ep2 思いがけない再会―Part.2

 小さな寝息を立てて眠る澪那さんは本当に無防備で、少しくらいなら触れても気付かないんじゃないか。だからって何かするわけじゃないけど、起こすことは出来なかった。


 家の鍵とメモ書きを残して部屋を出た。


 響輝と守屋先輩が帰って来る前に澪那さんが起きてくれるかどうかという問題が頭を過ったが、シェアハウスである以上、澪那さんも同居人で、家の中にいても警察沙汰になるわけじゃない。


 あまり深くは考えず、大学へ向かった。


 講義は長く、時には退屈に感じることもある。出席点のあるなしに関わらず、定期試験のことを考えれば出ないという選択肢はない。留年し続けた守屋先輩は、きっと出席すらしていなかったのだろう。


 慣れた足取りで大学内を歩き、講義の行われる教室へ。広大な敷地面積を有する大学では、どこに何があるのかを完璧に覚えるのは難しい。ただ、自分の取った講義が行われる教室や建物がどこにあるのかくらいはある程度覚えた。


 学内マップを表示させたスマホを片手に歩き回る必要はなくなった。


 今日の講義は和哉と被っていない。残念なことに、大学で和哉以外の友達は作れていない。小中高と違って、大学での友達作りは簡単じゃない。少人数クラスでの講義もあるが週に二回で、その他の講義になれば受ける人数も顔ぶれも違ってくる。


 大学では自然と友達が出来るなんてことはない。ただ完全に友達がいないと言うわけでもない。知り合い程度の人は何人かいる。


 しかし、今日はその知り合いすらいない講義だった。講義時間は百分と高校と比べて二倍の長さになっているが、浪人時代の勉強時間には到底及ばない。加えて、十八時からのバイト面接への緊張からか、いつもより講義の時間が短く感じた。


 大学が終わり、バスと電車を使って『いろり』へ向かった。やはり一時間くらいは掛かってしまう。行きと帰りを合わせれば、それだけで二時間になる。


 到着した『いろり』の外観は大きい。マンションの一階部分にカフェが併設されているため、一つの建物で見れば大きいのだ。マンションのオーナーがカフェのオーナーもしているらしい。


 立ち止まって辺りを見回す。窓から覗く店内にはお客の姿もある。今まで受けて来たアルバイトの面接は、従業員専用入口的なところから事務所へ通されていた。裏口から来るようにという指定もされていたので迷いはしなかったが、今回は何もない。だから、普通に店の入り口から入ってしまっていいものなのかどうか。


 十八時まで、まだ十五分は残っている。迷う時間があるので余計、考え込んでしまった。しばらく店の前に佇んでいると中からお客が出て来た。夫婦らしき男女と一緒に「ありがとうございました」と笑顔でお見送りをする女の子。抹茶色のエプロンを身に付けているので店の人だろう。


 そして、その女の子の顔を見て、目が離せなくなった。それは向こうも同じだったようで、お互いにお互いを見つめ続ける。


「沙歩?」

「湊?」


 名前を呼び合ったことで確信する。

 変わってないと言えば嘘になる。同じ高校に通っていたから、三年生までの沙歩は知っている。でもそれ以降、沙歩とは会っていなかった。一年間の浪人時代の中、沙歩は洋服の専門学校へ通っていたわけで、見た目だって変わる。


「髪、伸ばしたんだ」

「えっあ、うん。湊は変わってない」


 母さんは勘違いしてるけど、僕と沙歩の仲が良かったのは昔の話だ。もう一年以上会っていなかった沙歩と何を話せばいいのか分からない。と言うか仕事中だし、話を広げるべきじゃないか。


「アルバイト?」

「うん。ここでね」

「へぇ………」


 それは沙歩だって、アルバイトをしていてもおかしくない。僕もこれからアルバイトの面接があるし。そこまで思ってやっと気づく。


 またやられた。

 また母さんに仕組まれた。


「湊はどうしたの?店、入る?」

「あぁうん、入るんだけど……今日はバイトの面接で来たんだよね……」

「ほんとに?」

「ほんとだよ」


 何とも言えない表情をする沙歩だが、きっとそれに負けないくらい僕も同じような表情を浮かべてしまっているだろう。どう入るかという問題は沙歩に連れられて入ることで解決した。


