人々はそらを行く船へと、海の底の底へと逃れ、街から姿を消しました。

終着駅

 その駅は、海に向かう支線の終着駅でした。

 沖合の海洋センターへは、船に乗るか、海中の道を歩いて向かうのです。

 立派な駅舎の天蓋は、細い銀色の骨組みが支えています。透明な板が陽の光を反射して薄青やエメラルド色にきらめいていましたが、集まった人々は天蓋のかがやきを楽しむどころではない様子でした。

「おそろしくお客の多い日だ。もう何十年もここにいるが、これほどの人は見たことがない。一体何が起こるのだろう」

 ニレの木は大量の人間に埋め尽くされた駅舎を、近くの小高い土地の上から眺めていました。普段は人よりも貨物の発着が多い駅なのです。

「もうすぐ、星の雨が降るんだよニレの木」

 根元に腰を下ろしたねこが、前足で顔をこすります。ふさふさした黄金の毛並みの、堂々とした出で立ちのねこでした。

 ねこは何本か前の列車にするりと乗り込んで、街からやって来たのです。

「激しく燃えている星々の群れなんだ。街も、工場も、森も丘も、みんなまとめてかがやかしい星の炎に焼かれて消えてしまう。だからそれにそなえて、海の底のそのまた底に潜るんだって」

 ニレの木は感心したように枝葉を鳴らします。

「ねこ、おまえはよく物を知っているのだね」

「そういうふうにつくられてるの。あちこちでいろいろ見て、聞いて、覚えて、たくさんのことを持って帰るように」

「では星の雨の話もそのようにして集めたというわけだ」

「そう。ここまでくる間に、ニュースの画面を見て、みんなの話を聞いて」

 ニレの木はしきりに枝葉を鳴らし、葉脈という葉脈に水をめぐらせました。

 もう長い年月駅舎や列車の行き来を見守ってきたニレの木ですが、ほんものでないねこと話をするのは初めてのことです。

 このように賢く、木の言葉も上手に話すのは、ねこがほんものではないからなのでしょうか。ニレの木はほんもののねことも話したことがなかったので、よくわかりません。

 ただ、このねこのことは気に入りました。

 ニレの木は、列車の中で人々の足と足の間をすり抜けるねこの姿を思い浮かべました。それから、かがやかしい炎が大地に広がってゆくさまを思い浮かべ、しばらくの間黙って駅舎を眺めていました。

「おまえは彼らと行かないのかい、ねこ。わたしはこの通り動くことができないが、おまえならば人々の間をするりと抜けて海の底へも行けるだろう」

 ニレの木が尋ねると、ねこはのびの格好のまま、すました顔で答えました。

「行けないんだよニレの木。ぼくは、ぼくに定められた街以外のどこにも行けない」

 ねこは言います。

「ぼくは、ご主人つきのやつとは違うんだ。列車の貨物のふりはできても、海の底の家に暮らすことはできない。いつまでもその辺をふらふらするようにできてるの」

 ニレの木は、感心とは少し異なった気持ちで枝葉を揺すりました。

 どのような言葉が適当であったのでしょう。

「そういうものなのかい」

「そういうものなの。住み込みには住み込みの、味見係には味見係の、うろつくぼくにはぼくの仕組みってものがそれぞれ定められているのさ」

 定めがねこをつくり、ねこをいかし、ねこは定めそのものでもあるのです。

 ニレの木は、根を張ったこの小高い土地から生涯離れることがありません。

 ねこの定めはそんなニレの木のいきざまと少し似ているようで、別なものでした。

 ねこのありかたに、ニレの木は深く感じ入っていました。

「ニレの木、ぼくはそろそろ行くよ。今日はみんなの話を追いかけていて、ついうっかり遠くまで来てしまった」

 ねこは、ふさふさした毛並みをたなびかせて身を返します。

 そしてニレの木に向かって、にゃあとねこのようなあいさつをしました。

「さよならニレの木」

 終着駅から街中へ向かう無人の列車に乗って、ねこはねこの暮らす街に戻ります。

 ねこが見聞きした物語を必要とする人は、もう街にはいないかもしれません。

 それでもねこは定められた仕組みの通りに働きます。

 そういうふうにつくられたねこが、これからもねこであるそのために。

「さよなら、ねこ」

 ねこは行きました。ひとりになったニレの木は、人々が海底の避難所に向かう光景を静かに見守り続けます。

 ひそかに、少しずつ、陽は傾き、夜が近づいていました。

 ニレの木のもとを訪れるものは、もうありませんでした。

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