第4章 アマゴ哀歌


 


 医師からの茅野子ちやこへのがんの通告を受けて家族会議が始まった。



 私には以下の事が知らされた。「毛玉を取り除く手術」がストレスになって癌が発生したらしい。「毛玉による胃壁への刺激」も要因になったのかも知れない。癌はかなり進行していて今、癌の摘出手術てきしゅつしゅじゅつをしても癌が転移している可能性も高いらしいし茅野子の体力が持つかも懸念けねんされる、との事だった。断っておくが、これは今から15年も前の話である。私の記憶に誤りがある可能性もあるし茅野子が特別な症例だったかも知れない。何より今ならもっと有効な治療法があると信じたい。



「今すぐ手術をする、当たり前でしょ!少しでも可能性があるなら茅野子を助ける」


 これが姉の意見だった。家庭教師のアルバイトをしていた姉は手術費用は全額あたしが出す、と。これに対して祖父母は「出来る事はしてやりたい」と私も含めて了承した。でも黙っていたが私の考えは違っていた。


「それは人間の自己満足だと思う。手術をしたら必ず助かって、これからも健康で生き続けられる保証があるならともかく。茅野子の体力も心配だよ。1年に3回も手術するなんて茅野子がかわいそう」


 今になって思えば、これも私の子供っぽい感傷なのかも知れない。姉は姉で自分がお風呂で洗い過ぎた、と言う罪の意識を持っていたのかも知れない。姉はとても優しい人だから。だから何とか茅野子が助かる可能性に賭けたかったのかも。姉なりの贖罪しょくざいを込めて。



正論は沢山あるけど正解はわからない



 茅野子は癌摘出の手術を受けた。




 退院してきた茅野子を私は正視できなかった。とても痩せてしまい身体に力が入らないようだった。鳴き声も小さくなり何もかも半年前の茅野子とは違っていた。やはり茅野子の体力では手術には耐えられ無かったようだ。


 私は泣きたいのを我慢して茅野子と向き合った。

 生き物を飼う。ペットを飼うとは、こういう事なのだ。 

 最後まで寄り添わなければならないのだ。


 それは家族全員の共通認識だったようだ。茅野子は2階の自分の住処に居座いすわって滅多に下には降りて来なくなった。祖母はトイレを2階に持って行き、私と姉がつぶした魚や肉を食べさせてやった。水は自分で飲んでトイレもキチンとしたので、砂も2人で替えた。たまに下に降りて来ても家の外には出ようとはせず、武勇伝を残した庭を眺めていた。



1ヶ月後



 その頃の茅野子は自分の住処でずっと寝ているようになった。私と姉は茅野子の身体を撫で「息をしてるよ」とか「まだ暖かい」と安堵する事が多くなった。一縷いちるの願いをたくして。


 その日は祖父が渓流釣りで沢山のアマゴを釣って来た。この渓流魚は地域によってはアマメやヤマメと呼ばれており私達の住んでいる地域ではアマゴと呼ばれていた。渓流釣りは私が生まれる前からの祖父の1番の趣味であり初夏から夏にかけては鮎の友釣り、それより前の冬が終わる頃からはアマゴを釣りに山奥まで行っていた。今の渓流魚はあまり大きくならずに個体数もかなり減ってしまったが、その頃は生育も良く形の良い魚が何匹も釣れた。


 祖父にとっても久しぶりの大漁で、その日の夕食には沢山のアマゴの塩焼きが並んだ。茅野子は、この祖父が釣って来る渓流魚が大好物だった。何より新鮮だし特にアマゴはあぶらも程よく乗って美味しかったから。「バリバリ」と茅野子は頭からかぶりついていたモノだった。祖父はお酒も入って御機嫌ごきげんで茅野子の思い出話に皆は花を咲かせていた。

 

 その時。

 耳の良い私には聞こえた。何かが階段を降りてくる音が。

 しっかりと階段を踏みしめる茅野子の足音が。


「皆、茅野子が降りてくるよ!」


 私の声にも家族の皆は半信半疑と言う顔だった。「今の茅野子が階段を降りてくるのは無理だろう」と。


「ホントだって!ほら、もうすぐ・・・・来たよ」


 私が戸を開けると、そこにはちょこんと茅野子が座っていた。

 初めて我が家の庭に来た時のように。


「・・・・茅野子。アマゴを食べに来てくれたのか」


 祖父の声に応えるように茅野子はゆっくりとした足取りで自分の夕食の場所に歩いて行った。その身体はやせ細っていた。

 祖母は素早く立つと台所に向かい茅野子が使っていたお皿を洗って茅野子の場所に置いた。姉はそのお皿に1番大きなアマゴを置いた。お皿にたどり着いた茅野子はアマゴの匂いを嗅いで「はむはむ」と食べ始めた。


 この3日くらい何も口にしなかった茅野子がゆっくりと味わうように。


 それから私達を見回して「ニャア」と鳴いた。しっかりとした声で。


 アマゴを半分くらい食べた茅野子は2階へ戻って行った。後を追おうとした私と姉に祖母の声が飛ぶ。


「追ったらいかん!」


 祖母にしては珍しい強い口調だった。


「今の茅野子を追ったらいかん」




翌朝


 茅野子は住処の中で冷たくなっていた。


 満足気な顔で。








つづく

 



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