ep2 思いがけない再会―Part.3
コーヒーを啜りながら、一口大に切り分けたパンケーキを蜂蜜とホイップクリームにつけて食べる。スマホ片手に時間を掛けて食べ進めたせいで、最後の方のコーヒーは生ぬるくなってしまっていた。
最近、『KanaRia』について調べたからか、スマホの通知に「『KanaRia』ナノカ、ドラマ出演決定」という簡易的な見出しのニュースが送られて来た。リスティング広告のようなことが、送られてくるニュース記事にまで反映されるとは。検索エンジン機能の向上には目を瞠るものがある。
ニュース記事によれば、『KanaRia』のメンバーであるナノカが出演するドラマの撮影が来月から始まると言う。見出しと内容が若干異なっているような気もするけど、どっちの方が多くの人に記事を読んでもらいやすいかで考えれば、正しい見出しか。
リレイの活動休止と同時に『KanaRia』のアイドルグループとしての活動も止まった。他のメンバー三人も表立った活動はせず、『KanaRia』は完全に音沙汰がなくなっていた。そんな矢先、ナノカがドラマ出演が決まったわけなので話題になった。しかし、それも二か月ほど前の話で既に知っている。ドラマの撮影が始まったことは初耳だったが、だからどうしたって言う話ではある。この記事にドラマの撮影場所が載っているわけでもない。
記事にはナノカの写真が載っていた。当然だけど、綺麗だし可愛い。足とか長すぎる。
沙歩のバイトは十九時までだったが、『いろり』の閉店時間がそもそも十九時であり、開店時間は十二時。閉店して間もなく、制服から私服に着替えた沙歩が店から出て来た。
「待った?」
「そんなに。十分くらいかな」
店から出て来た沙歩と一緒に駅の方へ向かって歩く。
「まだ実家に住んでるんだよね?」
「うん。湊は一人暮らし?」
「同じ大学の人と一緒に暮らしてる」
「シェアハウス?」
「そんな感じ」
「湊がシェアハウスって、そういうの得意じゃなさそうなのに」
「それはまぁ、得意ではないけど。母さんに騙されたんだよ。同じ大学の人が住む集合住宅って聞かされて」
「湊のお母さんらしい」と沙歩が小さく笑う。話の流れで母さんが出たので、見舞いについても触れておく。
「沙歩、最近母さんの見舞いに行ったんだよね?」
「一度も行けてなかったから。お母さん、元気そうで良かった」
「いろいろ訊かれなかった?めんどくさかったでしょ」
「そんなことないよ。湊のことばっかり話してたから。国大に入ったんだよね。凄いじゃん」
これからは母さんに話した内容は筒抜けになってしまうと思おう。いくら相手が沙歩だからって、何でもかんでも教えるのはやめて欲しい。一体どんなことを話していたか、沙歩に訊きたい気持ちもあるが、それもそれで恥ずかしいのでやめておく。
「浪人のことは?」
「知ってる。でも、一年の浪人で国大に入るのも難しいよ。それに国大の商学部って難関で有名だし」
そう言われるのはもう何度目ともなるが、沙歩に言われると普通に嬉しい。そんな嬉しさを誤魔化すように、こっちも母さんから聞かされたことを口にする。
「沙歩も、洋服の専門学校に通ってるんでしょ?」
「うん………」
「学校で服とか作ったりしてるの?」
「うん……まぁね……」
「そ、そう……」
思っていたような返答はなく、どこか遠くを見つめ始める沙歩からは触れて欲しくないような雰囲気が漂う。この話題には急ブレーキを掛け、違う話題へ転換しようと思うものの、そう簡単にはいかない。
「なんか、ごめん……」
いやに雰囲気を悪くしてしまった自覚からか、沙歩が謝ってくる。「いいよ、別に」と即答するも、悪くなった雰囲気を良くするのは難しい。
続く沈黙は気まずい反面、話題を模索する必要がないという気楽さがあった。
話ながら歩いていた時間より、沈黙の中を歩く時間の方が長かった。駅まであともう少しの距離になり、最後まで沈黙なのはどうかと思って口を開いた。
「明日、十六時からバイトに行くんだけど、沙歩は?」
「いるよ。十五時から十九時で入ってる」
それでも、会話を続けるには至らなかった。何か共通する話題とかあればいいんだけど、ファッションに興味があることくらいしか沙歩の好きなものを知らない。さっきのこともあるので、それに触れて話すのは気が引ける。
