第4話

 おばあちゃんが他界した次の年。母親は介護からの開放感から疲れから気を張って頑張っていたに違いないカラダのバランスが崩れてしまった。民謡教室に通っていた母の友人から連絡をもらった。母が倒れて救急車呼んだ。失禁して意識が無いというので頭じゃなきゃいいなと思いながら病院に向かった。子供達もまだ小さかったので、親戚の人にみてもらうことにした。病院で主治医からの話を聞くために待合室でじーっと待っていた。私の気もどうかしてたようで、私の意識が戻った時は、母のベットの横でベットに寝かせられていた。顔が赤くなり、恥ずかしくてしょうがない。 

何してんの私?

何でベットで寝てる?

そう言えば何も食べてない。お腹空いてる。

単純に低血糖。ただお腹が空いていただけ。

やっと主治医からくも膜下出血で手術になる。と言われ、すぐ連絡取れる場所にいるようにとの事。近くのコンビニでの食事を済ませ病院近くのホテルに何日か泊まった。今みたいに便利な携帯電話は無かったので、不便だった事を思い出す。手術後、順調に回復して退院。とりあえず後遺症もなく、普通の生活ができるようになる。


 何年後か。こんどは心臓弁膜症で手術する母。身体障害者の申請もして、飲む薬もどんどん増えてきて、でもこのあたりはまだ寝たきりではなかったよね。施設には行きたく無いというので、家での介護が始まって、私は母のために食事の支度して、まだ母は自分で食べる事ができたから良かった。日中は私が仕事行ってる間、父が見てくれた。オムツ交換大便は私の係。お風呂は業者の方達にお願いして、週に2回。介護保険のお世話になって何とか、こなす。食べる事ができなくなってからは、直接胃に入れる胃ろうを選択した。食事分と薬分を流すのが1時間ぐらいだと丁度良い。早すぎると吐き出すのでなかなか、難しいもんでして。この頃は寝たきりの母。


 私自身、仕事しながら、昼は胃ろうのために家に戻ってゆっくり食事する暇もなかったかも。子供達が小さい頃のよう。まるで自分の時間が無い。でも仕方がない。と思う毎日終わる時はくるのかな!調子悪くなって病院に入院になった時は私の中の私がすごくホッとした。


 終わる時が来た。

病院から連絡もらって高速走っている最中

グーっと胸が息苦しくなって、フッと抜けた。あっもしかして今? 案の定、携帯が鳴った。

 1月18日おばあちゃんが亡くなった同じ日に母も亡くなった。記憶しやすいように同じ日なわけ?これもまた摩訶不思議。おばあちゃん連れていっちゃった?


 母も長いベットでの生活。いつもつまらなそうな顔をしていた。でも父親とは口喧嘩の時は楽しそうだった。父親にとっての母の存在は格別で、本当に心から愛していたのが伝わる。プツッと繋がっていた赤い糸が切れちゃった感。夫婦の事は2人にしかわからない世界。父親たす母親が丁度いい2人の形だと、私はいつも思ってた。


 母が亡くなってしばらくすると、父から言われるようになった。

「お前帰って来てくれて本当に良かった。ありがとう。でないと俺1人で大変だった」


 そうなんだ。私は親孝行する為に、おじいちゃんにこの家に連れてこられたかも?

介護って大変すぎ。これでいいんだよね。


 そう言ってた父親は4年後。おはようと起きてきたが、なんか変。もしかして脳梗塞?

救急車で病院へ。やっぱり脳梗塞。で、

「手術はしないで薬で治療していきます」

その日から入院が始まった。

 父は黒毛和牛を育てていたので、朝晩の牛の世話が私の仕事としてプラスされた。ちょっと手伝う程度で本格的に仕事となったのも初体験で、またまた忙しくなった。親牛3頭から子牛を年に何頭生ます事が出来るか。3頭ならば理想的。なかなか難しい。発情期を確かに捉えると良いが…ずーっと張り付いて見てないといけなくなる。そんなの無理。何でも真剣にやると面白い。最初は怖かったが段々と可愛くて可愛くて。おとなしくていい子達。優しい目をしてる。ちょっと気性が荒い子もいるが、好きな餌でつると結構思い通りになる。

 

 ちゃんと妊娠出来て出産の時は一大事で。

事故が無いように。しっかり生まれてくれれば良い。引っかかって出にくい時は出てきた足を持って引っ張って手伝う。生まれた赤ちゃんが風邪ひかないようにしっかり乾くまで拭いてあげるのも必要。初乳飲ませてあげるのも上手な親なら良いが、お産初めての親は大暴れして一苦労。自分が怪我しないように守りながら。代わりに絞ってあげる時もある。何でも初体験の私はいつも大変。だけど何するのもワクワクしてる。変なの!


 牛で1番大変なのは、餌の確保。全部牧草地の草を刈って干して片付けるという作業。天気との勝負。それだけを仕事としてるならば良いだろうがよそで働きながらだと、ほんっとにしんどい。 


 よく頑張りましたね父は。すごいよあなたはたいしたもんだ。と感心。でも真似事してる私もすごいね。

 こんな感じでめっちゃ忙しいからアッという間に日々過ぎる


6ヶ月経ち、病院から施設にお願いする事にした。父だって、本当だったら施設より家で介護して欲しかったでしょうが、私のカラダが持たない。ごめんなさい許して!!

 病院から家に帰れると思ったらしく、すごく喜んでたのに施設に着いた時は完全に顔が怒っていた。喋ることが出来なくなってた父は表情みればすぐわかる感情。ほんっとごめんなさい。許して。


 12月26日施設から連絡あり。ここんところ調子が悪くて病院で診てもらって!という事だったので、入院できるように準備して施設の方と一緒に病院に向かった。施設と同じ系列の病院ではうちでは無理なので。と救急のある病院へって事で着いたらすぐ亡くなってしまった。心臓はあと1時間後に止まると言われ、何が起こっているのか、ちょっと把握出来ない私がいた。涙は勝手に溢れてくる。入院するって病院にきたんだよね。あれ⁇


 牛の世話とか始まって、忙しがってる私を気使って、娘はずーっと手伝ってくれていた。でもクリスマスは旦那さんと過ごしたいからって何日か前に帰ったばっかりだったのに。


 私はボロボロ泣きながら娘に電話していた。じーちゃん死んじゃったよー。


12月26日年末で、早い人はもう休みに入ってる時期。亡くなる方が多く葬儀も順番待ち。和尚様の計らいで31日に葬儀をしてもらえる事になった。年内でありがたい。和尚様も年越しの日の葬儀は初体験だそうだ。

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