第3話

 二度目、耳に聞こえたのは、人がアスファルトを歩く靴音と信号機のメロディーだった。


 私はそっと目を開く。予想通り目前には手のひらが並んでいた。


 視界を上げた私は顔をしかめた。憎たらしい香里の顔を見たからだ。長い年月、損をした。お前にはコリゴリだ。


 自分の選択は二択。小太りで丸顔の男か角刈りの怖そうな男だ。


(うーん、だいぶ迷う)が怖い顔は嫌だ、私は小太りの手を取った。


 私が手を取ると、他の三人は何事もなかったように赤に変わりそうな信号に走って行く。


「信号が変わってしまいます。早く行きましょう」


 小太り男が私の手を引いて走り出す。茶色いスーツを着ているが、走ると横腹の贅肉が揺れているのが分かる。


 顔も立派な不細工。今回の私のテンションは、だいぶ低かった。


 無事に信号を渡り終えた場所で、小太り男は額の汗をタオル生地のハンカチで拭いながら話しかけてくる。

「あの、ケガはしていませんか?」


「あっ、はい、大丈夫です。有り難うございました」

頭を下げる私。一応、これが礼儀だ。


 小太り男は聞いてもいないのにペラペラと喋り始めた。


「あの、僕は城之内勝じょうのうちまさるといいます。年齢は三十歳。仕事は城之内学園に勤めています」


(城之内学園……だと?)どこかで聞いた名前だ。必死に記憶の沼を探ってみる。するとポンっと答えが飛び跳ねた。


 城之内学園といえば、 T大学合格率トップで有名な私立学校だ。確か、幼稚園受験を突破すれば、高校までエスカレーター式で偏差値もかなり高い。歴代の総理大臣の母校としても有名で、金持ち達が通わせたがる学園ナンバーワン!


 ん?待てよ、この男、名字を城之内と名乗ったか?確かに名乗ったよな!ってことは、もしかして城之内学園の後継者?金持ち?金持ちなのか?いや、金持ちだ!


 私は城之内にニッコリと微笑んでツインテールを揺らした。

「私は久美子でーす!秋葉原のメイドカフェで働いていて、みんなからくみにゃんって呼ばれてまーす」

クルリと一回転、ウィンクして舌を出す。

「てへぺろ」


 これで、大概の男はイチコロだ。


 見る見る城之内の頬が赤く染まってゆく。一瞬、糖尿病か?と思ったがどうやら違うようだ。城之内はLINEの交換を申し出てきた。勿論、心の準備はできている。


 城之内と別れてメイドカフェに帰ると、オタク達が騒ぐ。ふん、お前ら、どうせ私がババアになったら推しを変えるんだろ?


 私はオーナーが差し出した手にオレンジを乗せると「今日は気分が悪いので帰ります」と言い置いて店を後にした。


 夜になると城之内からLINEがきた。

「突然、LINEして申し訳ありません。今度、暇な時で宜しいんですが食事にでもいきませんか?」


 ふっ、やはり落ちたか城之内。


 私は「良いですよ。行きましょう」とLINEを返す。その後、日にち、時間と待ち合わせ場所を決めて会うことにした。


 さすが金持ちとあってランチに選ぶレストランが違う。連れて行ってくれたレストランは三つ星で会員制だった。


 出されるフルコース料理を食べる前にシェフが現れて料理の説明を始める。結構、長い。

「はい、はい」と何回も相づちを打ち愛想を振りまく私。


 いざ、料理を食べようとナイフとフォークを持ったがマナーが分からず苦戦した。

緊張からか、大きめな器に手を伸ばし、中に入っている水を飲む。すると城之内が慌ててそれを止めた。どうやら、この水は飲み水ではなく手を洗う水らしい。

(紛らわしい、お絞りでいいでしょうが!)と叫びたい気持ちを私はグッと堪えた。


 食事の後、城之内と私は美術館へと向かった。どうしても行きたいと彼が言ったのだ。

ハッキリ言って絵画に興味は全くない!じっと絵を見つめる城之内の横で、私はバレないようにアクビを重ねた。


 んー、城之内とデートをしても面白くないしトキメキもない。散々と悩んだが、やはり城之内の金には興味がある。私は我慢してデートを重ねた。


 予想通りに彼は「付き合いたい」と告白してくる。つまらない男だが、私は笑顔で「はい」と答えた。


 ある日の夜、そろそろと彼にホテルへ誘われた。

ここは恋愛を続ける上で山場になる。ホテルのスイートルーム、無駄な部屋がやたらと多い一室で私達は裸になった。


 ブヨブヨして醜い身体。キスをしようと近づけられた顔も立派な醜形しゅうけい。オマケに城之内はワキガで、体臭がキツい。魚の腐った匂いがする。風呂に入ったのに鼻が曲がる悪臭に包まれ、私は城之内に抱かれた。今回テクニックは使わない。使う気もおきない。だってデブで不細工で臭いんだから。


