ep1 出会いは時に突然で―Part.3

 荷解きと部屋の掃除で引っ越し初日は幕を閉じた。潔癖症ではないが、机や棚に埃が被っているのは見過ごせない。同様に床とかも。荷解きよりも掃除の方に大半の時間を割いた結果、自分の納得のいく部屋になった。


 我ながら完璧な部屋が完成した。

 翌朝起床して、部屋を見渡しながらそう思う。


 カーテンと窓を開けると暖かな陽光と心地よい涼風が部屋の中を満たし、満開に咲き誇る桜が出迎えてくれる。新生活は最高のスタートを切れたかもしれない。自然と口元に笑みが浮かんでくるのを欠伸で誤魔化し、服を着替える。


 少しバタバタしてしまい、こっちへの引っ越しが遅くなってしまった。大学が始まる前日に来て、今日から大学生活が幕を開ける。と言っても、いきなり講義を受けるなんてことはなく、今日は十時半から行われる新入生のオリエンテーションに参加する。


 学部ごとのガイダンスや履修登録など。高校ではないので参加しなければ成績が下がるなんてことはない。そんなことを考えて、大学生になったんだと言う実感が湧いてくる。


 着替えてから一階のリビングに降りるとキッチンには響輝の姿があった。


「おはようご、ざいます」


 なるべくタメ口を意識していたので少しつっかえてしまった。


「おはよう。来て早々悪いんだが、先輩を起こして来てくれないか」

「うん、いいよ」


 昨日の二日酔いは昨夜から治まっており、不機嫌そうな顔も少しは変わると思ったのだが、ムスッとした不機嫌そうな表情が響輝の基本のようだ。


 朝食や夕食を作るのは当番制であり、必要ない時は事前に当番の人へ連絡を入れる。そして全員揃った状態で朝食や夕食は食べる。その方が洗い物も一度で済み、効率的だから。


 ほんの数秒前に降りた階段を昇って、守屋先輩の部屋の扉をノックする。


「守屋先輩、朝ごはんですよ。起きてます?」


 ノックを止めて声を掛けるも反応は返ってこない。再度何回かノックをし、扉に耳を傾ける。いびきのような荒い息遣いが聴こえたような気がした。


「守屋先輩!起きてください!」


 少し声を張り、扉をノックする力も強める。

 しかし、耳を傾けて聴こえてくるのはいびきのよう息遣いだけだった。


 このままでは守屋先輩を起こせない。どうしようもないので響輝に伝えようと戻ろうとしたところ、階段を上がる足音がした。響輝が二階に上がってきた。


「先輩は鍵を掛けないから、部屋に入って起こせばいい」


 許可も躊躇いもなく部屋の扉を開けた響輝は、寝相悪くベッドでいびきをかく守屋先輩の枕を引っこ抜き、顔面に叩きつけた。「ふがっ!?」と身体を跳ねあがらせて飛び起きた守屋先輩は非常事態かのように頭を左右に振る。


「地震かっ火事かっ!?」

「朝食」


 二人はいつもこんなことをしているのだろうか。先輩と呼びつつ、響輝の言動は全て、先輩にするようなものじゃない。対する守屋先輩も後輩に枕で顔面を叩かれても怒らない。守屋先輩が変人なだけかもしれないけど、お互いの信頼関係も多少はあるのだろう。


 響輝は「朝食」の一言を残して部屋を出て行った。


「朝に弱いんですか?」

「逆だな。朝がおれに弱いんだ」

「はぁ……そうですか。下で待ってますね」


 前髪を掻き上げる仕草をする守屋先輩だが、スポーツ刈りで掻き上げるような前髪なんて無いはずなのに。


 変人なだけかもしれないは間違いだ。

 守屋先輩は確かに変人だった。


 守屋先輩は服を着替えるなんてことはせず、二階のトイレを経由してから一階に降りた。リビングのテーブルには三人分の朝食が並べられ、キッチンには響輝が立っている。


 並べられた朝食の前に座ると響輝もキッチンを出て来る。そんな響輝を待つことなく朝食に手を付け始める守屋先輩は大口を開けて、吸い込むような速さで朝食を口に入れていく。


