ep1 出会いは時に突然で―Part.8

 既に一度こっちから断っている。だから、これでリレイに断られてもお互い様ということになる。


 最後に別れたバス停でのリレイからして、断られそうだ。それも罵倒の混じった断られ方を。彼女の辛辣な言葉から少しでも心を守ろうと身構えるも、無駄に終わった。


「………今じゃ、ないでしょ」


 声音からは棘を感じない。

 弁明する機会を与えてくれると言うのか。


「昼は本当に用事があって。でも、夜なら」

「どうでもいい。こっち来て」


 辺りを見回したリレイが、僕の腕を掴むと走り出す。向かう先はコンビニの隣に建つ四階建てのアパートだった。住人でもないのに階段を駆け上がっていく彼女に腕を引かれるがまま、二階の外廊下に出る。


「ねえ、見て。あいつ」


 コンビニから急ぐように出てきた、緑色のシャツを着た男をリレイは指差す。


「ストーカー。ずっとつけられてた」

「えっ。マジですか?」

「こんな嘘つくと思うわけ」

「……すみません」


 コンビニから出てきた男は必死に辺りを見回している。言われてみれば、確かに何かを探しているようではある。


 男はしばらく辺りを探し回り、諦めた。バスに乗って去っていく。


「大丈夫なんです?何かされたりとか……?」

「別に何もされてない。ただ、つけられただけ」


 リレイの声音から棘は感じないが、疲労は感じられた。そんな彼女を夕飯に誘ってしまった。尚更、断れる。でも、その方がいい。


 と言うか、こっちから言ってしまおう。


「家でゆっくりした方がいいですね」

「……そうね。夕飯は家で出前を取る」

「その方がいいですよ。誰かにつけられる心配もありませんし」

「なら、夜の八時に来て。鍵開けるから」

「…………は?」


 リレイの言葉を理解できず、疑問符を返してしまう。


「あんたが『夕飯食べに行こう』って誘ったんでしょ。出前取るから、わたしの家に来て。分かった?」

「あっ、はい……」


 要するに僕がリレイの家に出前の夕飯を食べに行けばいいと。理解は出来たけど、意味は分からない。


 ストーカーが去り、リレイからはコンビニから出てきた時のような張り詰めた雰囲気はなくなった。階段の方へ外廊下を歩き始める彼女が、思い出したように振り返る。


「あんたは先に帰ってていいから」

「また一人でどこかに行くんですか」


 歩みを再開させる彼女は背を向けたまま答えを返す。


「ストーカーのせいでタバコを買い損ねたのよ」

「それくらいなら一緒に行きますよ」


 ピタッとリレイの足が止まる。

 まだ何かあるのかと思えば、そんなことはなかった。


「あんたは良いストーカーね」

「だから、僕は『KanaRia』のファンじゃないですって」

「どうだか」


 そう言って階段を下りていく彼女に、気付かれない程度のため息をいてから追い掛ける。


 コンビニでタバコを四箱買い、シェアハウスまでの緩やかな坂道を歩く。


「コンビニの店員、リレイさんを見て嫌な顔をしてませんでした?」

「あぁそうね。そうかもね」

「前に万引きでも?」

「わたしはあんたほどお金には困ってない。タバコを注文した時にストーカーがトイレに行ったから『やっぱりいいです』って言ってコンビニを出たのよ」


 それはまぁ。事情を知っていると仕方なかったとしか言えなくなる。


「コンビニのバイトはやめときます」

「そうしな。つまんなそうだし」

「リレイさんはコンビニバイトしたことあるです?」

「ない」

「ないんですか……」

「別につまんなそうって思うのも言うのも、わたしの勝手でしょ」

「そうですけど、言いたいことを我慢するのも大切ですよ」

「年下のくせに説教する気?」

「しませんよ。リレイさんに説教しても、意味なさそうです」

「そうね。意味ない。でも、他人にそう言われるとむかつく」


 理不尽な。

 リレイさんと言葉を交わす度に、彼女の人となりが分かってくるような気がする。自信家で気分屋。自分勝手なところも。これだけ聞けば、誰もそんな人に良い印象は抱かないだろう。