そんなことを一人で考えている内に駅に着いてしまい、沙歩とは別れることになった。お互いに家までは別路線の電車を利用する。
改札を抜け、ホームで電車を待つ。
沙歩とバイトが被ったのは、ほぼ百パーセント母さんの仕業だ。担当の看護師の娘さんが『いろり』で働いているというのは嘘で、実際には沙歩が働いていた。沙歩が見舞いに来た時に母さんは知ったのだろう。
昔みたいに仲良くさせようと図ったのなら、いい迷惑だ。このことを沙歩に伝える気はないけど、薄々感づいていそうだ。
明日の十六時か……いつまでとか聞いてないが、時間的に閉店までの十九時までだろう。そうなると明日もまた、沙歩とは駅まで一緒に帰ることになる。
一緒に帰ろうと誘わなくても、終わる時間が一緒だ。同じ駅へ向かうのにわざわざ時間をずらすのもおかしな話だ。
おかしいと思って気付く。
脳を直接殴られたような衝撃が走って、よろめきそうになった。冷や汗が止まらないのは、ダブルブッキングの相手が澪那さんだからだ。
「忘れてた………」
こめかみに指を当てる。気付いた瞬間に頭痛がし始めた。今からでも明日のバイトは行けないと店長に伝えるべきか。しかし、店長の連絡先は持っていないので、店の電話番号を調べて直接連絡するか、沙歩を通じて伝えてもらうか。
迷った挙げ句、アルバイトを選んだ。
大学は十二時過ぎに終わるが、アルバイトは十六時から。バイト先へ向かう時間を加味して、空き時間は二時間になる。その間に澪那さんとどこかへ食べに行く。
無理ではないが、不安は拭えない。
澪那さんは基本的に暇をしている人なので、明日の予定を明後日にずらすことは容易だろう。しかし、澪那さんの性格がそれを許すかどうか。
明日食べに行こうと誘っておいて、それを誘った日に明後日に変えて欲しいと言わなければならない。澪那さんなので「嫌だ」と言われる可能性は高いし、機嫌を悪くしてしまう可能性もある。そしたらまた、何かしてくれたら許す的なことを言い出すかもしれない。
澪那さんを上手く言い包められるような言葉を考えながら帰路につくが、思い付くわけもなく。二十時になって到着した。
まず大前提として、こんな時間に家を訪ねて澪那さんは出てくれるのか。そんな疑問ばかりを考えてしまう。ただ、出てくれなくても扉越しで話せればいい。深いことは考えずにインターホンを押した。
ジィージィーと変わらない電子音を上げるインターホンに付くカメラから、こっちの姿は確認出来るはずだ。僕だということに気付けば、無視はされされないと思いたい。
十秒経って、もう一度インターホンを押す。家の中からは足音もしなければ、誰かがいるような気配もしない。寝ているのかもしれないと思い至も、澪那さんは昼寝をしていた。
それで二十時に寝るか?
澪那さんの生活習慣なんて知らないけど、寝るにしたって早すぎるような時間だ。
諦めて帰ってしまうのは簡単だが、前日に予定をずらして欲しいと言うのと当日になって言うのとでは受ける印象は変わる。相手が澪那さんであるなら、絶対に前者の方がいい。
スマホを取り出して電話を掛ける。
店では、ワンコールで着信拒否されてしまったが、今回はワンコール目で出てくれた。耳元に当てたスマホから聞こえた声は男のものだった。
「どこほっつき歩いてんだっ湊ぉ!」
酔っ払いの声は、リビングで何度も聞いたことがあるものだった。
「守屋先輩っ!?どうして、電話に………」
「おれたちに黙ってるなんて酷いじゃないかぁぁっ!!」
突然、守屋先輩が声を張り上げたので、耳元からスマホを遠ざける。これまでにないくらいの酔っ払い様を見せる守屋先輩と真面な会話をするのは絶対に不可能だ。どこにいるのかだけでも聞き出そうとして、「あぁっ取るんじゃぁっ」という守屋先輩の声とともに誰かが転んだような鈍い音が響く。
「足元が覚束なくなるまで飲むなよな、ったく」
「響輝か?今どこに?」
「そっちこそ、今どこにいる。早く帰って来てくれ。話はそれからだ」
そう言って響輝は電話を切った。
早く帰って来いと言うので家にいるのだろう。なぜ、まだ澪那さんが自分たちの家にいるのか、どうして電話に酔っぱらった守屋先輩が出るのか。いろいろと意味が分からない状況に困惑しつつも、家までの僅かな距離を走った。
