第2話
狼ハーフが亡くなってサピエンスも子孫に研究を預けて没し、数十年が経った頃。サピエンスとミアキスヒューマンは種を越えた共存関係に移行しつつあった。
サピエンス子孫の一人が少々猟奇的な実験を試みようとしていた。
発端は、「そもそもマナって何?」から始まった疑問だった。彼の相棒で子供の頃から家族同然に暮らしている狼ニアサピエンスは、大きな耳をぴこぴこ震わせて、薬草を浸した水を注いだ素焼きの壺にマナの入った水晶を保存していた手を止め、「マナはマナだ」と返してよこす。
彼らの先祖の研究は、ミアキスヒューマンの集落の生活を大きく進歩させた。特にそれまで木の洞や岩穴、よくて掘っ建て小屋が関の山だった住処は、焼き煉瓦をつかった堅牢な壁で囲い、サピエンスと同等の邑まで発展していた。灌漑設備と貯蔵庫が出来たことで雑食性の系統も食うに困ることはなくなった。寒い冬に飢え死にすることも無くなった。外敵の猿や鹿や猪が来たら炎や雷を起こして撃退すればいい。暮らしていくのになんの過不足はない。
この薬草と共に水に浸して保存する方法も初代たちが発見した。マナの入った水晶を浸していた水は傷口の洗浄に使える。サピエンスの怪我も、マナを患部に直接あてがうより格段に早くなることが分かった。こうして持ち運びが出来るようになったことで、サピエンスだけでもマナを使った外傷の治療が可能になった。
「それじゃ返事になってない」
「お前は何を知りたがっているんだ?父や叔父や祖父がまとめてくれたものではダメなのか?」
狼のいう事は尤もだが、サピエンスが知りたいのは「マナの本質」だ。マナが治療、再生に携わる力の根源は何かという事。
サピエンスが語彙の限りを尽くしてこんこんと説明し、ようやく意図を理解した相棒は、うぅん、と唸って天井を向いた。
狼は、この少々偏屈なところがあるが柔軟な発想を持つサピエンスが好きだった。今も隣村のサピエンスが持ってきてくれた質のいい水晶を見て「薬草の種類を変えたら毒抜きも出来るんじゃないか」と指摘してきた。それで、実験するところだったのだ。
「改めて確認したいんだがいいか?サピエンスはマナが見えないんだよな」
サピエンスはおお、と力強く答える。
「マナは生き物の中にもあるんじゃないかなと思うことはある」
「え?」
「先日、二人で狩りに行っただろう?」
「獲物の鹿が死ぬときに、マナに似た、白い靄が抜けていくのが見えた」
サピエンスはしばらく思案していたがふいと顔を上げていった。
「それはいつも生じるものなのか?」
「?ああ必ずだ」
「解毒の薬草を採りに行くのを替わってやる、だからお前も俺の実験に手を貸せ」
その夜。
狼ニアサピエンスは野外で水を張った盥を手に満天の星を眺めてサピエンスの帰りをまっていた。
「出来るだけ口の広い器がいい」
そう言い残してサピエンスはでかけていった。確かにマナは綺麗な光を好む。どういうわけか金色の光の明るい夜にはマナは出て来ないから、この銀砂を一面に撒いたような満天の星空はマナを集めるにはもってこいだ。早速小さなマナが水面に揺れ始めている。単純にマナを集めるだけならこのまま夜明けまで待ってこごらせるだけでいい。後は水晶に掬い取るだけだ。
なんの実験をするつもりなんだかわからないのが少々気味悪い。あんまりいい気持ちの実験じゃない気がして帰りたいのだが、仕事を手伝ってもらった恩義があるから帰るわけにもいかないし。
「待たせたな」
戻ってきたサピエンスの手の中には巣立って間もないまだ口の端の黄色い雛がいた。雲雀の幼鳥だ。寒いのか保護色の枯葉色の毛を逆立ててぶるぶる震えている。
「じゃ、始めるぞ」
いうや否や、マナの集まり始めた水の中に雛を押し込んだのだ。
「何をしてるんだ!?」悲鳴をあげた狼にサピエンスが「早く閉じ込めろよ!」と怒鳴り返す。
何の実験か嫌でも分かった。分かってしまった。
生き物が死ぬときに現れる白い靄。あれを水晶に入れろと言っているのだ。
「もし、俺の考えが正しいなら、マナというのは生き物の根源だ。俺たちだって肉を食って魚を食って肉体を成長させる。それと同じだ。怪我は命を消耗させる。だから治癒に効力を発揮する」
だから、こうして死ぬ瞬間、出てきたモノを水晶に封じ込めて、それがマナならサピエンスの仮説は立証される。
「そうかもしれない、そうかもしれないけど」
まだ幼い雛を無理やり溺れさせて縊り殺すことが?こうしてあたら命を奪う意義のある実験なのか??こんなのただの興味本位じゃないのか??
「わからんやつだな、見えない概念を理解することに意味があるんだろうが!」
そうだ、サピエンスにはマナが見えない。これは好奇心をみたすだけの悪ふざけじゃない。推測を実証させるための工程だ。
雛から零れ出た白い靄を、掬い取った。
それはマナのようでありマナとも違うような輝きだった。
通常のマナは白い。この雛から取り出したマナは微かに虹色の光輝を帯びていた。
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