ep1 出会いは時に突然で―Part.2
満開に咲き誇る桜の木の下で、盛大に会話をミスった。完全に間違えたとしか言いようがない。冷めた目を向けられ、一言も言葉が返ってくることなく女性は部屋に戻ってしまった。
「どこかで会ったか」なんて言うべきじゃなかった。そんなこと思っても口にするような人間じゃないだろうに、何故か訊いてしまった。
「勘違いなのか………」
人の顔を覚えるのは得意だと、自信を持って言えるわけじゃないけど、どこか見覚えがあるような気がした。
そうは思うものの、会話としては大失敗だ。
あの場では口にしないのが正解で、大家がどこにいるのかを訊くべきだった。それと勝手に入ってしまって大丈夫だったかも。
進学先の大学生が暮らす集合住宅と聞いていたが、想像していたものとは大分違っていた。寮とか、アパートとか。そんなものを想像していたのだ。
しかし、実際に来てみれば、別荘のような三角屋根の木造住居と屋上にバルコニーのある二階建ての木造住居。その二棟が小高い山上に建っていた。集合住宅と言うより、シェアハウスと言った方が的確なのではないだろうか。
見覚えのある女性は三角屋根の家の、二階のベランダでタバコを吸っていた。
サイドの髪をあご上辺りで切り揃え、後頭部で髪を一つに結わえた。そんな黒髪をなびかせる女性の表情も、どこか浮世離れしている。
ただ一つ言えることは、きっとあの女性を忘れることは出来ない。それくらい鮮烈な印象を一目で受け、鮮明な記憶として残り続けるだろう。
我に返って、女性のいなくなったベランダを阿保のように眺め続けていたことに気付く。気持ちを切り替えるべく、スーツケースを引くための持ち手を強く握りしめた。
三角屋根の家には無視された女性がいる。訪ねるなら人がいると分かる三角屋根の家にするべきだ。出てくれる可能性が高いから。
だが、訪ねる気は全く湧いてこない。
目は合ったので、こっちの存在には気付いている。声も掛けた。それで何も応答がないと言うことは完全に無視されたと思っていい。加えて、向けられた目は冷めきっていた。決して人に向けるような視線ではない。
何か琴線に触れるようなことでも。
そこまで思って、「どこかで会ったか」なんて言うナンパの常套句みたいなセリフを口にしたことに考えは着地する。
それだけで、あんな視線を受ける羽目になるとは誰が予想できるか。それとも都会の女性には言葉一つ一つに注意を払わなくてはならないのか。
気を付けようと心に誓い、屋上バルコニーのある住居へ足を向けた。
時刻は十一時を過ぎた。
もう昼前だと言うのに静かだ。春休み期間中なので、ここに住む人達はどこか遊びにでも行っているのか。
無視されたものの人はいる。事前に今日来ることも伝えてある。大家がいないなんてことは流石に無いと思いたい。
近づくにつれ、屋上のバルコニーに干された服が鮮明に見え始める。昨日から干してあるなんてことは考えにくい。人がいる証拠かもしれない。
期待を胸に扉脇のインターホンを押す。
ジィージィーと小さな電子音が鼓膜を打つ。五秒、十秒と時間は流れ、中からの反応は一切感じられない。もう一度インターホンを押そうとして扉が開く。足音が聞こえなかったので突然だった。
インターホンに手を伸ばした状態で、開いた扉から現れた男性と対する。
眉を曲げ、眉間に皺を寄せる男性は機嫌が悪そうに見える。大家にしては若いような気もするし、同年代くらいにも思える。
「こんにちわ。今日引っ越しの」
「あぁ……」
声が頭に響くのか。不機嫌そうな顔をさらにしかめ、額に手を当てる。
「
「はっ、はい。
「あぁ。上がって」
そう言って中へ戻って行く。閉まりそうになった扉に足を挟んで止め、スーツケースを持ち上げて運ぶ。
玄関は広く、シューズラックも設置されているが肝心の靴は入っていない。靴が三足散らばった状態にまま。そして未だに額を手で押さえ続ける男性と入った瞬間に鼻孔を突いたアルコールの臭い。