 少し前を歩く彼女は人気アイドルグループ『KanaRia』のリレイで、こうして二人きりで歩くなんてことは、普通に考えればあり得ない。有名人のリレイであると気付いた時は緊張したけど、今はそうでもない。


 理由があるとすれば僕がアイドルに興味がないから。『KanaRia』の全盛期が娯楽から離れた浪人時代と重なっていたから。


 『KanaRia』のリレイだと知って、会った時は有名人というフィルター越しに見てしまい変に緊張してしまったけど、僕は大衆に見せるアイドルとしての彼女についてもよく知らない。


「あんた学部は?」

「商学部です」

「頭良いんだ。商学部って国大の中でも偏差値高いでしょ」

「……良くはないですよ。一年浪人してますし」


 振り返ったリレイの瞳が細められる。


「わたしだったら何十年浪人しても入れない。謙遜のつもり?」

「謙虚な姿勢は大事だと思いますけど」

「その謙虚さが、誰かを傷付けるのよ………」


 細められた瞳はどこか悲し気で、僕からすぐに外れてしまった。背を向けて歩く彼女に何かあったのかと訊く勇気は湧かなかった。それに桜の木が見えていた。数分の沈黙はすぐに過ぎ去り、門を通り抜けた。


「少しでも遅れたら開けないから」

「分かりました。夜の八時ですね」


 最後にもう一度、時間を確認するもリレイは自分の家へ背を向けてしまった。何も言わないということは間違ってはないのだろう。何か一言あってもいいんじゃないかとは思うけど、それを彼女に求めるのは難しそうだ。


 待ち合わせ時間までは言っても三時間くらいしかない。帰って来た響輝には夜、友達と食べに行くから夕飯はいらないと伝えると守屋先輩も彼女とその友達と飲みに行くらしいと返ってきた。加えて、守屋先輩は夜に飲みに出掛けてると朝まで帰ってこないと。


 だから、家に帰ったら鍵を締めておいて欲しいと響輝に頼まれた。そして問題は起こすなよとも釘を刺された。十中八九、守屋先輩がこれまでに何度も問題を起こして来たのだろう。


 食べに行くのは本当だけど、行くのは同じ敷地内に立つリレイの家までなので問題も起こしようがない。ただ、リレイの家に行くことは響輝には知られないようにしたい。幸いにも響輝の部屋は裏手側に位置しているので窓から見られる心配はしなくていい。時間的に共用のリビングにいる可能性も考えられるけど、これまた幸いにもリビングの窓からも見られる心配はない。


 時間になるまで部屋で過ごし、八時になる五分前に家を出た。外は真っ暗で月明りに照らされる桜は以外と悪くない。夜桜なんて言葉もあるくらいなので、何も今になって思うようなことじゃないか。昔の人達がとっくに夜の桜の美しさには気付いている。


 家を出る前に響輝が自分の部屋にいることは確認した。誰かに見られるなんてことはないだろうが、それでも暗闇に包まれる周囲に目を配ってしまうのは僕が単に心配性なだけか。


 さっさと家に上がらせてもらった方がいいことに気付いて、家の扉をノックする。時刻は十九時五十七分。三分前と遅刻はしていない。家の中から足音がして扉が開く。


 しかし、開いた扉にはチェーンが掛かり、少しの隙間を作るだけだった。


「まだ八時じゃないけど」

「三分前行動です」

「そんなに早く、わたしに会いたかったの?」


 扉の隙間から覗くリレイの口端が上がる。人を揶揄って楽しんでいるみたいだ。


「早く入って」


 チェーンを外し、リレイが扉を開けた。

 一言「お邪魔します」と言ってから中へ入る。玄関には三時間前にリレイが履いていた白い靴が一足だけ置かれ、戸の開いた靴棚から他の靴が何足か見える。そんな靴棚の上に、ものは何一つ置かれていない。


 一見して綺麗に見える玄関ではあるが、何も置かれていない靴棚の上には目を凝らさなくても分かるくらいの埃が被っている。こういうのは凄く気になる性格ではあるけど、人の家の掃除状況にまでとやかく言うほど潔癖なわけじゃない。それにそんなこと言いだす奴は普通に嫌われるだろう。


