第4話
雑踏音と信号機のメロディーに私は願った。
残りは一人、角刈りの怖い男だ。良く見ると、頬に縦長の傷がある。余計に怖い。
おそらく今回も無理だろう。私は半ば諦めて角刈りの手を取った。
青く点滅する信号機、残りの三人は走って雑頭に消えて行く。
私の手を引く角刈り。「お嬢さん、早く渡りませんといけませんぜ」
お嬢さん?いけませんぜって……。この男は、どんな人だろう?
私は腕を引かれるまま、角刈りの後に着いて行く。
交差点を渡り終えると、角刈りは「じゃあ、あっしはこれで」と去ろうとする。
(えっ?今回これで終了?)私は瞬きを繰り返した。
その時、長く続いた歩行者道路から、こちらに走って来る人が三人見えた。皆さん男性で、ブラックスーツを着ている。彼らは角刈りを囲むと深く腰を折った。
「頭、お疲れ様でした!」
カシラ?聞きなれない呼び名だ。肉の部位か?
私がポカンと口を開けていると、角刈りが振り向いた。「お嬢さん、もしかして気分が悪いんじゃありやせんか?」
いや、そうでもないが、私は取り敢えず頷く。もう少し、彼を探ってみようと思った。
「そりゃ、いけねぇな」
角刈りが顎で三人に指示を送る。
その内の一人が「こちらに車を停めているのでどうぞ」と案内してくれた。
車は黒塗りのベンツだ。ブラックスーツが後部座席の重量感バッチリのドアを開く。「どうぞ」
これは乗れということか。そう判断した私は車に乗り込んだ。さすがベンツのシートだ。本革なのに尻を包む柔らかさが違う。私の自慢するヒップが気持ちいい!と安らいでいる。
間もなくすると、なんと横に角刈りが乗り込んできた。
「お嬢さん、どちらまで送りやしょうか?」
(あー、送ってくれるのね)私は「秋葉原のメイドカフェまで」と答える。
「メイド?」
角刈りが私に顔を向けた。
「どこぞのお宅で働いてるんでやすか?」
「いえいえ、お宅はお宅でも、オタクです。ちなみにカフェですよ」
「ほほう、するってーと、喫茶店ってことですかいやね?」
(なっ、なんか、この人、言葉がちょっと変)
私は苦笑で「そうです。喫茶店です」と答えた。
運転手が乗り込んでハンドルを握る。助手席に、もう一人乗った。(あれ?後一人は?)振り向くとブラックスーツが頭を下げている姿が見える。
発進するベンツ。メイドカフェまでの道中、私と角刈りは自己紹介を交わした。
彼の名前は、
話した感じ、そんなに悪い人ではないみたい。時々、照れたように微笑む横顔が可愛い。今の私にとっては年上だが、実際の自分よりは年下。無理なく会話が弾む。
秋葉原のメイドカフェに到着する頃には、すっかり仲良しになっていた。
「有り難うございます」と礼を言って降りる時、忠次郎はこう言った。
「あの、宜しかったらで良いんでやすが携帯ナンバー交換しやせんか?」
(あっ、やっぱ、そうなるよねー)
「いいですよ」と微笑む私。
さてさて、今回はどんな人生になるかな?私は期待と不安、ごっちゃ混ぜにした気持ちで連絡を待った。
だが、いくら待っても彼からの連絡がない。
(自分との関係を進展させる気はないということか?)
「うーん」
ベッドの上、うつ伏せ状態でスマホと睨めっこする私。向こうにその気がないなら、こちらから連絡すればいい。そう思い『ちゅうさん』と表示されたナンバーをタップした。
五コール後、低くて渋い声が耳に届く。
「はい」
私は身体を起こした。
「あっ、忠次郎さん?私です!くみにゃんです!」
「はい」
(いや、はい、しか言わねーし!)
