第38話
ブレイクタイム (赤井との思い出)
赤井とは彼が大学を卒業後もしばしば会って酒を飲んだ。
彼は京都産業大学を卒業して地元京都の精密機械メーカーへ就職した。
私と違って堅実な人生を送る奴だった。
京都育ちの五歳ほど年下の女性と結婚し、一男をもうけて左京区内に小さな戸建を購入して住んだ。
会社でも普通に出世して、安定したサラリーマン生活を営んだ。
あれは何年前だっただろう。
仕事の絡みで二日間京都を訪れたとき、土曜日の午前で所用を終えて、河原町通りの蕎麦屋で遅めの昼食をとって店を出たところへ「北大路バスターミナル行き」の京都市営バスが私の目の前に滑り込んで来た。
店の前にバス停があったのだ。
そのころ赤井と最後に会ったのは六年ほど前、四条河原町の居酒屋で飲み、そのあと彼のグループ会社が幹部社員のために設けていた祇園の隠れ家的な場所で飲み直し、深夜までいろいろと話をした。
その時の赤井は昔と変わっていなかった。
あまり表情を変えず、いつも冷静に物事を考え意見を述べる赤井だった。
その日以後、お互いが忙しいこともあったし、いつでも連絡を取れば会えるだろうと思っているうちに年月が経過していた。
「このバスに十五分も乗れば赤井の住む街に着く」と、私は無意識にバスのタラップに足をかけていた。
「北大路バスターミナル」に到着してから、北大路通りを東へ歩くと小さな商店街がある。
久しぶりだし、手ぶらではいくら親友でも失礼だと思ってケーキを六つ買った。
少し歩くと鴨川に架かる北大路橋にあたる。
北大路橋からの鴨川の風景は、四条大橋からの眺めとは少し趣が異なっている。
この橋の南側は出町柳まで南東に流れており、そこまでは賀茂川とされている。
一方、北側は鞍馬の山へ向かって北西に延びていて、河川敷も緑が多く、とりわけこの橋の中央部分から北方向の眺めは北山の稜線がはっきりと見えて絶景である。
橋を渡り住宅街に入る。
私は久しぶりに訪れる赤井の家が近づくと、少し心がときめいた。
土曜日だから、もしかしたら好きなゴルフに出かけているかも知れないが、それはそれで構わない。
彼の奥さんに挨拶だけして帰っても赤井は喜ぶに違いないと思った。
北大路通から斜めに路地を入り少し行くと、酒屋の向こうに赤井の家が見えるはずだ。
ところが、古い木造住宅だった赤井の家は白亜の洋風に建て替わっていた。
引っ越してしまったのかと心配したが、家の前に着いてみると「赤井」と表札が掛かっており、私は安堵した。
インターフォンを押した。しばらくして赤井の妻の応答があった。
「赤井ですが」
「あっ、どうも、久しぶりです、小野寺です。連絡せずに来てしまいましたが、赤井はゴルフですかね?」
「あっ、小野寺さん・・・、少しお待ちください」
赤井の妻はちょっと驚いた様子だった。しばらくして玄関が開いた。
「ご無沙汰しています。赤井は出かけていますか?」
「小野寺さん・・・とりあえず入ってください、どうぞ」
私は彼女の表情や態度にただならぬ気配を感じた。
少し狭い玄関は綺麗に整っていた。
上がったところがすぐリビングになっていて、小さなテーブルとそれを挟んでソファーが置かれていた。
私は勧められるまま腰をおろした。
「建て替えられたのですね、綺麗なお家だ」
「あのう、小野寺さん、実は・・・赤井は一昨年の暮れに亡くなりました」
「えっ、なぜ?」
私は絶句した。そしてそのあと言葉が出なかった。
「一昨年の暮れに亡くなる一年半ほど前に直腸癌が分かって、そのあと人工肛門をつける手術とか、何度も抗癌治療で入院して最善を尽くしたのですけど・・・助かりませんでした。
闘病生活中、小野寺さんや大野さんに連絡しなくていいのって何度も赤井に聞いたのですけど、知らせてくれるなと言うものですから・・・。きっと、自分が癌に犯されて弱っていく姿を見せたくなかったのだと思います。
あの温厚な人が、自分がどんどん痩せて別人のような姿になっていくのを鏡で見て、私たち家族に物を投げたり、見ていて可哀想なほど苛立っていました。連絡せずに、本当にすみません」
私は彼女のその説明が、遠くのほうで誰かが喋っているような感覚でしか聞こえなかった。
私はかなり動揺していた。
だが全く実感がわかず、涙も出なかった。
赤井が死んでしまった。
もうあいつはこの世にいないのだ。
私には信じられなかった。
リビングの奥から「おう、小野寺、久しぶりやな。相変わらず危なっかしい仕事ばかりやってるんか?」と今にも現れそうな気がするのだった。
「四十を過ぎると仕事が多忙になってきて、帰宅が夜十時や十一時になるのです。お風呂に入って簡単な食事をすると、会社から持ち帰った仕事を深夜一時、二時までするんですよ。そして翌日は朝六時に起きるでしょ。睡眠不足とストレスが駄目だったようです」
彼女はそう言って、お茶を出してくれた。そして「二階に仏壇がありますから、声をかけてやっていただけますか」と言った。
私は赤井の妻の勧めで二階へ上がり、奥の間にあった仏壇の前に座った。
この時でさえまだ赤井が死んだという気がしなかった。
仏壇には白髪が増えた赤井が少し微笑んでいる大きなモノクロ写真が飾られていた。
私は鐘を鳴らし、そして手を合わせた。
「お前はなぜ連絡をくれなかったのだ。水臭い奴だ。早く死んでしまったショックより連絡をくれなかったことが残念だ」と私は心で赤井を責めた。
「今日は昨日からの所用が早く終わって、そろそろ帰ろうと思っていたのです。伺う予定はなかったのですが、私が食事をして店を出たところへバスが滑り込んできて、それがこっち方面のバスだったのです。
入口がブザーとともに開いたとき、『さあ、乗って!』と促されたようでした。赤井が小野寺そろそろ来いと私を誘導したのかも知れません」
私は赤井の妻に突然訪れた経緯を説明した。
彼女は「小野寺さんの言う通りかも知れません。赤井はもう死ぬと分かってからも、葬儀には身内以外呼ぶなと言っていました。その時も小野寺さんや大野さんには本当に連絡しなくていいのと聞いたのですが、しばらく考えてから、連絡してくれるなと言うのでした」と少し涙混じりに語った。
そして「自分が死ぬことを、亡くなる直前まで受けとめられなかったのだと思います」と言った。
大野というのは、ニューパラダイスでバイトをしていた仏教系大学生なのだが、赤井も私も何の因果か、ずっと付き合いが続いていた。
彼は結局八年かかって大学を卒業し、故郷広島に帰って地元の自動車メーカーに就職して赤井と同様に平穏な家庭を築いていた。
「奥さん、今日のところはこれで帰りますが、近いうちに改めてもう一度伺います。大野には私から連絡をしておきます。お墓はどこにありますか?」
「赤井の墓は嵐山の方にあります。もしまたお越しいただけるようならご案内させていただきます」
私は何とも表現しがたい気持ちで赤井の家を辞した。
帰りの新幹線の中で、ようやく赤井と過ごした数々の思い出が湧き出てきて、私は人目をはばからず静かに泣いた。
* * *
このあと、私は年に二回か三回は京都の嵐山、竹林の森の向こうにある赤井の墓前を訪れています。
次回39から再び物語に戻ります。
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