 女性が一人で暮らす家と言うこともあり、好き勝手見るのは良くない。そう思ってリレイに通されるがままリビングへ。玄関同様、リビングもものが少なく綺麗に見える。


「座ったら」

「はい、そうします」

「何食べる?わたしヤンニョムチキンがいい」


 ソファに腰掛けスマホで調べ始めるリレイは、ショートパンツ姿で足を組んでいる。先にソファへ腰を下ろしたリレイの隣りに座るのを遠慮してしまい、カーペットの敷かれる地面に僕は座った。そのため、ショートパンツ姿で組まれた彼女の生足が視界に入ってしまい心が落ち着かない。


 リレイから目を外せばいい話なのだが、訊かれた問いに答えるのにそっぽを向くわけにもいかないだろう。


「ヤンニョムチキン?」

「前、韓国行ったときに食べて美味しかったから。わたしがヤンニョムチキンを食べるのが、変だって言いたいの?」

「手とか口とか汚れますよ」

「カメラがあるわけじゃないだから、そんなの気にしないわよ。あんたに見られたところで何とも思わないし」


 足を組むのをやめ、リレイがソファの上で仰向けになる。すぐ真横に彼女の頭が来て、思わず距離を取ってしまう。そんな行動を取ってから、近づかれて避けたみたいで印象が悪いなと感じる。ただ、彼女はそれに気付いていないみたいで良かった。


「辛いの苦手なんですよね」

「ヤンニョムチキンの辛さなんて、たかが知れてる。それにヤンニョムチキンはわたしが食べるから、あんたにはあげない」


 別にそういう意味で言ったわけじゃないんだけど、辛いのは苦手なので、それで結構だ。


「あと何食べよーか。あんたも何か案出してよ」

「エビチリとかどうです?」

「エビ好きじゃない。違うの」

「なら寿司はどうです?」

「安直。次は?」

「安直……?えっ、じゃあ、ピザは?」

「昨日食べた」


 そう言ってリレイの指差すキッチンの方にテイクアウト用のピザ箱が見えた。


「麺類は」

「気分じゃない」


 何か一つを指す固有名詞を避け、大まかな分類を提案したとういうのに一言で却下された。顔すら向けず仰向けの状態でスマホを弄るリレイへ、睨むような目を向ける。気付いて彼女がスマホから僕に目を移す。


「他は?」

「リレイさんって友達いませんよね」

「は?」


 身体を起こしたリレイが、睨み返してくる。


「自分勝手過ぎますし、アイドルの頃はそれでも周りが許してくれたのかもしれませんけど」


 リレイの一貫した自分本位な態度に対して言いたいことがあった。言うなら今だと思って、つい口に出した言葉は少し言い過ぎだったかもしれない。


 怒らせるつもりなんて、全く無かった。


 リレイの睨む目付きがいっそう強くなり、噛んだ唇から血が出てくる。だが、そんな血を意に介すことなく彼女は言葉を張り上げた。


「周りが許してくれる?そんなわけないでしょ!わたしのこと何も知らないくせに、何分かった気でいるわけ!」

「そんなことは……」

「そうね。わたしは自分勝手よ。勝手なことして、こんな風に落ちぶれて。ぜんぶ全部、自分勝手なわたしのせいよね!」


 吐き出した言葉は怖がる子供のように震えていた。悔しそうに握られた拳が力なく解かれ、睨んでいた瞳が伏せられるとソファに上体を落とす。


「出てって」

「僕は……」

「出てけって言ってるでしょ!」


 伏せた瞳を開け、リレイが怒鳴る。

 潤んだ瞳が内心を表すかのように、照明の光を微かに反射する。すぐに顔を逸らされ、それ以上を図ることは出来なかった。


 この場で僕が何を言っても意味はない。ここに居続ければ彼女をさらに怒らせてしまう。カーペットの上から立ち上がり、目を伏せてしまった彼女を最後に一目見てからリビングを出た。そのまま廊下を進んで家からも出る。


 きっと十分もいなかっただろう。

 変わらない夜闇を照らす月明り。変わらない夜桜の美しさが今は何だか憎らしくて、睨むように見つめてしまった。

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