病院
海人のお父さんが入院した。月曜日のお昼休みに健一から伝え聞いた。眠そうにしながらも、大学がある日は毎朝決まった時間にきっちり来ていた海人の姿を、確かにその日は見ていなかった。海人のお父さんがライフセーバーをしているのをわたしは知っていたので、一報を聞いた時「海の事故なのかな…?」と咄嗟に思った。それと同時に魚と同じくわたしがエラ呼吸をしていたならば、急にそれが機能しなくなったような、なんとも息苦しい「青黒い」感覚が襲ってきた。そしてその良くない予感は的中してしまう。さらに胸がキュウとなった。
昨日は7月最初の日曜日。少し風が強くも、夏の始まりをいっそう思わせる真夏日であり、海水浴客が一段と増えそうな気候だった。そんな中、子供が溺れているという通報を受け、ライフセーバーとして海に出た海人のお父さん。沖に流されそうな子供を助け岸に戻る際、カツオノエボシといういわゆる電気クラゲに刺されて呼吸困難に陥ってしまったという。それでもなんとか子供を岸に上げたあと、意識を失い緊急搬送されたというのだ。幸いすぐに意識も戻り、命に別状はなかったらしい。
お父さんはもう会話もできるくらいに回復はしているが、念の為側に居たいとのことで、海人は数日の間大学には来ないという。
わたしは海人が心配だった。先日横浜を訪れたわたし達4人は皆、よく言えば真っ直ぐキラキラした目をしていて、近しい人もそうでない人も「全員が幸せになれるといいのにな」と心から願いながら生きているという「純粋さ」があるように思う。その反面、ここまでの約20年の人生の中で、大きな事故や残酷な事件、あてのない悲しみ。更には小さくも明確な挫折すら経験していない節がある。
だから純粋過ぎるが故、いわゆる「心の免疫」がない。緊急時のメンタルキープに必要となる予防接種をしていない、とでも表現するべきか。現状わたしにはそれによる「免疫」は全くないし、彼らにも同じ事が言えると思う。「心の予防接種の注射痕がない目をしている」のだ。
完全にニュアンスの話だが、わたしはそれが「感覚的」であっても、しっかり目的地に辿り着けるならば、ある種「公式」で無くてもいいと思っている。
だから…会いに行かないと。
わたしはその夜、病院に向かった。
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