「この後、オリエンテーションあるだろ?」

「はい。あっうん」

「俺も大学に用があるから、車で送ってくぞ」

「ほんと?助かるよ」

「気を付けろよ、湊。サークルの勧誘とかえぐいからな」


 指揮棒を振るような感じで箸を振りながら忠告してくる守屋先輩の声音からは、経験者然とした妙な説得力を感じる。


「可愛い女の子がサークルに入らないかって勧誘してきて、入ったら高額な会費を要求してくる。立派な詐欺だろ、これはっ!」


 経験者は語る。

 しかし、響輝が口を挟んだ。


「タイプの女に勝手に釣られて、事前の説明も碌に聞かずに入っただけだから、先輩の言う事を鵜呑みにするなよ」


 どうなんだろう。

 そういったサークルぐるみの問題もありそうではある。だが、守屋先輩に関しては響輝の言う通りなのだろう。


「大丈夫。サークルに入るつもりはないからさ。それよりもバイトを探さないと」

「何だ湊。大学生活をバイトに捧げるつもりか?程々にしとけよ。おれみたいに自由に生きろ!」

「自由にし過ぎ結果が三回の留年だろ。もっと危機感を持て」


 厳しく言い放つ響輝の言葉は大袈裟なものではない。大学の留年は四回、分かりやすく言えば最長で八年間は在籍できる。ただ、これは一般的な基準であって全ての大学がそうとは限らない。


 現に国大の留年回数は三回までだったはず。四度目の留年はなく、退学になる。このまま守屋先輩を自由にさせていたら、そうなっても不思議じゃないような気がする。


「分かってる分かってる。今年の目標はフル単だ!」


 一年生の時はちゃんと単位を取得していると言う守屋先輩だが、二年生になって留年を三回している。


「それじゃあ、響輝と守屋先輩は同学年?」

「そうなるな」

「改めてこれから三年間よろしくな」


 調子の良い言葉と共に響輝の肩に腕を回すが、当然のように躱される。しかし、守屋先輩のその一言は話に一区切りをつける形になった。兼ねてから訊きたかった質問を響輝にする。


「ここに住んでるのって、響輝と守屋先輩の二人だけじゃないよね?」


 この建物の斜め向かい、隣接するような近さに立つ三角屋根の家のベランダで見掛けた女性について。直接的な表現ではなかったものの、二人とも言葉の意味を理解してくれた。


「湊」


 急に真顔で見つめてくる守屋先輩だったが、徐々に口元が緩み始める。


「会ったのか?」

「会った?隣の家の人には会いましたけど」

「驚いたよなっ!おれも未だに信じられないんだよなぁ。おれ達、集団で幻覚でも見てんじゃないかって思うよぉ」


 口元だけでなく、表情筋まで緩み始める守屋先輩は、言葉を選ばなければ大分気持ち悪い。


 それに「驚いた」とか「信じられない」とは。

 昨日の朝、見掛けた女性を幻覚だとは思わない。今でもはっきりと思い出せる。それくらい鮮烈な記憶だ。


「なんだ、湊は知らないのか?」

「何を………」


 昨日までは思い出せそうで思い出せなかった。

 しかし、今日は違った。目の前で惚気た表情を見せる守屋先輩と「知らないのか?」と問う響輝を前にして、思い出せなかった記憶が形作られていく。


 ベランダでタバコを吸う姿が想像とはかけ離れたもので、記憶に齟齬を生んだのかもしれない。ただ、その美しさだけは何も違わない。


「リレイ………?」


 アイドルグループ『KanaRia』のメンバーの一人。半年前に心身の不調で活動を休止し、リレイの人気が大き過ぎたせいか、今でもグループは活動休止のままだ。


 半年前に『KanaRia』の活動休止は大々的にニュースで報道された。勉強で忙しかった浪人時代だったが、『KanaRia』が爆発的な人気を誇っていたことは知っていたし、勉強の合間に何度か曲を聴いたこともあった。そんな『KanaRia』の活動休止から半年以上経った今では話題に上がることはなくなった。


 未だ疑問の残るような口調で呟いた「リレイ」と言う名に対して、響輝が神妙に頷いた。

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