ソルアラの四民

竜花

ソルアラの四民

 ――海の民は女神を信仰しない。


 かつて、光と闇の戦争があった。

 結果は引き分け。

 闇魔は裏に封じられ、光の女神は天へ還り、残された人々は女神の加護を受けた者を中心に王国を建てた。その際、国の四方に位置する海・山・砂漠・森に散らばったのが現在の四民と呼ばれている者だ。


 四民が国の中枢を離れた理由は様々だ。

 海の民の場合は、「女神信仰の社会から離れたところから客観的に王国を眺めるため」だった。

 決して敵対心を抱いて離れた訳ではない。

 現に、王家と海の民は友好関係を築いていて、国の長官の中には海の民出身の者もしばしば見られる。身体能力が高く頭の回転も早いものだから、城の仕事につけば自ずと位は上り詰めてきた。

 それでもクーデターを起こさないのは、海の民たちが抱えている信念によるものが大きい。


 ――海の民は秩序の神を信仰する。


 光と闇の戦いを引き分けと裁いたのは、秩序の神だ。

 決して平和的協定による停戦ではない。

 光の女神より魔の根源より大いなる神が、光と闇の均衡する世界へと導いているのだ。

 海の民は、彼により王家の監視を任された。以降、秩序に忠する者として、王家が正しく国を統率しているか見守りながら、脈々と子孫を繋いできた。

 ……だからきっと、この結果も仕方がないことなのだ。


 生きたいか、と魔人が尋ねた。

 生きたい、と囚われた海の民たちは口々に答えた。

 俺たちは悪くない。悪くない。俺たちはずっと王の忠臣だった。先に裏切ったのは向こう側だ。俺たちは信念に従って必要な行動を行っただけだ。冤罪だ。

 仲間になろう、と魔人が高らかに唱えた。その意味を今一度噛み砕く。

 はなから女神なんて信じちゃいなかった。やっぱり俺たちはここにいちゃダメだったのか。王家に仕えながら監視するのが間違いだったんだ。


 ――海の民は女神を信仰しない。

 かつ、海の民は闇魔を忌むでもない。


 決して、光が正しい訳でも、闇が間違っている訳でもないのだ。

 光がどれだけ清くとも、闇がどれだけ汚くとも、時に闇のほうが正しいときだってある。この世界には、夜が訪れなければ出会えない生も美もあるのだ。間違いない。

 海の民は、魔を悪だとは思っていない。


 ……もし俺たちが間違いなら――魔に呑まれ本来の在り方を失ってしまったら、正しく生きた方の海の民たちが役割を果たしてくれるだろ。


 牢にいる海の民たちは魔人の手を取った。

 まもなく魔に取り憑かれた彼らは、「反逆者」の名を背負いながら、その役割を全うすることとなる。



 

 ――山の民は世界を眺む。


 この国では誰一人として、外に出ることも内に入ることも許されない。

 何故ならば、闇魔による被害をこれより外に広げないために女神が結界を張ったからだ。

 東に進めば暗闇、南に進めば荒波、西は砂嵐で、北が吹雪。自然の脅威が、国境で待ち受ける。それを越えることが出来た者はいない。真実を求めた者たちは皆、闇の中に消えていった。


 しかし。一月一日、日の出の刻。 

 外との繋がりが絶たれたこの国で、世界はその瞬間だけ、バグを起こす。


 その年も、初日の出を眺めようと山の民は山頂に集まった。

 中には初めて登る幼子もいた。いつもはぐっすり寝ていて置いてけぼりだから、今年こそは皆と一緒に朝を迎えるのだと意気込んでいた。


 太陽のお目見えと共に、人々がキョロキョロと首を動かす。不思議に思いながらそれに倣った幼子は、目に映る景色に圧倒された。


 そこには普段は見ることの出来ない外の世界が広がっていた。

 この山はどうやら大陸の真ん中に位置するらしい、我が国のある南を除いた二百七十度が知らない世界で囲まれている。

 北西を向けば山脈が繋がり、西の砂漠も東の森も知っているよりずっと広い。北西

は主に建造物が多く、真北から東にかけては広い平野が続いている。


 それらが、徐々に朝日を浴びて輝き始めるのだ。誰もが瞬きもせずにただその光景を目に焼き付けている。


 だがそれも束の間、十分もたっただろうか、たちまち世界は幻影のようにぼやけて、分厚く透明な壁のようなものが国を囲んでしまった。

 余韻を楽しんだ山の民たちが下山を始める。

 幼子は一人、自分の目を信じられないまま吹雪の中目を凝らしていた。まもなく親に急かされて、仕方なしに背を向ける。


 しかしその幼子は諦めの悪い質だった。

 もう一度あの景色が見たくて、毎朝早起きをするようになった。大人たちがどれだけ無駄だと言い聞かせようと、性懲りもなく。

 はじめは渋々付き合っていた親も、やがて見向きもしなくなってしまった。 


 その朝も幼子は、半ば義務的に山を登った。

 相変わらず雪が降っていた。


 かれこれ二ヶ月早起きに耐えた。本当はとっくに、あの遠く視える世界は特別なものだとわかっていたけれど。

 どうしてもこの山の向こう側が見たくて。新鮮で胸の高鳴るあの瞬間を今一度感じたくて。 


 たった二ヶ月の努力の結果なんて言ったら、嗤われるだけだけれど。

 神の悪戯か、遂にその刻が訪れたのだ。


 まだ朝日が水平線を超える手前の頃だった。

 突如雪が止んで、まっさらな視界の中に、有明の月――そして、待ち望んだ世界があった。

 しかも、幻じゃなかった。いつまで経ってもなくならない。

 幼子ははしゃいだ。大きく息を吸って、やっほーと叫んで、指眼鏡を覗いて。色んな角度で、色んな世界を眺めて、存分に楽しんだ。立っているのは見慣れた山なのに、世界がガラリと変わったような気がした。


