ep1 出会いは時に突然で―Part.9
あれから土日を挟み、二日が過ぎ去った。
朝になると、リレイはいつも二階のベランダでタバコを吸っているのだが、この二日間は見掛けなかった。そもそもリレイの姿さえ見ていないし、家からも出ていない様子だ。
「今日もいないなぁ」
リビングで朝食を取っている中、戻って来た守屋先輩が心配そうな表情で言葉をこぼす。
「通報されても知らないぞ」
「通報か……それは妙案かもしれない。ただ、おれが助けに行くという案も考えておかないと」
「不法侵入で通報されるだけだな。あの女は助けてくれた相手だろうと通報しかねない」
「おい!リレイちゃんを悪く言うな!おまえはリレイちゃんのこと何もしらないだろ!」
座ったばかりの椅子から立ち上がり、ぴしゃりと人差し指を響輝へ向ける。
確かに指は響輝へ向いているのに、その言葉は内心を突かれたような感覚を思わせる。
「元アイドルってことしか知らない。逆に先輩はそれ以外のことを知ってるのか?」
「もちろん。クールイズビューティーを体現する女神だ」
自信満々に抽象的な表現をする守屋先輩に響輝はため息を吐くように肩を竦めた。
「響輝は心配にならないのか?毎朝、二階のベランダでタバコを吸ってるのに、この二日間見てないんだぞ」
「もともとあの女は家に引きこもってるだろ。家の中で吸ってるんじゃないのか。俺としては火事を起こさないかが心配だ」
「薄情な奴め。湊は心配だよな」
守屋先輩が話を振ってくるも、本心から頷くことは出来なかった。
「出てって」と言われた夜から僕もリレイの姿を見ていない。心配に思わないわけがない。僕が彼女を怒らせてしまった。
「そんなことより朝食を食べろ。冷めるぞ」
「今日も見ないようなら、家を訪ねてみるか」
「やめてくれ。悪人顔の先輩だと、インターフォンを押しただけでも通報されかねない」
決心した様子で鼻息荒く朝食を掻き込み始める守屋先輩に、響輝の言葉は聞こえていないようだった。
リレイがタバコを吸っていないかどうか見に行ったため、守屋先輩は僕と響輝よりも朝食を食べ始めるのが遅かったはずなのに、気付けば手を合わせ、キッチンに食器を戻していた。
二限目から同じ講義を取る響輝と守屋先輩はしばらくして家を出て行った。車の免許を持つ響輝と同じ時間帯に講義を取っていれば乗せて行ってもらえるのだが、そのために取る講義を選ぶわけにもいかない。
三限目の講義まではまだ時間があるため、大学から支給されたノートパソコンの初期設定を部屋で行う。カーテンと窓の開けた部屋からは満開の桜と三角屋根の家がよく見える。当然ながら、リレイがタバコを吸っている二階のベランダも。
時おり、風によって散った桜の花びらが宙を舞って部屋に入ってくる。小高い山上に建っていることもあって、吹く風を遮るようなものがない。こうして窓を開けていると程好い風が部屋を満たしてくれる。夏になっても、これくらい風が入ってくるのならエアコンを使わなくても過ごせそうだ。
パソコンの初期設定に苦戦しつつ、淹れたインスタントコーヒーを飲みながら窓の外に目を向ける。大学生のような生活をしているなと身に染みて感じるも、窓の外を見る度に灰皿の置かれたベランダが目に入ってしまい、コーヒーが喉を通らない。
毎日毎朝、二階のベランダでタバコを吸うリレイを盗み見ていると言う守屋先輩と同類に扱われたくはないけど、僕も二日前からこうしてベランダを盗み見ている。家を訪ねる勇気がなくて、引っ越した日みたいに会えないかなと思う自分が少し情けない。
三限が始まるのは十三時からで、ここから大学までは三十分くらいあれば到着する。十二時を少し過ぎたところでパソコンから離れ、大学へ向かう準備を始める。
開けていた窓を閉め、カーテンに手を伸ばしたところでベランダに人影が見えた。響輝と守屋先輩は大学へ行ってしまったし、元より三角屋根の家に住むのは一人だけだ。
口にタバコを咥え、ライターを手に持ったリレイがベランダに姿を現した。二日ぶりに見る彼女に変わったところはない。カーテンの端をつまんだ状態で彼女を見続けてしまう。
するとリレイの方もこっちに目を向けてきた。お互いを見つめ合う形になるものの、咥えたタバコを手に取って部屋に戻ってしまった。
「嫌われたな………」
小さくため息を吐いてからカーテンを閉め、荷物を持って部屋を出た。それから少しして家も出た。門を潜る前に足を止め、二階のベランダへ目を向けてみるが、厚くカーテンの閉まった部屋を見ることは出来なかった。
大学へ到着するや否やスマホにラインが入った。和哉からだった。
『どこにいる?』
『今、大学に着いた』
『バス停?』
『バス停から大学に向かってるところ』
『OK!分かった!』
