ep2 思いがけない再会―Part.1

 面接はいくら練習したところで慣れてしまえるようなものじゃない。大学へ入るためにした面接と比べれば、アルバイトの面接なんてたかが知れている。実際、質問される内容も答えに臆するようなものではなかった。


 しかし、こうも落とされ続けると自信は無くなるものだ。


「そんな顔するなよ。バイトなんて世の中には腐るほどあるんだぞ」

「守屋先輩はどうなんです」

「落とされたことがあるかって?」


 腕を組み始める守屋先輩に頷いて答える。


「このおれがバイトに落ちるなんてあり得ない。おれが恋に落ちるくらいあり得ない。おれは相手を落とす方だからな」

「先輩の周りにはブス専の女しかいなんだよ。全く見る目がない」

「そんなにモテるの?」


 響輝に向けて問うと自信満々に胸を突き出した守屋先輩が割って入る。


「付き合った女性の数で言えば二十はいってるな」

「でも、全部一か月も持ってないだろ。今の彼女とも別れたんじゃなかったか?」

「それが……お互いのためだったからな」


 悔し涙を流すような大仰な仕草をする守屋先輩に響輝は呆れたような目を向ける。別れた彼女というのは、引っ越し初日に見た、リビングのソファで寝ていた女性のことだろう。


「それで湊、バイトはどうするんだ?」

「母さんに教えてもらったところに行ってみるつもり」

「行くあては決めてあるのか」

「でも、少し遠いんだよね」

「しないよりはマシだ」

「そうだよね。家賃が払えなくなる」


 母さんから教えてもらったバイト先は『いろり』というカフェだ。病院から帰る道中で程度調べた。仕事内容は普通の接客業で、時給は悪くない。ただ、ここからバイト先までの距離に問題がある。落とされ続けたバイト先は、全て家から徒歩圏内だったり、バス一本で行けるような場所にある。理想はそれくらいの距離にある方がいい。


 ただ、このまま選り好みしていたら、いつまで経ってもお金を稼ぐことが出来ない。昔からそうだが、母さんの勧めるものは結果的に良い方面へ向かう。知らずにシェアハウスに引っ越してしまったことも、響輝や守屋先輩と結果的に仲良く住めている。


 それに『KanaRia』のリレイと出会うきっかけにもなった。それが良いことなのかどうかは、ちょっとまだ分からないけど。


 今日も、ベランダでタバコを吸う澪那さんを見に行った守屋先輩だったが、やはり朝食を食べ終えるのは一番だった。またタバコを吸う姿を見られるようになって、守屋先輩は喜んでいた。きっとと言うか絶対に澪那さんは気付いているだろう。守屋先輩は完璧に隠れていると言っているが。


 部屋に戻って、スマホで『いろり』のバイト募集を調べる。まだ募集しているみたいで良かった。手順通りにサイトへ情報を記入していくと、面接日を選ぶ欄が表示された。店が提示する面接を受けられる時間帯の中には、今日の十八時の欄もあった。


 早くに面接を受けられるなら、その方がいい。それに午後からの講義を終えて、そのままバイト先に行くことも出来る。応募完了のメールが届いたのを確認してから、ラインを開いた。


 あの夜、澪那さんと友達になった僕は連絡先も交換した。開けた窓から見える三角屋根の家に目を向け、再度スマホに目を落とす。交換したはいいけど、未だに連絡は取り合っていない。大学の講義が本格的に始まり、バイト探しも並行して行っていたため、割かし忙しかった。


 澪那さんとは友達になったものの、偶然会った時に言葉を交わす程度でしかない。


 ライン上でもいいから、何かした方がいいんじゃないかと思うくらいには友達らしいことをしていない。眺めた窓の外に門へ向かって歩く響輝と守屋先輩を見つける。午後からの講義が多い僕と比べ、響輝と守屋先輩の講義は午前からの方が多い。だから、いつも二人を見送る形になる。


 講義まではまだ時間がある。

 机の横に設置される本棚から、資格試験の参考書を取り出して勉強でも始める。こういうのは早い内から少しずつやっていくのが、自分のためになる。ひとまず問題を解くのではなく、参考書を読み込むところから始めている。


 浪人時代もそうだったが、勉強していると時間の流れを早く感じる。それくらい集中出来ているのだろう。参考書を読み進めて行くこと数十分。家に誰かが帰って来た。壁に掛けられた時計を見れば、ちょうど二限目の講義が始まる時間だ。何か忘れ物でもしたのだろうか。連絡してくれれば持っていくのもやぶさかではなかったのに。


 部屋を出て、階段を下りる。


「響輝?守屋先輩?忘れものでも?」


 一階は異様なほど静かだった。リビングに直行するも、誰の姿も見られない。家の扉が開く音は確かに聴こえた。ついでに扉の閉まる音も。一階にある響輝の部屋、洗面所にバスルーム、トイレと見て回るが誰もいない。


 ここまで探して誰も見つからないとなれば、流石に聞き間違いだと考えるしかない。一階に下りて来た次いでに、冷蔵庫からお茶を取り出してコップに注ぐ。部屋に戻り、勉強しながら飲むつもりだ。コップを持って部屋へ戻る。


 半開きになった部屋の扉を足で押し開ける。


「わっ!」

「っあぁっっ!?」


 部屋に入った瞬間、真横から驚かされ、持っていたコップから盛大にお茶がこぼれる。コップに入ったお茶の七割近くをこぼし、おまけにそのほとんどを自分の上半身で受けてしまった。