 店内は狭くはないが、広くもない。木目調の床と無地で藍色の壁には落ち着い雰囲気を感じられる。匂うコーヒの香りも落ち着いた雰囲気感じさせるのに一役買っている。


「湊、あの人が店長」

「ありがと」


 言葉を聞いた沙歩はカウンターの方へと回って行った。店長と教えてくれた男性はレジに立ち、お客の会計を済ましている。会計が終わるまで、邪魔にならないところで待つ。


 白髪に混じる少しの黒髪、レシートを渡すと同時に人の良さそうな笑みを浮かべる店長の男性は、父さんよりも少し歳上に見える。会計が終わると、さっきの沙歩と同じようにレジの後ろから出てきた店長が、お客を出口まで見送る。


「すみません、十八時からの面接で来た者なんですけど……」


 お客を見送った店長が店の扉を閉めたのを見計らい、声を掛けた。


「あぁやっぱり、君だったんだね。中から見えてたよ」

「どこから入るべきか迷ってたもので」

「さほちゃんとは知り合いなのかい?」


 突然、沙歩の名を出され、言葉を詰まらせる。カウンターへ連れられ、一呼吸つく間が出来た。


「知り合いです。幼馴染み、みたいな感じです。最近は余り関わりはなかったですけど」

「そうかい。それならお互いに働きやすい」


 こんなところで面接をするのかと思えば、店長はコーヒーを淹れ始める。


「いつから入れる?」

「えっ、いつから……?」

「明日の午後は空いてそうかな?」

「あっはい。あ、あの面接とかは……?」

「うちは自営業だからね。面接とかはいいかな。さほちゃんともう一人アルバイトの子を雇うだけのつもりだったから、さほちゃんの幼馴染みなら歓迎だよ」

「あ、ありがとうございます」

「こちらこそ」


 コンビニやファミレスのような会社の運営する店ではこうはいかない。ラフなところは自営業の特権なのだろう。


「それじゃあ明日の午後、十六時くらいからでも大丈夫そう?」

「はい、大丈夫です」

「そこから裏に行けるから。二階に上がったところにある机に制服が置いてあるから持って帰っちゃって。書類とかも机に置いておいて大丈夫」

「分かりました」


 言われるがまま、カウンターの裏へ移動すると横長のキッチンが現れる。沙歩の姿もあり、パンケーキの盛り付けをしていた。


 仕事中なので声を掛けるのは邪魔になると思い、入ってすぐ横にある階段へ足を乗せた途端、沙歩の方から声が飛んできた。


「よろしくね……湊」

「うん。よろしく」


 カウンターの裏なので、店長との会話は沙歩にも聞こえていたのだろう。そう思うと幼馴染みなんて言ったことに恥ずかしさを感じてしまう。別に幼馴染みという単語は間違いではない。幼稚園の時から面識があり、親同士の関わりもあった。


 階段を少し上って、思い出したかのように下りる。


「バイトは何時まで?」

「えっ……19時までだけど」

「待ってるからさ、一緒に帰らない?」

「……うん、いいよ」


 今と昔ではやっぱり違う。

 一緒に帰ろうと誘うだけで、こうも緊張してしまう。断られたらどうしようとか、昔の自分は考えもしなかったはずだ。


 自然な感じを残しつつ、階段を駆け上がる。


 事務所のような部屋にはロッカーと机にパソコン。店長の言っていた通り、机の上には制服が綺麗に畳まれた状態で置いてあった。バッグから振込先などの入った封筒を取り出し、制服と交換する。


 沙歩と幼馴染みというだけで採用されてしまったのだから、アルバイトの面接に今まで落ち続けてきたのが馬鹿みたいだ。最初から母さんの言う通りにしていれば、無駄な時間を使うことはなかったのだろうか。


 沙歩ともう一人雇うだけと言ってもいたが、ここに置かれるロッカーも二つしかない。一つは沙歩の名札が貼られ、もう一つには何も貼られていない。客数も多くないように見えたし、店内の広さ的にもアルバイトを雇うなら二人で十分なのかもしれない。


