ep1 出会いは時に突然で―Part.4
詳しい話は大家である響輝にも伝えられていないらしい。半年前の活動休止を機に、リレイはあの家に引っ越してきた。諸々の手続きは事務所のマネージャーが済ませたと言う。
響輝も守屋先輩も最初は半信半疑だったと言うが、リレイは実際に引っ越して来た。三角屋根の家はもともと女性が泊まるように空けていたものだったらしく、たまたまそこにリレイが住むことになった。一部屋ではなく家そのものの家賃を支払っているため、新しくあの家に人が住むことは出来ない。
家から出て来ることの少ないリレイではあるが、同じ敷地内で暮らしていれば顔を合わせることは避けられない。ここにリレイが住んでいると口外しないよう口止めされていると言うが、法的な拘束力は何一つない。しかし口外すれば、自分達の家の周りに人が集まって来ることになるので、響輝も守屋先輩も口外はしていない。
響輝はアイドルに興味はないとばっさり切り捨てていたが、守屋先輩の方は違った。最初の内は顔を合わせる度に声を掛けていた守屋先輩が唯一聞けたリレイの言葉は舌打ちだったと言う。
大学で行われたオリエンテーションは始まりから終わりまで、ずっと『KanaRia』やリレイについて考えていた。スマホでグループの休止理由を調べたり、リレイの現在なんて言う記事を読んだり。
おかげでオリエンテーションの内容は全く記憶にない。
気付いたらオリエンテーションは終わっており、時刻も十二時を過ぎていた。行きは響輝の運転する車に乗って来たが、帰りも乗せてと言えるほど図々しくはない。響輝にも大学ですることがある。対照的に守屋先輩は彼女とデートらしい。
大学前のバス停から住居のある小高い山の坂下までは一本で行ける。そこから坂を歩いて上る。傾斜は厳しくない分、距離がある。十五分ほど掛けて坂を歩いたところでパラパラと桜の花びらが空を舞う。ガードレール越しに見下ろす住宅街の見晴らしは良い。とは言っても、住宅街が広がっているだけなので絶景とかではない。
それでも空を舞う桜の花びらと相まって自然と目はそっちへ向いてしまう。そのせいで歩みは遅くなるが、僕と同じようにガードレール越しに住宅街を見下ろす黒髪をなびかせる女性を目にして、歩みは完全に止まってしまった。
そこにはリレイがいた。
腹部の露出したカットソーにショートパンツ姿は昨日見た時と変わらない気がする。それに口から煙を吐く、タバコを吸う姿まで全く一緒だった。
ため息を吐くようにして煙を吐いたリレイが、顔だけをこちらに向けた。思い出す前と後では全く違う。向けられた顔はテレビで見るリレイそのままだ。
目の大きさや目鼻立ち、輪郭、その全てが完璧だとか、そういうレベルの話ではない。頭の小ささとか、背を流れる黒髪だとか、スタイルの良さとかも、一目見ただけでモノが違うと感じさせられる。息を飲む美しさとは、このことを言うのだと身を持って実感する。
タバコを片手に、黒髪をなびかせ、桜の花びらを背景にする。そんな姿も絵になる。思わず見つめてしまった。どれくらい見つめてしまっていただろうか。記憶が飛んだような気分なので分からない。
ただ、視界に映る情報として、リレイがこちらに近づいて来ていることだけは分かった。『KanaRia』のファンというわけじゃないけど、有名人を前にして、緊張してしまい言葉が出て来ない。
一応「ファンです」的なことを言って場を凌げないか考えた。しかし、そんな考えが口を出る前に、リレイが指先に挟んだタバコを向けて来た。
「あんた、わたしのファン?」
「えっ……?」
言葉通りに受け取れば、
答えに窮しているとタバコを一吸いしたリレイが舌打ちする。
「あのタンクトップから、リレイ《わたし》がここに住んでるって聞いて引っ越したわけ?」
タンクトップとは………守屋先輩のことか。