スマホを左手に持ち替える。
「あの、お元気でしたか?」
暫しの沈黙。すると「くみにゃんから連絡がくるとは夢にも思いやせんでした」と、柔らか気味のトーンで忠次郎から言葉が返ってきた。
彼からの説明はこうだ。
若くて可愛い私が、自分なんかを相手にしてくれる訳がない。と思い、諦めていたらしい。
自分に自信がないのかな?どうも女性に対して奥手っぽい。
「そんなことないですよー」と言うと忠次郎は「はあ〜」と吐息した。
「お声も可愛らしくて、胸がドキドキしやすぜ」
うん、好感は持ってるらしい。私は彼を食事に誘う。すると忠次郎は「食事の前に動物園は、いかがやすか?」と問われた。
(動物園、暫く行ってないなぁ〜)私は「はい、動物園にしましょう」と明るく答える。その後、秋葉原のメイドカフェまで車で迎えに来るとのことだったので、曜日と時間を決めて通話を終了した。
約束の日、カフェの前に白くて長いロールスロイス
が現れた。
(こんな長い車、テレビでしか観たことがない)
ブラックスーツにサングラスをかけた男性が降りてきて、後部座席のドアを開く。「お待たせしました。どうぞ」
このブラックスーツは、この前の人と違うみたいだ。だってボウズ頭だもん。
乗り込むと、先に眩いシャンデリアが見えた。対面席になっていて、自分の向かい側に忠次郎が足を組んで座っている。上下白いスゥエットスーツ。ラフな服装だ。
「今日は宜しくお頼み申しやす」
彼が頭を下げたので「こちらこそ」と、私も頭を下げ返した。
動物園に到着して車を降りると、私は前を歩く忠次郎に続いた。彼の背中に大きなゾウの刺繍がある。きっとゾウさんが好きなのかな、と感じた。
見事に予感は的中、忠次郎は、象の前で足を止めたまま動かなくなった。じっと象を見つめている。ひたすら見つめている。ひたすらに……。
私はスマホで時刻を確認した。午前十一時に入園して今は十七時。忠次郎は六時間も象を眺めていた。その間、一言も言葉を発しない。これは、まさに拷問!ゾウさん拷問だ。
その姿を見かねたのか、ブラックスーツが「頭、そろそろ」と控えめに声をかける。
「ああ、分かってる」
忠次郎は切な気に呟いて、振り向くや否や私の存在に驚いたような顔をした。
(まさか、こやつ、私を忘れていたのか?)
角刈り頭をペチンッと叩きたくなったが、私はそれを堪えて微笑む。
「もうすぐ夜ですね、今度はどこに行きましょうか?」
こんなに寛大で辛抱強い女がいると思うか?そう、ここにいる。私はカフェのアイドル、くみにゃん、二十三歳。(テヘペロ)
次にロールスロイスが向かった先は、高級ホテル内にあるレストランだった。
城之内との経験でテーブルマナーはバッチリ。料理を口に運びながら会話が弾んだ。
やはり彼は象が好きだった。幼い頃、父に動物園に連れて行って貰った時、象の短くて太い足を見て感動したのだそうだ。そこは長い鼻と言って欲しかった。
それとなく、お父様の職業を尋ねてみる。彼は「父が初代で自分が二代目でやす」と答えた。つまり、同じ会社で働いているということか?
それを尋ねると、忠次郎は遠い目をした。
「父は今、網走の塀の中にいやす」
この言葉は、どう解釈すればいい?網走は確か北海道。(塀とは?)考えた末、脳内に答えが導き出された。塀とは動物園だ。つまり彼の父は動物園の園長ということになる。動物を愛する心は清くて素晴らしい。彼の父に乾杯!