一体どういう連絡かと思ってみれば、大学の前に和哉が立っていた。今日もワックスで髪型はかっこよくセットされ、無地のセーターを違和感なく着こなしている。
「おはよう」
スマホを見ているせいで気付いていない。こっちから声を掛けると顔を上げてくれた。
「おぉっ、おはよ。次の講義一緒じゃん。だから一緒に行こうと思って」
「あのラインはそういうことね」
断る理由なんてない。浪人したことで大学には知り合いがいない。和哉は同学年で唯一友達と言える。そして『KanaRia』のファンで、アイドルとしてのリレイをよく知っている。
「リレイが活動休止した理由って何だと思う?」
唐突な問い掛けに若干戸惑いながらも和哉は言葉を紡ぐ。
「もしかしてファンに?」
「そういうわけじゃないよ。ただ気になっただけ。ネットで調べても信用に欠けるからさ」
事務所による公式なものでは『体調不良』となっている。ネットに掲載される個人サイトを見れば、喉の不調や学業へ専念するため、メンバーとの不仲など。きっとファンの和哉に訊いても本当のところは分からない。リレイ本人に訊かない限り、活動休止の理由は分からないままだ。
それでもネットの情報より和哉から聞いたことの方が信用できる。
「事務所が『体調不良』だって言ってるのは知ってる?」
「うん。でも、それって形式的なものでしょ」
「まぁきっとそうだろうね」
ファンとして、あまりそういったことを話したくはないのだろう。迷うような素振りを見せる和哉は「そうだなぁ」と呟く。
「有名になれば、どうしたって誹謗中傷を受けるわけじゃん。特に『KanaRia』は急に人気が出たから、そういうことを言う人も多かった印象はある」
「じゃあ誹謗中傷が原因?」
「違うとは言い切れないけど、リレイは誹謗中傷に強い人だと思う。ライブ中ずっと野次を飛ばしてた男に殴り掛かろうとした話は有名だよ。ほらこれ」
スマホを横画面にし、和哉は動画を再生し始める。野外でのライブ映像だった。
『KanaRia』の四人が煌びやかな光に包まれ、聴く者を魅了し、見る者を釘付けにする。ライブの会場者目線で撮られた映像の中には、当然ながらリレイの姿もある。守屋先輩が『クールイズビューティー』と言っていたのも頷けるくらい、踊っている彼女はカッコよく、歌っている彼女は可愛らしかった。
そしてこの動画を和哉が見せた理由は、動画の再生が始まった時から『KanaRia』の歌に混じって聴こえていた。何を言っているのかは定かじゃないけど、曲を歌う『KanaRia』の四人とは別に男の野太い叫び声が確かに聴こえる。動画にはその叫び声に動揺を示す人達も映っている。
撮影者はステージに近い。だが、歌に混じる男の叫び声はもっと近いところからだ。ステージに立つ『KanaRia』の四人の踊りや歌に異変はないものの、動画越しでも目線や表情の変化がはっきりと分かる。
動画が再生されてから数十秒経ったところで、リレイが急に踊るのを止めた。パートじゃなかったため歌は途切れないが、進み出たリレイがステージを飛び降りたところで曲自体が止まった。
突然、リレイがステージを飛び降りたことで会場内は騒然となる。
曲は止まり、残された『KanaRia』の三人がリレイに駆け寄ろうとして、ステージに上がってきた警備員に止められる。
そこで動画は終わった。
「破天荒だな………」
「そんなところがリレイの良いところでもあるんだけどな」
「この後、人を殴ったのか?」
「殴ってはないよ。殴ろうとしたらしい。リレイもそこまで乱暴はしない」
訂正するように言葉を付け加える和哉だけど、あの口の悪さを知っていると乱暴しないようには思えない。
「ライブは中止になって、チケットは返金。事務所が謝罪したりで結構大事になったんだよね」
スマホをポケットにしまい、止めていた歩みを再開させる。
「まぁこんな感じでリレイはアンチ相手にも容赦ない。ファンとしては危ないから止めて欲しいけど」
「そうなると他にも何か?」
「あまり信じたくないけど、メンバー間の不仲はあるかもしれない」
「やっぱり、仲悪かったの?」
「やっぱり?」
「いや、ネットでもそういう情報があったからさ。事実なんだなって」
「本当のところは分からないよ。ただ、リレイは『KanaRia』の中で一番人気のあるメンバーだったし、メディアへの露出も多かった」
「それで不仲だと?」
「今はもう消されてるけど、メンバーのSNSでの発言とかもあってね……絶対に不仲じゃないとは言い切れない」
不仲については、いろいろとややこしいみたいだ。好き嫌いとかの感情部分は第三者から図るのは難しい。
「そんな感じだけど、リレイは『KanaRia』を脱退したわけじゃない。活動休止だから、絶対に戻ってくる」
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