 その後まもなく幼子は、太陽が頭五つ分ほど首を伸ばしたことに気がついて、慌てて山を駆け下りた。


  

 

 ――砂漠の民は呪われている。


 イオは、風に吹かれながらぼんやりと考える。

 神話時代、光と闇の戦いにて、当時何の力も持っていなかった砂漠の民は、闇の戦略によって魔に取り憑かれた。その中から魔王が輩出され、その魂は後世にまで渡る輪廻を繰り返してきた。


 魔王はおよそ五百年おきに復活する。

 否が応でも世界を支配せんとこの地に見参する。


 それもこれも、魔の根源がこの世に輪廻の呪いを残したからだ。

 彼がなぜ輪廻の呪いをかけたのかは誰にもわからない。繰り返す運命の中でいつかはこの世を手に入れることを夢見たのだろうか。真実は闇の中だ。


 一つ確かな事実があるとすれば、女神の加護が世界を守り続ける限り、闇が完全に世界を覆い尽くすことはないということだ。

 女神は天界にて人々を見守りながら光をもたらしている。夜が何度訪れようと必ず夜明けが待っているし、闇魔が人々を襲おうと王族がこれを鎮める定めにある。魔が何度復活しようと、結局は光が封印するのだ。


 ……でも、本当に?


 イオが生まれた十年ほど後のことだ。王家に新たな王子が誕生したと同時に、女神によって強固に覆われていたこの国の結界が解けた。


 永遠であるかと思われた歴史が、何か変貌を遂げようとしている。

 それは、ポジティブなものと捉えてもいいのか。


 もし、闇が光を覆してしまったら?

 次に復活した魔王が――イオが、この国を、この世界を滅ぼしてしまったら?


 恐怖で身の毛がよだつ。イオはそんなことこれっぽっちも望んじゃいないのに。ただ平和に毎日を過ごしたいだけなのに。

 別に、お前は魔王の器だから、お前は成年で自我を失って暴れまわるからと封印される分には構わない。

 もちろん、なんで自分なんだと叫びたい気持ちもあるけれど、どうせ誰かがこの運命を背負わねばならぬなら、その役は自分に回して他の人は存分に幸せになって欲しい。


 それより何より、魔王となった自分が誰かを傷つけてしまう可能性のほうが怖い。

 もしそれがイオにとって大切な人――特に、魔王の器でありながらも大事に育ててくれた親だとか、砂漠を出てから住み着いた村で良くしてくれた人たちだとかだったとしたら、なんて考えたくもない。


 魔王になるって決まっているならさっさと終わらせてくれよ。

 もう待ちくたびれたよ。


 あるいは、ただ歴史上で繰り返すだけの、その一部でしかない魔王の宿命を変えてみせるとでも言ってくれないか。


 封印されるための命なんてもう生まれてこなくて良い。誰も彼もどうか幸せになってくれ。こんな呪い、ぶっ壊してくれ。

 俺が誰かを傷つけてしまう前に、誰か。




 ――森の民は蠢いている。


 彼らは――彼らだけは、ソルアラの四民の中で明確な立ち位置がない。

 山の民や海の民のように遠目に国家を眺めるでもなく、砂漠の民のようにかつて国に追われた過去を持つでもない。

 強いて言うなら前者寄りではあるが、友好関係を持つ山と海に対して森は国との仲が悪い。一応は国の統一下にあるけれど、どうせ名ばかりだ。森の民に服従心なんてものありはしない。


 森の民――どこから得たのか、砂漠の民同様に魔術を扱うことができる種族で、しかも不老の血肉を持つ。文明も歴史も謎に包まれたソルアラの四民のひとつ。

 実は彼ら、裏で隠れて悪質な人体実験を行っているが、その事実は未だ世間に知らされていない。誰一人、証拠を持ち出せたものはいない。


 ――僕を除いて。


 僕は奴らの実験台にされた。森の民以外では恐らく唯一、不老の体を持つ。この肉体が、実験の証拠だ。


 かつて奴らは、その証拠を隠蔽するため僕を追いかけていた。森の民の監視下を命からがら逃げだした僕は、「反逆者」と呼ばれる組織に保護され、そこで護身術を学びながら育った。

 さっさと国に証拠を提出しなかったのは、身柄を出すことで不自由な生活をするのが嫌だったからだ。育ちが「反逆者」であったために、僕は女神信仰も国家への忠誠も抱いちゃいなかった。国への利益よりも、自分がのびのび人間として生活できていれば満足できた。


 今となってはもはや、この身体は証拠にするには時効に近い。

 森の民を告発するには十分な材料ではあるけれど、それにしては僕は長く生きすぎた。

 森の民以前に、僕もまた、国家の脅威になりうる存在なのだ。


 ならば僕はただ一人でも、森の民を監視する者になろう。

 生き続けることで森の民に復讐をしよう。

 誰に存在を忘れられようと、僕は過去を忘れてやらない。

 決定的瞬間が訪れるその時を待ち続けてやる。


 それにどこまで意味があるかはわからない。

 実際のところは、状況を一変させられるほどの知恵も権力も人脈も僕は持っていない。

 仮に奴らが本性を剥き出しにして国を滅ぼさんとしたって、僕はただ黙って指を咥えて眺めていることしかできないかもしれない。


 それでも僕は抗い続けよう。

 たかだか千年ぽっちの生では、森の民には到底及ばないが。ただひとり、僕だけは何にも屈さず、生き続けるとしよう。


 ――それが、僕が森の民にかけられる唯一の呪いだ。

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