ワイングラスを合わせる私と忠次郎。柔らかな照明の下、グラスの中で透明な液体がキラリと揺れた。
私も自分の家庭環境について話す。彼は楽しそうに「うん、うん」と頷いて聞いてくれた。
なんだろ?この人、凄く話しやすい!一緒にいて楽しいのだ。
それから二人は、何度もデートを重ねた。その度、私は忠次郎を好きになってゆく。「付き合って下さい」と告白したのは自分からだった。
なぜか忠次郎は酷く悲しい表情をした。
「くみにゃんの気持ちは嬉しいでやす。だが、あっしには、くみにゃんを幸せにできる約束ができねぇ。この関係は、ここで終わりに致しやしょう」
背中を向ける彼。悲しく滲む象の刺繍。私は「待って!」と忠次郎を呼び止めた。だけど、彼は遠くなって行く足を止めてはくれない。
私は路上に膝をついて叫ぶ。
「チュウチュウ!アナタが好きなの!!」
もう忠次郎の姿は見えない。私は両手で顔を覆って泣いた。
すると肩にそっと温もりを感じ、見上げると、丸坊主のブラックスーツが私を見下ろしている。
「くみにゃんさん、どうか頭の気持ちを分かってやって下さい。頭も辛いんです」
「何が辛いの?チュウチュウと付き合うと、なぜ幸せになれないの?」
少しだけ開く時間。やがて丸坊主は言った。
「頭は組長の息子で、組の大切な後目です」
「組?なに組?」
「伊坂組です」
「いえ、そうじゃなくて何年何組か正確に教えて?生徒数は?」
「ちょっと待って下さい」
丸坊主は膝を落として私の両肩を掴む。
「伊坂組は学校じゃありません。反社会組織です」
「反社会?反省会?」
意味が分からなくて混乱してしまう。
「あー、つまり!」
丸坊主は大声を発した。
「極道なんですよ!ヤクザ!分かりますか?数字の893です!」
(数字の893!)その瞬間、私は理解した。なんと忠次郎は893だったのだ。
丸坊主から名刺が渡される。そこには達筆な太文字で『伊坂組』と書かれてあった。上にマークもついていて、台形の中に【極】と記されている。
怖い、正直、恐怖だ。だけど、私は忠次郎が好き。忠次郎を忘れることなんてできない!
涙が【極】に落ちる。私は丸坊主に「チュウチュウの所に連れて行って!」と懇願した。
「覚悟はあるんですね?」
立ち上がる丸坊主。
「はい!」と私は頷いた。
伊坂組は、雑居ビルの五階に組を構えていた。住居は六階と七階だそうだ。
姿を見せた私に驚く忠次郎。私は彼に言った。
「普通の幸せなんかいらない!チュウチュウと一緒にいれるならそれでいい!」
「バカな……」
私を強く抱きしめる忠次郎。
「どうなっても知りやせんよ」
「分かってる」
私は彼の背中に両手を回し、大好きな忠次郎を抱きしめる。
聞こえる喝采と拍手。組員達か?
その後、組員達、総勢九十七名は、私を【姐さん】と呼んだ。
『愛した男が、たまたま極道だっただけや!!』
極道映画のラストシーン、着物姿に拳銃を持つ極妻に私は共感の涙を流した。
忠次郎に初めて抱かれた夜、彼の背中に彫られたゾウさんの入れ墨に、私は喘いで爪をたてる。
忠次郎のテクニックと私のテクニックが絡み合うシンフォニー。
二年後、私は両親の猛反対を押し切り、伊坂忠次郎と結婚した。
組員達は、もはや家族同然、私は組員達の妻と交流を結ぶ。妻達は、皆、私に従順で『ねえさん』と呼んで慕ってくれた。
中でも特に仲良しだったのは、忠次郎の側近である丸坊主の妻、
それは私も同じ、忠次郎との子供は諦めていた。こんな修羅の世界に子供は残酷だ。忠次郎の考えも一緒だった。
『伊坂組』の立ち位置を紹介しよう。まず、本丸には『関東極栄会』という巨大組織がある。その関東極栄会には『直系』と呼ばれ、分かれた枝が三本あり、それぞれに組を構えている。
『城島組』『成瀬組』そして『伊坂組』だ。組長達は盃を交わした兄弟になる。
それぞれの組長は、極栄会の『年寄り』と呼ばれる幹部だ。現在は、二代目が最高峰に座っているが、二代目が降りると『城島組』『成瀬組』『伊坂組』いずれかの組長の内一人が三代目に君臨すると決まっている。勿論、幹部達の話し合いにより決定される。
今、伊坂組の組長は服役中、従って息子である忠次郎が組長代行を勤めていた。
そんな中、忠次郎の父親が刑務所にて他界した。忠次郎が伊坂組の組長に就任、私の立場も重くなった。
