第4話 音羽リュウジと帰宅風景②


 今日のシサは夏の制服(水色のシャツにリボン)の上に灰色のパーカーを重ねていた。

 別の車両から移動してきたのだろう。どうやって尾行してきた? いやそれより問題はーー


「君は何者なの?」

「ただの高校生ですよ。どう見てもそうでしょう?」

 首を二〇度ほど傾けるシサ。


「……サッカーファンなの?」

「あの試合を見るまでサッカーファンではなかったんですよ。母が仕事でアメリカに転勤して、娘の私もついていったんですね」

 やはりいいところのお嬢様だったわけか。


「母子家庭なんです。父を亡くしていて」

 そう……なのか。これはちょっと衝撃的な発言だ。父親がいない家庭。僕の家は両親とも健在なのでちょっと想像ができない。僕は知っている世界が狭いのだ。

「た、大変そうだね」


 ことさら明るい調子でシサは言った。

「そんなことはないですよ。私は日本人学校に通っていましたので、現地で大会がある日本チームをスタンドで応援していたんです。生徒総出で」

「そうだったね。試合終わったらサポーターにあいさつしてた……」


「私は決勝戦であなたのプレーを観て惹かれたんです。あなたのファンってことになりますね。ご自分のファンに冷たくされるんですか?」

 そこを突かれると弱い。

「応援してくれて本当にありがとう、傘はそのうち返すよ。これでいい?」

「よくないですよ。もっと話をしましょう。サッカーの話なんてどうです? 私そこそこ詳しいんですよ。ポジションはFWですよね?」

だ」過去形に訂正する。


「大会中は3トップの右にはいることもあったような」

「中盤もできたよ。でもゴールを決めないと人に認められないし、勝てないし楽しいし……だからできれば9番でプレーしたかった」


多価的ポリバレントな選手だったんですね」

 マニアックなサッカー用語知ってるなこの子。

 付け焼き刃な知識ではない。彼女への評価が一変した。


「アマチュアのうちはそういうポジションも経験したけれど、プロになってからはずっと前でプレーするつもりだった。トップの監督とも話はつけてあったしね。もうサッカートークは終了でいい?」

「声が弾みましたね」

「そりゃ自分の話だからいくらでも語れるよ」


「私は話し足りないですよ。私……あの試合をきっかけにサッカーするようになったんですよ。現地でクラブに入るくらい」

「それは……すごいね」


 中学生になってからボールを蹴り始めるとは……強い熱意を感じる。

 僕に関心をもってもらいたいから嘘をついているわけがない。

 僕に影響を受け他人の人生を変えた……。

 これが大勢の人間に見られることの意味なのだ。

 引退して二年も経ってからそれを実感してしまった。僕は極短い期間とはいえプロのアスリートだったわけだし。


「とはいっても私はサイズが……あと筋力もない人間なので、一年くらいで辞めてしまったんですけれどね」

「惜しかったね、じゃなくて……こういうときにどういう言葉を選んでいいかよくわからないよ」


「慰めてほしいわけじゃありません」

「そうじゃなくて、うーん、やっぱできる人間ができない人間になに言っても嫌味になる……みたいな」

「続けてください」

「昔の俺はさ、君みたいな奴がそばにいたら見下していたと思う。俺はすごく嫌な奴だったんだよ」

「そんなことはないですよ」

 シサは否定する。


 それにしても今の僕はよく喋る。普段は無口なキャラなはずなのだが、シサのまえでは黙っていられない。彼女の丁重な受け答えがそうさせるのか。

 ともかくシサへの好感度が時間が経つにつれ上昇し続けていく。そうならない男子高校生はそうそういないと思われるが。


 僕は続けた。

「自分が成功することしか考えてなくて。世界一の選手になるためにはずっと試合に勝ち続けて、点を獲りまくって、チームメイトから嫌われたってかまわない、対戦相手の心を折るようなプレーを選び続けて……」