 そんなこんなで二年の月日が流れ、私は城之内にプロポーズされた。私の勝利だ。


 やはり彼は城之内学園の跡取り息子だった。城之内の豪邸に挨拶に伺う。彼の父親は仏頂面で、母親は肉で潰されそうな顔で私を睨んだ。


 実家のことをアレコレと尋ねられる。ウチは普通のサラリーマン家庭だ。最後には「家柄が違いすぎる」と反対された。


 城之内は両親に逆らえないようでヘコヘコしている。彼は父を「ダディ」と呼び、母を「マミー」と呼んでいた。おい、ここは日本だぞ!と言いたくなったが辛抱だ。


 何とか両親を説得して結婚まで漕ぎ着けた。だが、問題はここからだった。


 とにかく母親の干渉が酷い。別居なのに、母親は毎日マンションに顔を出した。息子の顔を一日でも見ないと死んでしまうそうだ。掃除に文句を言い、料理にもケチをつける。夫になった城之内に文句をぶつけると、彼は逃げるようにマンションに帰らなくなった。


 それと同時期、私の妊娠が判明する。母親は私ではなく城之内の種の優秀さを誉めた。彼は母親にデレデレしている。このタイミングでやっと気づく、彼はマザコンだ。


 ったく最悪な展開。でも金だけは十分に潤っている。子供を出産して暫く経ち、母親の干渉が緩むころ私は家政婦を雇い、エステやネイル、ジムに通うようになった。洋服も靴もアクセサリーもブランド品ばかり。時々、城之内に金の使い道について文句を言われたが、そんなことは気にしない。私は自分の為にだけ金を注ぎ続けた。


 やがて父親が他界し、城之内が理事長に就任した。

彼はどこぞで愛人を作り、ますます家に帰らなくなった。と、同じ頃、私にも若いイケメンな恋人ができた。名前はヒカル、彼はホストだ。私はヒカルをナンバーワンにすることを決意して毎日ホストクラブに通った。勿論、ヒカルにマンションも与え、高級車も与える。


 そんな生活が何年も続き、いつの間にか子供が成長していた。息子の名前は陸人りくと。彼は十七歳になる。頭は悪い、が、城之内の力でウチの学園に通っている。T大学にも裏口入学と最初から決まっていた。

 

 陸人は育てた家政婦を「ママ」と呼び、母親である私を「アンタ」と呼んだ。父親に対しては論外、口もきかない。


 まあ、いい。気にしない。私はヒカルとのひと時に生き甲斐を感じていた。


 しかしだ、ここで問題が起きる。陸人が傷害事件を起こしたのだ。相手は男子クラスメイト。城之内は慌てて警察庁に手を回し事件を揉み消した。被害者には顧問弁護士より多額な示談金が支払われる。


 このタイミングで城之内のうるさい母親が死去。彼は涙にくれた。そんな城之内を私は鼻で笑う。やっと母親が死んでくれて清々していた。


 そんなある日、またもや陸人が事件を起こした。今度は万引きだ。やはり城之内が弁護士を使って動く。今回も穏便に済んだ。しかし、今度こそ陸人は取り返しのつかない大事件を起こしてしまう。


 学校帰りの女子小学生を仲間と一緒に連れ去りあやめてしまったのだ。この事件は世間を震撼させる大事件になった。もう城之内の力では揉み消せない。日々、テレビやネットで報道が加熱された。


 城之内の愛人は彼から去り、ヒカルも私から去って行った。


 広い屋敷のリビング。城之内は「もう、全てが終わりだ」と頭を抱えた。


 そう、陸人の起こした事件は、城之内学園に致命傷を与えた。


 金も名誉も財産も、一瞬にして全て失ってしまったのだ。


 金のない城之内と夫婦でいる意味はない。屋敷を去る日、私は城之内に離婚届を差し出した。


「お前!僕を捨てるのか!!」

激昂し、ソファーから立ち上がる城之内。


「だって、しょうがないでしょ?金のないアナタと夫婦でいる意味がないもの」

私は彼に背を向けてヒラヒラと手を振った。

「離婚届、ちゃんと提出しといてね。さよなら」


 玄関で片足をハイヒールに押し込む。その時、背中に強烈な痛みと衝撃が走った。熱い、背中が異常に熱くて息が苦しい。気がつくと、私の視界には自分が履いてきたハイヒールが片方だけ見えた。


 頭上から荒い息づかいが聞こえる。

「散々と贅沢させてやったのに、ふざけやがって!」

大きな怒号。城之内の声だ。


 床面に広がる鮮血。呼吸が浅くなり意識が徐々に遠くなる。


(まさか、私……死ぬの?)


 自分に問いかけた時「またバットエンドだがや」薄らと声が聞こえて目前に小さいオッサンが現れた。


 なっ、懐かしい。

 

 私は息も絶え絶えに口を開く。

「私に何が起こったの?」


「旦那に包丁で背中から刺されただがや」


 やはり、そうか。


「私……死ぬの?」聞いてみる。


オッサンは微笑んだ。

「死にたくないだがや?」


「はい」


「じゃあ、もう一度やり直すだがや?」


「できれば……」


「ファイナルだがや?」


 もう心臓がもたない。私は最後の力を振り絞り「ファイナルだが……や」と答えた。


 後は意識が飛んで記憶がない。


 気がつくと、私は交差点で転んでいて、目の前に手のひらが差し出されていた。

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