妻には妻の世界があり、極栄会二代目の妻を先頭にして『羽衣天女会』なる団体がある。会合は月に一回開かれ、それぞれの組長達の妻が出席する。総勢九十人。とても華やかに開かれる会合だ。特に二代目妻の誕生日は盛大だった。高級ホテルの広間を貸し切り立食パーティーを開く。
皆、二代目妻をヨイショする。私も負けずにヨイショした。その甲斐あって二代目妻は私のことを「くみっぴー」と呼び可愛がってくれる。それは、他組長妻達が妬む程だった。
その会合で、私は『城島組』の組長妻、
そんな穏やかな日々が暫く続いた後、騒動が起こる。二代目がクモ膜下出血により亡くなったのだ。
議題に上がるのは後目は誰だ?の一択。
二代目妻は、私の夫である忠次郎を押した。『城島組』は仕方なしの判断。しかし『成瀬組』は猛反対した。
騒動は膨れ上がり抗争になる。ウチとしては中立立場を保っている『城島組』を味方に引き入れたい。それは『成瀬組』も同じこと、組長の成瀬は城島に金銭をチラつかせ買収しようとしていた。
そこで動いたのが私だ。私は茜と仲が良い。茜を必死に説得した。茜は納得して夫である城島に『伊坂組』の側につくよう説得。見事に成功だ。城島は完全に忠次郎に傾いた。
が、ここで事件が起こる。『成瀬組』の若い衆が鉄炮玉となり城島組長を殺害したのだ。
「いやあああーっ」
通夜の席、私は発狂する茜を抱きしめた。茜は涙に濡れた瞳で叫ぶ。「成瀬の首とったるわ!!」
組長であった城島を失った組員も荒れた。日々、何度も成瀬の命を狙い鉄炮玉を送り出す。城島の組員は、暗殺に失敗すると皆、自害した。
壊れてゆく城島組。忠次郎はここで成瀬との話し合い(手打ち)を望む。これ以上の犠牲者を出したくなかったのだ。しかし、成瀬はこれを断固拒否。関東極栄会、後目抗争の嵐は収まらない。
成瀬はついに、忠次郎の命を狙うようになった。
私は忠次郎に「外出は控えて」と懇願する。しかし、城島組長の四十九日だけは出席しなければならない。
伊坂組は総動員で忠次郎の警護を固める。しかし、城島組長の焼香を済ませた直後、集団から前に進みでた若い衆の銃弾により絶命した。
通夜の夜、私は忠次郎の死に顔を見つめながら茫然とした。これは夢であって欲しい。信じたくない。そんな言葉が頭の暗闇で狂ったように踊る。
これが極道の世界。知ってはいた。理解はしていた。でも胸に飛来する喪失感が成瀬への恨みを運んできた。
(成瀬だけは許さない!)
ウチの組員達は戦争の準備をしている。皆、泣いている。発狂している者もいる。
「姐さん、準備ができました。指示を下さい」
丸坊主の日小坂が障子を開く。彼の背後では妻の玉緒が泣いていた。玉緒の腹には命が宿っている。子を作らないと選択した日小坂夫婦に、間違って子が出来てしまったのだ。しかし私は知っている。日小坂も玉緒も子供の誕生を待ち侘びていた。隠しても親しい仲の私には分かる。
今宵の戦争で、多分、日小坂は死ぬ。分かっているから玉緒は泣いているのだ。
私は玉緒まで足袋を進めると膝をついて彼女の腹に手をあてた。
「玉緒、元気な赤ちゃんを産むのよ」
「ねえさん」
泣きじゃくる玉緒。
私は日小坂に顔を向けた。
「戦争は絶対に許しません!」
明らかにうろたえる日小坂。
「何でですか?組長を殺られて黙ってろと言うんですか?そんな殺生な!耐えられません!」
私は心に鬼を宿し声を大にした。
「ならば玉緒の腹を蹴りなさい!」
「えっ?」
先に声を発したのは玉緒だ。日小坂も両目を大きく見開いている。
「さあ、どうする日小坂!自分の子を、玉緒を傷つけてまで戦争を選ぶのか?」
私の問いに日小坂は、酷く眼球を泳がせる。
「それとこれとは……」
「違うと言いたいのか?」
私は日小坂を見据えた。
「何が違う!玉緒はこれから子を産む。その子は、この戦争で父を失う。それが可哀想だから殺せと命じた。私の命令に従えぬならお前を破門する。どこへでも消え失せろ!」
玉緒の嗚咽が酷くなる。彼女は床に突っ伏して泣き崩れた。
「ねえさん、堪忍して下さい。私は夫を、この子の父親を失いたくないと思っている卑怯者です!」
「玉緒……」
私は玉緒の頭上に手のひらを乗せる。
「それでいい。それが正しいのよ」
腹に宿る命の為にも、日小坂は生きなければならない。
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