飲み会でもしていたのだろうか。
「あぁそうだ。
「大家?旭さんが大家なんですか?」
「ああ。それと響輝でいい。一年浪人してるだろ。年は同じのはずだ」
「は、はい。分かりました」
「敬語もな。今すぐにとは言わないが」
不機嫌そうに見えたのは二日酔いのせいなのだろう。フレンドリーな口調とは言えないけど、ここに馴染めるよう気を遣ってくれている。
響輝の背を追って、玄関からまっすぐ伸びる廊下を進む。スーツケースは引きずらないよう持ち上げたままだ。
「ここがトイレ。二階にも一つある。えぇ、それとここが風呂。風呂は一つだ。向こうがリビングでキッチンもある。で、ここが俺の部屋」
手早く住居紹介を行う響輝に耳を傾けながら廊下を進む最中、リビングと指差した扉からスポーツ刈りの男性が現れた。タンクトップに短パンという大学生とは思えない服装に、少し出た腹がタンクトップに膨らみを与えている。
「新入りかぁ」
髪を掻き、大きな欠伸を見せつける。
「商学部一年の美海湊です」
「みなみみなと……何だか言いづらいな」
「よく言われます」
「国際関係学部五年、の守屋重人だ。よろしくな」
「よ、よろしくお願いします」
五年……ということは留年しているのだろう。触れていいものなのかどうか測りかねる。守屋さん自ら「五年」と口にしていたので本人は気にしていない可能性もあるが、不安に思ったなら口に出さないに越したことはない。
「先輩は三年分の単位を落としてる。憑かれるとこっちまで単位を落とすから気を付けろ」
「人を厄病神扱いするなっ!ああっトイレトイレ。漏れちまう。一階のトイレは玄関」
「もう教えてるから、先輩は漏らす前に早く行け」
「ハイハ~イ」
不自然なほどに足を上げて小走りする守屋先輩はトイレの扉を開け放つと閉めることなく用を足し始める。ジャーと放尿の音が廊下に響き渡る。
「トイレは閉めろよ。ここのルールだ」
開け放たれたトイレの扉を指差し、響輝は言う。
ついでにリビングの扉も微かに開いており、そこから中が見えた。テーブルの上に散乱する酒缶や酒瓶、つまみの菓子袋がゴミとなって床に落ちている。そしてソファの上で女性が横になっていた。
「少し待ってろ」
リビングを見ていたことに気付いてか、響輝は微かに開いていた扉を全開にし、ソファで横になる女性の下へ。起こすのかと思いきや、後ろに回り込んでソファを斜めに持ち上げる。
「あいぇっ!?」
「早く出て行け。朝だぞ」
床に落ち、声ともつかない音を上げた女性に響輝は躊躇いのない言葉を乱暴に吐き捨てた。今見た光景だけを切り取れば、結構ヤバいことをしている。
「大丈夫、なんです……?」
「ああ。心配するな。あれは先輩の彼女だ。住人でもないのに入り浸る厄病神だ」
「た、大変ですね」
響輝はため息を吐いて応えた。
「部屋まで案内する」
響輝に案内された部屋は二階の角部屋で、クローゼットや机、ベッドにエアコンなどなど。服さえあれば問題なく暮らせるくらいには物が揃っていた。
少しほこりっぽいことにだけ目をつぶれば、これ以上ないくらい完璧だ。集合住宅ではなく、シェアハウスみたいだけど部屋に鍵は掛けられるし、プライベートな空間は確保出来る。
住人の人も良さそうだし。
窓を開けて換気すると視界には満開の桜が映った。部屋の立地も最高じゃないか。そう思ったところで、左斜め向かい側のベランダに目がいった。ベランダの柵上には吸い殻の積もった灰皿が置かれている。
あの女性が誰なのか、響輝に訊くべきだったか。まぁでも、早急に知らなくちゃいけないようなことでもないので、後でもいいんだけど、思い出せそうで思い出せない感覚はかなりむずがゆい。
ひとまず荷解きをやってしまおう。
少し掃除もしたいし。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます