。うれしいですよそういうの」
「(自惚れてるみたいにきこえるだろうけれど)俺目的で入部してきたわけじゃないよね?」
「以前から演技することに興味があったんです。もうすぐ大会があって、夏休みが終わったら文化祭で公演するんですよね。とっても楽しみです」
「休みの間ほぼ毎日練習することになるけど?」
「リュウジ君と一緒なら苦にはなりません」
「簡単に言う奴……」
「リュウジ君がどなたかとそういう関係になってなかったのが良かったです。今日確かめられて安心しました」
僕は噴きだしそうになった。それはない。この生意気な子の趣味がおかしいだけだ。
シサは言った。
「みなさん大変真面目に取り組んでらっしゃいますし、私も遊んでいる場合ではありません。リュウジ君、部活中は他人のフリでとおしましょう」
「フリなんてしなくても俺と君は他人だよ」
シサは僕をにらみつける。
眉をつり上げ口を大きくし、僕に抗議しかけたが結局言葉を失い、怒りの表情から悲しみの無表情に変わる。
「ごめん。今のはなし。まっ、知りあい? 友達くらいの関係ではあると思われるよ」
どうして僕が彼女を擁護しなければいけないのだ。
今は稽古中だ。貴重な時間を使っている。それからはシサとの会話を最小限にし自分の役割をこなすことに専念した。
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