 階段を下りて店に戻るとカウンターにいる店長が手招きしてきた。何事かと思えば、店長がメニュー表を渡してくる。


「待つなら、ここで待つといい。好きなもの頼みなさい。お店のおごりだ」

「いやっ悪いですよ」

「大丈夫だから、遠慮しないで」


 押されるがままメニュー表を受け取ってしまう。店長の善意を頑なに断り続けるのも悪い気がする。受け取ったメニュー表に目を落とす。カフェなだけあって、コーヒーやドリンクの種類は豊富だ。「好きなものを頼んでいい」と言われたが、頼み過ぎるのは良くないし、逆にドリンクだけというのも遠慮し過ぎているだろうか。


 澪那さんにも言われたけど、こんなことをいちいち考えてしまう自分は真面目なのかもしれない。待たせるわけにもいかないので、コーヒーとパンケーキを頼むことにした。


 テーブル席に着いたタイミングで、狙ったかのようにスマホへ電話が掛かってきた。今時、電話を掛けてくる人は少ない。急な用がある時以外はラインでメッセージを送ればいい。


 ポケットから取り出したスマホには『澪那さん』と表示されていた。


 連絡先を交換してから未だにメッセージのやり取りもなかったと言うのに、澪那さんの方から電話を掛けてくるとは思わなかった。指でスワイプしかけて止める。店を出てから、澪那さんの電話に出る。


『湊?』

「どうしました?」

『帰って来ちゃったんだけど』

「はい?どういうことです?」

『だから、大家とタンクトップが帰って来たの』

「えっまだ僕の部屋にいるんですか」

『あんたの部屋にある漫画読んでたの。ていうか、起こしてって言ったでしょ』

「僕のせいにするつもりです?」

『じゃあ誰のせいなのよ』

「こんな時間まで人の漫画を勝手に読んでた澪那さんです」

『もういい。普通に出て行くから』


 そう言い残し、一方的に電話を切られた。電話を掛け直してみるも、ワンコールで着信拒否された。


 普通に出て行くと言ったが、それ以外の出方は僕も思い付かない。ベランダから飛び降りるにしたって無理がある。響輝と守屋先輩がリビングにいるなら、誰にもバレずに家を出ることは可能だろう。澪那さんだと堂々と出て行ってしまいそうで怖いけど、電話に出てくれない以上、僕に出来ることはない。


 スマホをポケットにしまって店の中へ戻る。


 そしてまた、席に着いたタイミングを狙ったかのように店長がコーヒーを持って来た。でも、この場合は電話で席を外していたので、僕が席に着いたタイミングで店長は持って来てくれたのだろう。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 店長は人の良さそうな笑みを浮かべ、言葉を返すとカウンターへ踵を返した。


 白い丸皿に白い持ち手付きカップがテーブルの上に置かれる。カップに注がれたコーヒーの色は黒寄りの茶色。立ち昇る湯気からは苦味と酸味が香る。ブラックで飲めるほど、コーヒーを飲み慣れているわけではないため、ミルクと砂糖を入れる。マドラーを使って混ぜてから一口飲む。


 不味いとまでは言わないけど、やはり毎日飲みたいと思えるほど好きではないみたいだ。たまに飲むくらいがちょうどいい。


 カウンターの裏からパンケーキの乗った皿を持って沙歩が姿を現した。店内には一人客と二人客の二組しかおらず、二組ともテーブルの上にコーヒーやトーストといった品が届いている。


 案の定、沙歩はこちらへ近づいて来る。


「おまたせ」

「そんなに待ってないよ」

「でも、まだあと四十分は待たせる」

「あぁ、バイトが終わるまでってことね」


 離れて行く沙歩からパンケーキへと目を移す。


 厚めのパンケーキが二枚ずらされて重なり、蜂蜜がかけられ、ホイップクリームも乗っかっている。苦味の広がる口内に蜂蜜とホイップの甘みがよく合いそうだ。四十分と待ち時間も長いので、なるべくゆっくり食べ進めることにした。

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