ep1 出会いは時に突然で―Part.10

 早く帰るつもりが遅くなってしまった。

 お互いに昼からの講義で昼食を取っていなかった。十六時を過ぎた時間に和哉とファミレスに寄って、軽くご飯を食べた。よって家に帰ったのは十九時を過ぎてしまっていた。


 早く帰るつもりではあったけど、遅い時間の方が響輝や守屋先輩に見つかりづらい。だが、また夕飯をいらないと伝えるのは何だか悪い気もしたけど、響輝からは「そうか」と「問題は起こすな」の二言が返ってくるだけだった。


 照明灯の設置される感覚が長いせいで、日の落ちた坂道は真っ暗だ。今は幸い、月明かりが雲で隠れていないから視界は確保されている。坂下を覗けば、住宅街からこぼれる無数の明かりを目にすることが出来る。


 そんな明かりの少ない場所だったから、桜の木が見えた時、同時に視界に入った点のように小さなオレンジ色の光を見逃さずに済んだ。


 あれはタバコについた火だ。

 気付いてすぐに腰を落としたため、向こうからも見える位置にいたけど気付かれなかった。


 中腰のまま坂を上るのは少しきつい。それでも、リレイは僕に気付いたら部屋に戻ってしまう。話し掛けても無視されて終わるだけかもしれないけど、それはそれでやってみないと分からない。


 中腰のまま門の前まで辿り着いて、一息つく。途中から中腰のままだとリレイを確認できなくなったが、まだベランダでタバコを吸ってるとするなら、ここで門を開ければ確実に気付かれる。


 門を開け、一歩踏み出す。

 二本の足が敷地内に入ってから、二階のベランダへ顔を向ける。そこにリレイの姿はちゃんとあった。タバコを吸いながら、スマホを弄っている。


 すぐに声を掛けようとしていたのに、いざリレイを前にすると口が開かない。数秒見つめ合って、リレイがここまで聞こえるくらいのため息を吐いた。そしてタバコの火を消し始める。


「ちょっと待って!」


 このままだと部屋に戻ってしまうと思い、呼び止めた。無視されても何らおかしくなかったが、リレイは背を向けたまま部屋には入ろうとしない。


 だから、直接伝えた。

 勘違いしようのないくらい文字通りの意味で。


「リレイさんと仲直りしたい」


 無視されなかっただけで十分で、この先に続く言葉を考えていたわけじゃない。ここで無理に言葉を並べるのではなく、リレイからの反応を待った方がいいのだろうか。それとも、ここで謝ってしまった方がいいのか。


 そんな一方的な駆け引きはリレイからの反応がないことで後者に傾いた。


「あの時はっ………」


 リレイの反応を窺ったせいで変に間が空いてしまった。言葉を発したと同時に彼女は部屋に戻ってしまった。ベランダの閉まる音がやけに大きく聴こえた。


 思わず額に手を当ててしまう。

 失敗したとは思わない。仲直りしたいと、こっちから伝えられた。後はリレイがどう思うか。部屋に入ってしまった辺り、彼女は同じ気持ちではないのだろうが。


 いつまでも門の前に立ち尽くしているわけにもいかない。リレイがもうどうでもいいと思っているのなら、これ以上僕から関わろうとするのはやめよう。響輝も守屋先輩も自分達からは関わらないと言っていた。


 こんなことになるなら初めから、そうするべきだった。


 三角屋根の家を通り過ぎ、守屋先輩の陽気な声が玄関前まで聞こえてくる。声からして酔ってるのだろう。酔っ払いの相手ほど面倒なものはないし、守屋先輩の酔いが醒めるまで、夜道を散歩でもしていようか。


 しかし、そんな気力はないので思うだけに留まった。酔っ払いの相手を覚悟し、扉に手を伸ばした瞬間、どこからか扉の開く音が耳に届いた。目の前に伸びる自分の手は扉の取っ手を掴むだけだ。見て分かるように、僕はまだ扉を開けていない。


 振り返るとリレイが開いた扉の隙間から顔を覗かせていた。凝視するような何とも言えない表情で見つめてくる彼女は、僕が振り返ると顔を引っ込めた。扉は閉まるものの鍵を締めたような音はしなかった。


 扉の取っ手を離し、拳を作って三回叩く。心を落ち着けようと思って取っ手を軽く叩いたのだが、中から「誰か来たぞ?」と守屋先輩の声が聞こえた。思った以上に響くらしい。駆け足でリレイの家へ向かって、扉に手を掛ける。いつ守屋先輩が出てきてもおかしくないので躊躇いはしたものの一瞬だった。


 扉を開けると玄関の前にリレイが立っていた。何も言わずにこっちを凝視してくるので入りづらい。しかし、ちょうどそのタイミングでシェアハウスの扉が開いた。身を隠すように玄関へ身体を滑り込ませ、扉を閉める。


「誰もいないなぁ。誰かいるかっ!湊ぉ!帰ったのかぁ!」


 扉越しに聞こえてくる守屋先輩の声を背にし、依然として凝視を続けるリレイに苦笑いを浮かべる。


「仲直りしたくて」

「さっきタンクトップが家に来た」

「タンクトップ……あぁ、守屋先輩のことね。心配してたから」

「あんたは?心配じゃなかったの」

「えっ、それは……心配でしたよ」

「なら何で、あんたが最初に来ないの」


 それってどういう………。


「……タバコ吸ってくる。あんたはリビングに行ってて」

「ついて行っても、いいですか?」

「なんで」

「リレイさんと話がしたいからです」


 ため息で答えるリレイに断るような雰囲気は感じなかった。恐る恐る後をつけるも彼女は何も言ってこない。


 階段を上がって廊下を進む。扉の閉まる部屋が並ぶ中、唯一半開きになった扉の部屋へリレイが入っていく。タバコを吸うと言って二階に上がった時点で、ベランダで吸うということは分かっていた。