破る勢いで扉を開け、守屋先輩の騒がしい声が聞こえるリビングへ向かう。電話した時からだったが、澪那さんの声を聞いていない。リビングへ足を踏み入れた途端、目に入ったのは響輝に関節を決められる守屋先輩とそれを見て笑うソファの上で横になった澪那さんだ。
ひとまず、澪那さんに何かあったわけじゃなかった。
見渡すリビングは引っ越し初日の朝に見た光景と同じような様相を呈していた。足元に転がる酒瓶の数々を避け、リビングに充満する酒臭さに顔をしかめながら、アイドルとは思えない澪那さんの下へ。
「おっそいよ~!もうお酒ないよぉ」
「そいつを家から追い出してくれ。もう一時間以上この調子だ」
上体を起こし、こっちへ腕を伸ばしてくる澪那さんは守屋先輩に負けず劣らず酒臭い。一歩距離を取ってしまい、彼女の腕が空を切る。そのままつんのめるような形でテーブルに突っ込みかける。とっさに抱き留めたのでテーブルにぶつかるようなことはなかった。
「吐きそう……」
抱き留めたことで密着する澪那さんに緊張してしまう気持ちは、その一言で冷めた。肩を掴んで引き離す。
響輝の方を見ると椅子に座っていた。関節を決められていた守屋先輩は酒瓶を手にしたまま、床に転がっている。出た腹が上下し、寝息も聴こえる。
「その女と知り合いだったのか、湊」
「最近、ね………何があったのか聞いてもいい?」
「その女を家に帰してからにしろ」
それもそうか。
澪那さんの両肩を掴んだまま正面に座らせる。意識はあるのだろうか。頭をふらふらさせ、瞼を開けたり閉じたりを繰り返す。
「もう帰りますよ」
「んんぅ………」
身体に力の入っていない澪那さんを背中に抱えて立ち上がる。大人の女性をおんぶするのは初めてで、外見はすらっとしていても重たいものは重たい。思うだけで口にはせず、響輝へ目を向ける。
「何かごめん」
「どういう関係なのか教えろよ」
もしかして、響輝も守屋先輩も勘違いしていないか。僕と澪那さんの関係は男女のものではない。「おれたちに黙ってるなんて~」とか守屋先輩が言ってたし、彼女が意図的に友達だと言うことを隠せば、そういう風に思われてもおかしくない。そして、この人はそういうことをする人だ。
「友達だよ」
一応、軽く関係を明かしてからリビングを出た。澪那さんを背負ったまま、弁明を続けるには自分の筋力が心許ない。今でも十分重たくてきつく、家を出たところで背負う澪那さんが少しづつ落ちて来る。
「ちょっとは掴んでくださいよ」
「外は寒いよぉ………」
ダメだ。聞いちゃいない。
一度止まって、落ち始めてる澪那さんを背負い直す。その作業だけで、背負って運ぶ以上の体力が奪われる。一息吐いてから歩みを再開させ、彼女の家の扉前で再度止まる。
右手で扉のノブを回すと開いてくれた。鍵が掛かっていなくて安心する。許可を取れる状況じゃないので家には勝手に上がらせてもらい、二階の寝室へ行こうとして階段を上がるのは危ないか、と思い留まった。リビングのソファに変更し、酔った澪那さんを横にならせた。
近年稀に見るくらいのため息を吐いてから、おんぶで曲げていた身体を伸ばす。
「何をしてるんですか、ほんとに……」
「気持ち悪い……」
「ちょっと待っててください」
澪那さんをソファに残し、キッチンへ向かう。コップを探すが見当らない。冷蔵庫を開けると開封済みの天然水のボトルが入っていた。それを持ってソファへ戻る。
「少しでもいいから飲んでください」
返事はなく、ソファで横になった状態のまま口を小さく開けた。飲ませろと言うことか。横になった状態で水か飲めるわけないので、上体を起こしてから水を飲ませる。
少しは楽になっただろうか。
再度横になった澪那さんは動かなくなる。顔を覗けば、瞼を閉じて眠ったようだった。
それを確認して、どっと全身から力が抜ける。何があったのかは気になるけど響輝から聞けばいい。明日のことについては話せなかった。しかし、こんな状態では伝えようがないし、明日の澪那さんは二日酔いに苦しみそうだ。
椅子の背もたれに掛けてあった毛布を取り、澪那さんにかける。ここに長居する理由は目の前で横になる彼女が寝息を立て始めたことで無くなった。
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