第3話
「あなたおじぃさんの事知らないでしょ」
全然ピンと来なかった。いわゆる見える人と言われる人(霊媒師)のことば。あなたの守りはおじいさん。知り合いに連れて行ってもらった。青森県十和田市の方にいわれた。
普通おじいさんっていったら母方に1人、父方に1人で2人だと思ってた。私には更にもう1人いるらしい。そういえば、父親はおばあちゃんの連れ子で今の家の後妻さんで入った人だ。毎年おばあちゃんが元気な時は秋田県の花岡炭鉱事故合同慰霊祭に行っていたのを思い出す。私も小さい頃は行っていたようで写真もあった。昭和19年5月29日。父親は同じ年の7月1日が誕生日なのだ。って事は、父親も本当の父親に会ったことなく、この世に誕生したのだ。それを思ったらなんて酷い現実なのか。どんどん秋田のおじいちゃんの事知りたくなる。おばあちゃんは秋田の地でおじいちゃんと一緒に息子である父親と仲睦まじく生活してたであろう。この事実。だったら父親はどんなに幸せだったか。突然炭鉱が事故で潰れて遺体も出てこなかったらしい。おばあちゃんは大きなお腹を抱えてどんなに悲しくて、苦しくて、悔しかっただろう。想像するだけでも涙があふれる。どんなに心細かったか。
幸い、おばあちゃんにはすぐ近くに本当の妹がいた。亡くなったおじいちゃんの弟さんとおばあちゃんの妹さんが結婚していたようでお互いに兄弟通し縁があって結ばれていた。通りで父親と伯父さんは顔のつくりがそっくりで、縁者だとすぐわかる。その伯父さんは花岡炭鉱事故の真実を伝える人、案内人となり、今も活動されてる。すごい方。七〇周年合同慰霊祭はその当時おじいちゃんみたいに韓国の方たちも炭鉱夫としてお亡くなりになったご家族も招待したようで、用意された椅子に座り、私達と同じ時を刻んだ。娘と何度か行ったが、行くたびにおじいちゃんの兄弟という方もいたりで、すごぐ暖かい空気に包まれる。とても心地良い。本当の居場所のよう。私は感覚的に居心地の良い所をいつも探している。これが血の縁。齋藤という血の人達。
父親がこの地にいられたら、のちのちの過酷な苦労は無かっただろうに。と思うほどの後妻さんの連れ子としての運命。毎日怒鳴りつけられる生活で、耳が自然に人の声をキャッチしなくなる。耳が人の話しを聞こうとしない。そのため、人とのコミュニケーションが上手くいかなくて生きづらい日々の毎日。しんどかっただろうに。でも母親思いの優しい性格はすごく温かく、子供である私達は幸せを感じて生活していた。で、おじいちゃんはいつも守護霊として守ってくれてたみたい。平泉の白山神社も守護してくれてるようで、前世からの縁もあるよう。毎年お札を新調するため参拝。楽しかったなぁ。コロナの時は時期を桜の頃にしたら、また良しで。心の故郷って感じ。いつ行ってもいい。居心地最高。
私には不思議体験が多い。体に何か入っていたのがスーッと抜けた感覚。そう。違う霊媒師にあなたの家の裏山の水の溜まっている所には山の神様と水の神様がいらっしゃる。御神酒をあげ感謝し2度とそこへは戻らぬ事を伝えなさい。
私は言われた通りにした。その時、足には重い鎖、肩には重い鎧、心は鉛でできてるかのような冷たさが、一瞬にして頭のてっぺんからスーッと煙のようになって出て行った。
なんじゃこりぁ!!!
からだが一気に軽くなった。もともと形としては神棚や神社で手を合わせていたが、この時のくらい感じた事はなかったので、驚いたもなにも。こんな事話してもとうとうおかしくなったかと思われるのもいやで、誰にも言えなかったが、後から感じやすい方から、とってもお宅にいけなかった。本当はその場所は神社にした方が良い所のようだった。人がいてはダメな場所ってのもあるんだー。今思うと山が爆発しそうで入山規制がかかっていた時期があったなと。山の神々が怒ってたかも?なんて時期ピッタリその頃じゃん。
だからといって私に霊媒師のような力が備わったか? まったくそれはゼロ。太陽の光がしっかり七色に見えるようなったくらいかな。どうせなら、なんでも見えたらいいのに。見える人から言わせると疲れるみたい。
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