 しかし、そのベランダのある部屋は寝室のようだ。半開きになった扉からベッドが見えた。ついて行くとは言ったけど、寝室に入るのは気が引ける。だが、確認を取る間も無くリレイは入ってしまう。


 どうしようもないので、なるべく床に目を落としながら後を追った。


 ベランダに出ると夜風が心地良かった。見える景色は自分の部屋より、桜がずっと近くて、見下ろす住宅街の明かりもかなり広いところまで見渡せる。ここでリレイがタバコを吸う理由が分かるような気がした。


「それで」


 ベランダの柵に両腕を置くリレイの口にはタバコが咥えられ、火の灯ったライターが近づけられる。タバコで一息ついてから続けた。


「話って?」

「さっきも言ったけど、仲直りしたくて。まだ、怒ってますよね」

「そう見えるわけ?」

「そう見えます」

「じゃあ、そうなんじゃない?」

「どうしたら許してくれます?」


 迂遠なことはせず直接訊いてはみたが、向けられたリレイの表情は芳しいものではなかった。顔を向けたまま指先に挟んだタバコを一吸いし、煙を吐いてきた。視界が真っ白に染まるのと同時に噎せ返るようなタバコの臭いが鼻孔や喉を刺激する。


 間近でタバコの煙を吐かれたことなんてない。顔の前を手で仰ぎ、噎せるように咳をする。


「何するんですか、急に」

「煙を吐いただけ」

「人に向けて吐くものじゃないですよ。副流煙の方が有害なんですから」

「大袈裟な男。ちょっとくらい平気よ」


 手で仰ぐのを止めた先、嫌がる僕を見て、口の端を上げるリレイがいた。こんなことで彼女の機嫌が直ってくれるのなら、ちょっとの副流煙くらい何てことないか。諦めたような目を向け続けていると、まだ半分も吸っていないタバコを灰皿に押し付けた。


「許して欲しいならさ」


 灰皿から移ったリレイの視線は、数秒だけ僕に注がれるものの月に照らされる桜へと逸れてしまった。


「わたしと友達になって」


 そして紡がれた言葉の意味を理解するのに時間を要した。僕が嫌がるようなことを許す条件にしてくると身構えていたのだが、全くそんなことはなく。「友達になって」と言うのは文字通りの意味でしか捉えようがない。


 邪推すれば、あの時「友達いませんよね」と言ったことに対する皮肉的な。


「わたし、友達いないから」


 続く言葉も僕の方を見ることはない。曖昧な言動をするリレイなので、これが本心からのものなのか分からない。けど、ふざけて言ってるわけではなさそうだった。


「いいですよ」


 聞いたリレイが、やっと桜から目を外してくれた。


「そう。なら許す」


 どうやら、仲直りすることは出来たみたいだ。内心安堵する僕と同じようなため息をリレイも吐いた。全く同じタイミングだったので、お互いに顔を向け合ってしまう。そしてそんな些細なことで、何故か恥ずかしくなって僕の方から目を逸らしてしまった。


 変に意識したみたいに見られたかもしれない。そう思った矢先、リレイがクスッと笑った。


「友達として言っておくけど、わたしのファンこと好きにならないでよね」

「っ………ならないと思いますよ。リレイさんこそ」

「成瀬」


 遮るように呟いた。


成瀬澪那なるせれいな。わたしの名前」

「一般の人に教えてもいいですか?」

「あんたはでしょ。違うの」

「……そうでしたね。じゃあ何て呼びましょうか。成瀬さん?」

「友達は名前で呼ぶものじゃないわけ」

「僕、名前で呼ばれたことありましたっけ……?」

「まだ友達じゃなかったもの」

「そうですね。そうでしたね」

「そんな小さいことで怒らないでよ」

「怒ってませんよ。呆れただけです」

「それはこっちがムカつく。勝手に呆れないで」

「分かりました。話が逸れたんで戻しますけど、呼び方は澪那さんでいいですか?」

「悪くないんじゃない?わたしは………」

「もしかして『あんた』でしか呼んでなかったから、僕の名前忘れました……?」

「忘れてない。美海湊みなみみなと。でしょ?」

「はい、合ってます」

「あんたのフルネームは呼びづらいから、逆に覚えやすい」


 柵の上に置いていた紙箱を澪那さんは手に取る。部屋へ戻るみたいだ。開いた窓枠に手を掛け、彼女が名前を呼んだ。


「湊。ご飯食べよ。エビチリとか寿司とかピザとか。麺類でもいいよ?」


 楽しそうに、揶揄うような笑みを浮かべる澪那さんに負けじと僕も言葉を返す。


「僕はヤンニョムチキンがいいですね」

「手とか口とか汚れるよ?」

「澪那さんに見られても、僕は何とも思わないので」


 先週、リビングでしたやり取りをベランダで再現する。立場は逆になっているけど、澪那さんの方も乗ってくれた。


「じゃあ、エビチリと寿司とピザと麺類、それとヤンニョムチキンで決まりね」

「そんなに食べれます?」

「わたし、こう見えていっぱい食べるから」


 そう言って笑う彼女は部屋へ戻っていく。

 月明りで映える夜桜は先週見た美しさとは違って見える。ころころと情景を変える桜の美しさは、まるで澪那さんのようだった。

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