 そんな僕を見て、大笑いするへそ出しのカットソーにショートパンツ姿の澪那さん。このコップに残ったお茶をかけてしまおうか。そんな考えが頭の片隅で芽生えるも、やる勇気なんてない。


「……澪那さんだったんですか。入って来たのは」

「正解。あんた全然気づかないから、もう笑っちゃいそうになった」

「全然笑えませんけど」

「わたしは驚かしただけ。こぼしたのはあんた」

「澪那さんが驚かさなければ、こんなことになってません」

「いいじゃん。会いたかったんだから」


 危うく持っていたコップを落としそうになった。

 床に広がるお茶を避けるように移動して、澪那さんは僕のベッドへダイブした。


 会いたかったって、この人は。わざとなのか、意図してなのか。勘違いが生まれるような言動を平気な顔でしといて、本人は何とも思ってないのだから質が悪い。


「着替えて来ます。何も触らないでくださいよ」

「はいはい」


 ベッドで横になる澪那さんは早く着替えてこいとばかりに手を振って返す。誰のせいでこんなことになったのか、ちゃんと理解しているのだろうか。洋服だけ取って部屋を出る。一階の洗面所で着替えてから、雑巾を持って部屋に戻る。


 横になった状態は変わらないものの、さっきまで読んでいた参考書が澪那さんの手にあった。


「もう資格の勉強?あんたってホント真面目」


 開いた参考書に目を通して、内容が理解出来なかったようで苦い顔を浮かべる。


「それで何か用ですか?」


 床に広がったお茶を雑巾で拭きとりながら、澪那さんがここへ来た理由について問う。


「湊に会いに来ただけ。このあと暇?何か食べに行く?」

「大学があります」

「じゃあ終わってからは?」

「バイトの面接です」

「あっそ。ならいいよ」

「あの、別に嫌なわけじゃないですよ。でも物事には優先順位があって」

「あんたにとって、友達と遊ぶ順位は低いってことね」


 人の枕に頭を預け、横向きで見上げてくる澪那さんは冷めた目で僕を見る。そんな澪那さんが視界に映って、一度手元の雑巾にため息をこぼしてから立ち上がる。


「明日はどうです。午後は空いてます」


 澪那さんからの返答はない。


「明日、何か食べに行きませんか?」

「いいよ。わたしは友達と遊ぶのに優先順位なんて気にしないから」


 嫌味ったらしく言う澪那さんだが、ここで変に言葉を返せば、また彼女の機嫌を損ねてしまう。澪那さんの気分屋で自分勝手なところは今に始まったことじゃない。


 洗面所まで戻り、お茶を吸った雑巾を綺麗に流す。キッチンでコップにお茶を入れ直してから部屋へ。一応、警戒して部屋へ入ったが、澪那さんはベッドの上でスマホを弄っていた。


 こぼしたくないのでお茶の入ったコップをすぐ机に置いて、澪那さんがベッドに放った参考書を手に取る。


「わたしがいるのに勉強する気?」

「澪那さんだってスマホ弄ってるじゃないですか」


 ベッドにスマホが落ちる。

 目を向ければ、話を待つように耳を傾ける姿勢でベッドに横たわる澪那さんが映る。手に取った参考書の表紙を指先で何度か軽く叩き、机の上に置いてから僕は椅子に座った。


 毛布で口元まで覆った澪那さんは瞳に面白そうな色を宿している。


「お話したいんですか?」

「ええ。お話したい」

「何を話します?」

「定番なのは恋バナとかじゃない?」

「修学旅行ですか……」

「わたしは色んな人から『好きだって』言われたことある」

「アイドルだったんですから当然ですね」

「あんたは?」

「本当にするんです?」

「するよ、する。わたしは話したんだから、次は湊」

「………何回か。全部断りましたけど」

「どうせ『勉強が~』とか理由にして断ったんでしょ」


 澪那さんは人の痛いところを躊躇なく突いてくる。自分でも誠実じゃなかったとは思うけど、高校二年や三年の時から受験勉強に力を入れ始めた。邪魔と言いたくはないけど、そういうのは勉強に支障きたす。


「勉強を理由に断っておいて、浪人してるのはウケるけどね。誠実じゃないからバチが当たったんじゃない?」

「そうかもですね」

「怒った?」

「そう思うんでしたら、やめたらどうです?」

「じゃあやめとく。今彼女いる?」

「いませんよ」

「好きな人は?」

「いません」

「わたしのこと好きにならないでよ?」

「なると思います?」


 そんなに僕が面白いのか。

 口元まで覆っていた毛布を上げ、澪那さんは顔まで覆った。くすくすと笑い声が聞こえてくる。時計を見て、講義が始まるまで二時間くらいあった。三十分あれば大学には着くので一時間前に準備を始めるとしても、まだ後一時間は澪那さんの相手をしなくてはならない。


「もう行くの?」


 毛布から顔を出した澪那さんが言う。

 時計を見ているところを見られたようだ。


「時間を確認しただけです」

「そう。じゃあ行く時になったら起こして。少し寝るから」

「えっ、ここで寝るつもりですか……?」

「ダメなの?」

「不用心ですよ」

「もしかして、寝てるわたしを襲うつもり?」


 ニヤニヤする澪那さんだが、事実服装はラフだ。へそ出しファッションなんて逆に危うい気もする。でもまぁ、この部屋にもこの家にも、男は僕しかいない。


「静かに寝ててくださいね。僕は勉強するので」

「それ、わたしのセリフ」


 背を向けて横向きになる澪那さんは僕の枕をちゃんと使っている。別にそれくらいで好きになるわけないけど、今日の夜、寝る時に意識してしまいそうだ。僕も背を向け、机に向き合った。

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