第5話 音羽リュウジと演劇部
あのクレイジーな少女、湯浅シサと出会って一週間が経過している。前述の理由で学校の校舎でシサと出くわすことがあっても話をすることはない。
しかし彼女のほうは接触したがるはずだ。
ちゃんと謝りたいのなら時間をおかず翌日にでも会いにきたはず。
彼女の良心に期待するのならそういう展開もありえたのだろうが……あの子は意外とプライドが高いのかもしれない。
謎の女だ。
放課後演劇部の練習ーー柔軟に始まり発声練習、立ち稽古(僕はタイムキーパー)、各人の演技について近衛さんから指摘が入り、さらに脚本に手を加え美術衣装照明などの打ち合わせ……この演目も長いことやっているが完成の目処は立たない。いくらでも改善が利くので演劇部部長からの無限の修練を要求されてしまう。
大会まで三ヶ月を切り猶予はさほどない。よって毎日の練習は下校時刻ギリギリまで伸び遅くなってしまうわけだが。
今日はいつもより一時間早く練習を終わらせてもらうことにした。
部長は僕と話をするために練習を打ち切ったのだ。
近衛さんが部室の鍵をかけたタイミングで、嵯峨さんが両腕で僕の首を絞める。
「リュージ君近衛とよろしくやるために約束したんだろ?」
「ぶ、部活です、部のために必要な話をしなくちゃいけないからなんです。離してください」
「乳当たってうれしいくせにぃ。デカいだろ。……どうしてそんな
とか言いつつ解放してくれた嵯峨さん。他の部員たちは
「近衛!」
嵯峨さんが叫ぶ。
「なに?」
「あんまこいつにスキ見せんなよ。一応男だからな」
きょとんとした顔をした近衛さん。親友がなにを言っているのかまるで理解していない様子だった。
「変なこと言わないでくださいよ」と僕。
「女々しいフリしててもついてっからな。そうだろ?」と嵯峨さん。
「さっきトイレで見たときはそうでしたよ」
「らしいぜ」
嵯峨さんとは校門前で別れた。
「リュウジ君は愛子ちゃんがどういう意味で言ったかわかる?」
「さっぱりわからないです」
以前から僕に対して警戒心がないことは気になっていた。
近衛さんは男女関係について疎いところがある。クラスメイトたちが恋愛トークで盛り上がっているときに
ーー学校のすぐ近くにあるコーヒーショップを選んだ。そんなに長く話すつもりはない。
僕はあたりを見回しながら店に入り、数人いた客の顔を確認してからカウンターでコーヒーを注文する。
あの困った同級生ーーシサが僕を尾行なんてしていない。杞憂だったか。
「どうしたのリュウジ君? スパイごっこ?」
「いえ、いろいろ事情があって……」
「困ったことがあるなら相談に乗るわ」
「僕のことなんて気にしないでください。大事なのは近衛さんですから」
「ーー私も私がわかっていることを部のみんなに伝えたいの。みんなが私になっちゃえば、もっと芝居のレヴェルも上がるはず。そうすれば観にきてくれるお客さんの数も増えるし、部の知名度も上がるし、部員の数も増えるし、いいことずくめでしょ?」
「今の近衛さんの課題はーー」
「教えて!」
「やっぱり人の褒め方ですね」
「褒め足りない? 毎日みんなのこと善く言ってるのに……うーん、もっと真心をこめて、愛情をこめて、感情が伝わるように?」
「そこは伝え方の問題ですね。できればみなさんの意欲が高まる言葉を選びたい」
「学習意欲のある生徒はサイコー?」
「そう。そして教える側にとって生徒とは?」
「お客様! お客様は神様ね」
前半は僕が教えたことだけれど、後半は近衛さんが勝手につけ足した言い回しである。
「お客様に気分よく練習に取り組んでもらうためにはやる気が出るコミュニケーションが必要。褒めるときも単に褒めるのではなく、相手を持ち上げる言葉を選びたい」
「ヨイショする言葉を選ぶのね。……リュウジ君」
「はい?」
「私具体的に教えてもらわないとと実践できない」
「自分で気づいたほうがためになりますよ。誰かに教えられるよりも身につきます」
「厳しいわねぇ」
「たとえばある部員の演技が向上した場合なんと声をかけます?」
「『上手くなったよ』じゃダメってことなの?」
「決して悪くはないです。でもーー」
「違うのね」
「長々と褒めてたら時間が止まっちゃいますしね。いいですか、指導者っていうのはあくまで脇役で」
どんな優秀で有名なコーチも、実際にピッチ上でプレーする選手と比べたらチームの勝利に対し貢献しているとはいえない。頭脳をフル稼働し声を張りあげていても、現実にゲームを動かすのは選手たちだ。
僕は続けてこう言った。近衛さんへの謎かけのつもりだった。
「自分の指導のおかげでその部員の能力が向上したと思わせてはいけない。つまりーー」
「『あなたらしい演技だった』と言うべきなのね! 本来の実力を発揮できたと言えばいい。『上手くなった』じゃ私の助言のおかげでそうなったみたいでその子の気分がのらないもの!」
近衛さんの困り顔が瞬く間に明るくなった。この短い時間で正解に辿り着くとは……。
僕は思わず彼女を指さした。
「それで良いと思います」
彼女は小さくガッツポーズをしたあと、ペン先をメモ帳の上に走らせていた。
「僕なんかの助言が役に立っているんですかね……?」
「また謙遜する。まえから思ってたけれどリュウジ君は役者をしてもいいと思うんだよね。なかなか部員も増えないし、男の人の役者がいないとバランスが悪いし」
「やりません」
「あなたの過去を知った瞬間ビビビ!! ってきてたのよね。あなたは役者として素質がある。私これでも見る眼があるのよ。
リュウジ君のこれまでのハランバンジョウな人生経験はすべて役者をするためにあったようなものなの。あなたが病気でサッカーを辞めることになった経験は演技をする際大きなアドヴァンテージになるわ。……ごめん、怒った?」
「いえ、怒ってなんてないですよ。でもちょっと嘘っぽい勧め方ですね」
「……リュウジ君のことをずっと見ていたのは本当よ?」
そんなことを言われたらドキリとしてしまうではないか。
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