そして引っ越し理由に関しては邪推し過ぎではないか。
「違いますけど。リレイさんのことは今朝思い出して」
「嘘とかいいから」
ゴミでも見るかのような視線を突き刺してくるリレイに若干気圧されつつも弁明する。
「嘘じゃないですよ。本当に知らなくて」
「盗撮でもする気?」
「しませんよ」
「どうだか」
何なんだ。この女は。
アイドルをしていると性格が歪むのか。こうもアイドルが高圧的だとは思わなかった。守屋先輩の教え通り、自ら関わりに行くのは止めた方がいいのかもしれない。
「言っときますけど、僕はアイドルに興味ありませんから」
もはや痛みすら感じるくらいの視線を受けつつ、必死の抵抗を試みた。そそくさとリレイの隣を抜け、門を潜って敷地内へ入った。
※ ※ ※
残されたわたしは小さなため息を吐く。
人差し指と中指で挟んでいたタバコを地面に落とし、靴裏で火を踏み消した。
桜の舞う空は、今日もまた雲一つない青空でわたしは睨むように目を細めた。微かに震えた息をつき、見上げた視界を住宅街の方へ戻す。
「あれリレイじゃない?」
「マジいるじゃん!」
「一緒に写真取りてえ!」
坂下でわたしを見る三人組の男達の声が耳に届き、反射的に舌打ちが出る。横目を向ければ、男の一人がスマホを向けている。
嬉々とした表情で歩み寄ってくる男達へ、わたしは身体を向けようとした矢先、背後から手が回ってきた。その手には鞄が持たれていて、わたしの顔を男達から隠した。
※ ※ ※
「盗撮は止めてください」
リレイの顔を鞄で隠しながら、スマホを向ける三人組の男へ注意する。
「………う、打ち合わせがあるから、戻るよ」
他人がリレイを庇ったような状況よりも、事務所の人間を装おうとして自分の首を自ら締める。
とっさに思い付いた「打ち合わせ」というワードを口にしてしまったが、見上げてくるリレイの瞳からは突き刺すような痛みは感じない。
「………そうね」
呟くようにこぼした言葉は一際強く吹いた風によって掻き消され、桜の花びらを雪のように降らせた。
門へ向かって歩き出したリレイを隠すように一歩距離を取って背後から追い掛ける。
門を潜って、三角屋根の家の前でリレイが足を止めた。ここまで来れば大丈夫のはずだ。振り向いたリレイが、こっちを見てくるので気まずい。
「芸能人、なんだから気を付けて」
一応、彼女にも注意をし、この場を去ろうとして上手くはいかなかった。
「何であんなことしたの」
「……何でって、言われても」
「芸能人だから?」
「………特別な理由なんて別にないですよ。ただ……今の君にはそうするべきだと思っただけで」
リレイからの反応がない。
探るような視線だけを向けてくる。
何か不味いことでも言ってしまったか。そう思って自分の言動を思い返し、ちょっとカッコつけた言い方したような気がして恥ずかしくなる。
「同じストーカーのくせに」
しばらくして口を開いたかと思えば、またその話か。
「だから違うって」
すぐに否定するも、リレイが小さく鼻で笑う。馬鹿にされたような感じはなく、口の端が少し上がっていた。
「……そうね」
呟くようなリレイの言葉を今度は聞き取れた。
「あんた、名前は?」
「美海湊です。リレイさんの名前を聞いても?」
「教えると思う」
「ならいいです」
変わらず上から目線のリレイは調べによると今年で22になる。今年で20になる僕とは二歳差というわけだが、それにしても上から目線過ぎやしないか。
下手なこと言って、彼女の機嫌を損ねたくないので「それじゃあ、また」とだけ社交辞令を残し、この場を去る。部屋のある住居へ戻る道中、背筋に冷や汗が出てくるような視線が向けられていたような。
そんな気がしてならなかった。
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