「リュウジさんは選手としての自分をそう評価されるわけですね。観ている立場としては、非常に優れたプレイヤーでしかないんですけれど」

「俺はクズだよ。勝利至上主義者だし、エゴイストだし、仲間のことなんて顧みない。自分が一番になれたらそれでいい。そんな最低な奴なんだ。がっかりした?」

 シサはそんな顔をしていない。というかむしろうれしそうな様子だった。

「一人称が僕から俺になってますね」


「よく気づいたね」

 選手だったころは自分のことを『俺』と言っていたっけ。口調も態度も荒々しかった。そのせいで友達が数えられるくらいしかいなかったほどだ。

 心が過去に引き戻されている。シサのせいだ。

 なんだか気分が良くなっていた。サッカーの話をしているだけで楽しい。なんだ、悲しいくらい未練タラタラではないか。


 僕はシサにうながされ座席に座った。

 そのタイミングでラインの交換をせがまれた。ほんの数瞬ためらったが渋々応じた。SNSは好かないが、部員との連絡のやりとりに必要なのですでに登録してあった。

「俺の話はいいから君の話がもっとききたいな」

 驚くシサ。

「いいんですか?」

「俺の話ばっかりするのもなんだし」


「……スタンドの最前列に座ってたんですよ、私。ほら、リュウジ君、ゴールセレブレーションで指をむけるでしょう?」

(ゴールセレブレーションーーゴールが決まったあと、選手が自分たちを祝福するためにとるアクションのこと)

「それで?」

「あのときゴールを決めたあと、あなたが私にむかって走って、眼があって、指をさして、笑顔を見せてくれた……」


「それは勘違いだよ」

 日本のサポーターが集まるエリアだったからそこにむかって走っただけだ。

 顔見知りでもない一人の観客のために指をさした?

 そんなのありえない。僕の眼はそんなに良くないのだ。


「私は不思議でした。あなたはどうして戦っているのだろう? 冷酷で、冷徹で、勝負事に本気になっていて。私のヒーローです」

「君は『情報を食ってる』だけだよ。本物の俺はつまんない奴だ」

 フットボールプレイヤー音羽リュウジの本性はただの利己的な化け物だった。

 人間味なんてまったくない。

 仲間チームメイトと友好的な関係を築こうともしない。

 物語の主人公のように周りの人々に好かれる要素なんて皆無だ。


「俺はひたすら俺のためだけにプレーし続けてきた。考えてもみてよ、そこまで一緒に懸命に戦ってきたチームメイトのもとに駆け寄ってないんだよ?」

「……それは興奮していたからでしょう?」

「興奮していたからこそ地がでるものなんだ。いずれこんな性格だってバレて、ファンの数は伸び悩んだと思うよ。大人のまえではいい子のフリをしていたけれどーー」


 僕はこう言ったが、シサは得意げになってこう返答する。

「私はそういうリュウジさんが好きになったわけですけれど」

 よく異性にむかって簡単に好きだなんて言えたものだ。彼女はどんな人生を送ってきたのだろう?


「こんな俺を?」

 僕は自分の顔に指をさして、立ったままのシサにむかって顔を上げた。

 彼女を怖じ気づかせるために。

 逆効果だった。

 彼女は、僕の両肩をつかみ身動きをとれなくしたあと、前屈みになってキスをした。

 電光石火というか疾風迅雷というか。避ける手段がなかった。

 僕は立ち上がり彼女から離れた。

 自分がどんな顔をしているかわからない。幸い他の乗客には気づかれていないようだが。

「なにも問題はありません」

 いや問題しかないだろ。


「……怒りましたよね?」

 シサにサーヴィスしてやる義理はない。もう口は利かないことにした。

 自分がなにを思っているかがわからない。

 怒るべきなのか、驚くべきなのか……。

「あ、あの、自分でもショックなんですよ。こんなことするつもりはまったくなくて……。でも身体が勝手に動いてしまったんです。本当に申し訳ない」

 消えそうな声でささやく彼女。

 自分で事件を起こしておいて後悔しないでもらいたい。


 彼女は本当に困った顔をしている。本心から謝ろうと感じているわけだ。だからどうした。数十秒前の過去は取り消せないのだ。

「なにか言ってくれませんか? リュウジさん! こんなことをした私が言うべきではなかったですけれど、そのーー」

 僕は後ろを向き顔を隠していた。もうすぐ降りる駅に到着するころだ。

 まだ感情に整理がつかない。


 ある高校生が女の子に無理矢理キスをされた。

 そういう場合彼はどういった反応をすべきなんだろう? 普通の高校生ならこの事態にどう対処するのだろう?

 僕はいつも自分に問いかけている。

(おまえは特別な人間じゃない。なら普通の人間らしくふるまうことを覚えろ)

「わ、私は常識がない人間なんです! まるで子供みたいに……会えさえすればあなたが好きになってくれると思っていたーー」

 僕は振り返った。

 シサの目元に涙がたまっているのが見えた。

 僕にどうしろと?


※※

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